署名活動に区長宅への訪問陳情。「三崎町」という名を住民の手で守るも歴史は繰り返され…<旧町名>でたどる千代田区の歴史

2024年4月29日(月)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:二見書房)

「現在では使われなくなった地名=『旧町名』は、古い家屋の表札やビルなど様々なものの中に発見することができる」と語るのは、16年以上、全国の旧町名の名残りを探し、その記録をブログなどで発信している102so(じゅうにそう)さん。今回、『旧町名さがしてみました in東京』から東京・千代田区の旧町名にまつわるエピソードを紹介していただきました。102soさんは「旧神田區の町名には何らかの形で神田が付くが、神田という町名はない」と言っていて——。

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三年町


<三年町>

日本の中枢こと永田町・霞が関。実は彼らの名前は明治5年の誕生以来、町名変更する事なく存在しつづけています。

一方で、彼らに隣接し同じ明治5年誕生でありながら消滅した町名もあります。

それが三年(さんねん)町です。官僚の出世争いの如く同期に出し抜かれた悲しみの町名・三年町。そもそも三年とはいったい何の年数でしょうか。

場所柄何らかの任期と思いきや衆議院は4年、参議院は6年。転んだら3年以内に死ぬという俗信を持つ三年坂にちなんで三年町なのです。

死にたくない思いで現地に赴き坂を確認したところ、恐ろしいことに転んでも寿命を全うできそうな安心設計でした。

消滅から3年以内どころか50年以上経っても現地の古ビルに生きつづける三年町。

おそらく三年坂の俗信が間違いであることを自らが証明しているのでしょう。令和5年時点では、もはや五十五年町です。

神田松富町、神田五軒町


<神田松富町>

東京メトロ末広町駅周辺がリノベーション街になりつつあります。

築70年の蒲鉾店がジューススタンドに、同じく築70年以上の古民家がフレンチ店に。いずれもこの神田松富(かんだまつとみ)町での既存建築物の活用事例です。

なお、町名由来も松下町+永富町という既存を活かした合成。まさか町名までリノベとは。


『旧町名さがしてみました in東京』(著:102so/二見書房)

<神田五軒町>

5つの大名屋敷があったから神田五軒(かんだごけん)町。

末広町駅周辺リノベ街化の起点はこの旧町域内にあるアーツ千代田3331。

この施設は平成17年に閉校の練成中学校をリノベし平成22年に誕生した文化芸術の発信拠点。

体育館の垂直跳び台も廊下の手洗い場もそのままでした。

※アーツ千代田3331は令和5年3月31日閉館

三崎町、猿楽町


<三崎町>

「違法ならば私は辞める」昭和41年11月第14回住居表示審議会、遠山区長の答弁です。この日の審議会で、神田三崎(かんだみさき)町を西神田に変更する第3回区議会の決議を覆し「三崎町」とする区長提案が出されたのです。

当時、三崎町では何が起きていたのでしょうか。

昭和37年施行の住居表示法に基づく町名変更。千代田区でも各町会による新町名案策定が始まります。

三崎町会では新町名案に対する住民アンケートを行います。候補は三崎町・水道橋・西神田。住民の意向は294票・49票・32票と、圧倒的に三崎町支持。

ところが町会役員会の決定は西神田だったのです。よりによって最下位の西神田、しかもそれが住民の合意として審議会・区議会で満場一致決議。憤慨した三崎町青年団による三崎町存続運動が始まります。

署名活動に区長宅への訪問陳情等、世論を巻き込んだクーデターの結果が冒頭の区長提案です。三崎町は住民の手で守られました。

そして時は流れ平成16年、歴史はくり返す。

<猿楽町>

平成16年、区長へある要望書が提出されます。

「三崎町並びに猿楽(さるがく)町の住居表示における神田の冠称復活に関する要望書」。

そう、あの三崎町が隣の猿楽町と共に昭和42年に消滅した旧町名の復活を求めているのです。


町名変更がここまで可視化されているのは他にない(写真提供:二見書房)

あれ? 三崎町は存続運動で守られたはずでは。

実は三崎町民の本来の希望は「神田三崎町」存続だったのです。

しかし、当時千代田区からは各町会に対し「新町名は神田**にはするなよ! 絶対にするなよ!」的な前フリもとい方針が示されていたため、神田冠称を諦めた経緯がありました。

今回の町名復活運動では、町内の事業者を中心とした反対派が署名や要望を行ったため長期化の様相を呈していましたが、平成26年区議会で決議され、平成30年1月1日に無事神田三崎町と神田猿楽町が復活を遂げました。

念願成就の旧町名復活。

前夜はカウントダウンイベントで大いに盛り上がるはずと期待して12月31日に現地へ赴きました。ただの静かな年末でした。現場からは以上です。

神田區須田町、神田旭町、神田田代町、神田一ツ橋


<神田區須田町>

交通博物館がなくなりました。神田駅地下街も万惣(まんそう)もなくなりました。任天堂も栄屋ミルクホールもなくなり、肉の万世(まんせい)・秋葉原本店も24年3月末で閉店しました。


明治30年創業の山本歯科医院。平成17年に登録有形文化財指定の建物の入口に残る昭和22年以前の旧町名(写真提供:二見書房)

ですが、柳森(やなぎもり)神社があります。海老原商店も山本歯科医院もあります。藪そばも千代田区一の魔境・自販機コーナーも、そして神田區須田(かんだくすだ)町があります。これだけで十分です。ミルクホールは神田多(かんだた)町でした。

<神田旭町>

昭和36年、あるビルの建設工事中に瓦や盃などの遺物が出土しました。これらは江戸初期この地に屋敷を構えた秋田藩佐竹氏の品であることが、瓦に印された「扇に満月」の家紋によってわかったのです。


家紋は月なのに旭。当時町名を決めた役人が家紋の丸を日輪と間違えたのだとか。(写真提供:二見書房)

家紋が満月なのに「朝日」町なのはさておき、町名の由来が佐竹氏家紋である点を踏まえ、この神田旭(かんだあさひ)町の旧町名も佐竹氏の遺物として扱おうではありませんか。

<神田田代町>

AKB劇場向かいの雑居ビル群に2つの神田田代(かんだたしろ)町の跡がありました。UDXと中央通り間の狭小町域を考えると奇跡的な現存であるため、ビルごと消えたいまとなっては夢か幻だったのでしょう。


この田代、平成19年ごろに発見したものだが、消滅したいまとなってはどこにあったのか覚えておらず(写真提供:二見書房)

田代という文字、いずれまた夢でもし逢えたら素敵なことですね。まあ、しいて言えば文字だけなら「アキバ田代通り」で逢えますけどね。

<神田一ツ橋>

一ツ橋の2つの丁目は、なんと郵便番号が異なります。

1丁目は「100—0003」で、2丁目は「101—0003」。

同じ町名なのにどうしたの。人口50人なんだし仲良くしなよ。

実は、千代田区成立以前のそれぞれの旧々町名が原因でした。1丁目は「麹町區竹平(こうじまちくたけひら)町」で2丁目は「神田區一ツ橋通町」。

別の自治体だったのです。

※本稿は、『旧町名さがしてみました in東京』(二見書房)の一部を再編集したものです。

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