<母のがんが脳転移した>海外旅行中に医師の姉から電話。「がんは準備する時間を与えてくれる」と言うけれど抗がん剤治療を拒否した母は…

2025年4月30日(水)6時30分 婦人公論.jp


(イメージ写真:stock.adobe.com)

「団塊の世代」が全員75歳以上となる2025年。後期高齢者の増加を背景に、「住み慣れた家で最期を迎えたい」と考える人も増えています。医師の姉による仕切りのもと、がんになった母を在宅で看取り、家族葬で送ることになった尾崎英子さんは「大切な人の旅立ちを見守るということは、どんなに準備しても不安がつきまとうもの」と話します。そこで今回は、尾崎さんの著書『母の旅立ち』から、一部引用、再編集してお届けします。

* * * * * * *

「脳転移?」


その一報を姉、ようこからもらった時、わたしはシンガポールにいた。

赤道直下の7月終わり、猛暑で燻くすぶっているような青空の下で、わたしは姉からの電話を受けた。

「もしもし」

「あっ、えいちゃん。お母さんが倒れて病院に搬送されたんよ。MRIの結果脳転移による癌性髄膜炎やった」

「脳転移?」

「原発の乳がんがいろんなところに転移していて、脳にもやな」

脳、というのはインパクトが大きかった。

「えっ……大丈夫なん?」

いやいや、大丈夫なわけがない。

病気が見つかった時にはステージ4の乳がんで、まともな標準治療を受けていないのだ。大丈夫なわけがないし、いろんなところに転移していることは予見できていた。

放射線療法を拒否


「めまいとふらつきで倒れたけど、いまのところ意識はある。生命予後を保つというよりはQOL(生活の質)のために脳への放射線療法を勧めたんやけど

……お母さん、いつものことながら拒否ってて、このまま今日中に退院することになる感じやわ」


『母の旅立ち』(著:尾崎英子/ CEメディアハウス)

ようこ姉はいつものことながら淡々と説明する。

お母さん、また拒否ってるんか……。

「すぐに駆けつけたいけど、わたし、いまシンガポールにおってさ」

「えっ? この電話シンガポールにかけてるってこと! ちょっ! 早よ言いや! 電話代!」

通話が一方的に切られた。

たしかに電話代な。

でもこの話の流れで言うタイミングなんてあった?

次女は看取りのプロ


ところで、この電話をくれたようこ姉は、尾崎家の次女である。わたしは四女。我が家は四姉妹なのだ。


(イメージ写真:stock.adobe.com)

最初に紹介しておくと、

長女たつこ。大阪在住。

次女ようこ。京都在住。

三女あきこ。東京在住。

四女えいこ。東京在住。

医師で訪問医療のクリニックをやっているようこ姉は、終末期に入った母の主治医となってくれていた。専門は麻酔科で、医師を志したのも、人の命を救うより、人の生をより良く終えるための医療に興味があったからと聞いている。

これまでも多くの患者さんを看取ってきたが、家族の主治医となるのははじめてのことだった。

両親が暮らす実家は大阪の南部に位置する堺市にある。ようこ姉から母の容態などについて、離れて暮らすわたしたち姉妹に、こまめに連絡があった。

母と話しても、なかなか本当の状況が見えないものだから、ありがたいことだった。

急にガクッと


この数日前も母と電話で話していたが、難波に出かけていたと言っていた。

まだまだ1人で出歩けるくらいなんやな、と安心していたところだったのに。

母がこういう病状になり、ようこ姉は教えてくれた。

「がんってな、準備する時間を与えてくれているという面ではけっして悪い病気ではないんよ。だってこの世には、本人にも家族にも心構えができていない死だらけや。

事故や災害の死もあるやろ。病気やって、予見できないものがたくさんある。

その点、がんはたくさんの症例があるから、研究も進んでいる。薬も日進月歩で作られているしな。

ただ、急にガクッと来るものやから怖がられてしまうんよね。でも、医師からすると、だいたい読めているもので」

そのガクッというのが、母に訪れたのだろう。

元気そうだったのに


ここからは一気に進んでしまうのだろうか。

この時点で、わたしにはまだ何も読めていなかった。


(イメージ写真:stock.adobe.com)

シンガポールにいたのは所用があってのことで、わたしは息子2人と訪れていた。母のことがあったので、日本を離れるのに不安がなくもなかった。

とはいえ、母はそれなりに元気そうだったし、息子たちにとって楽しい予定であったので思い切ってやって来たのだった。

こういう状況において、予定を組むのは難しいものだ。

その電話をもらった時、わたしはチャイナタウンを観光していた。仏牙寺龍華院という寺院と博物館の複合施設に巨大な摩尼車がある。ご利益があるというので、母の快癒を祈った直後だった。お母さんの病気が治りますように、と。

快癒どころか脳転移かい!

たいそうなご利益である。

だがじつのところ、祈りに身が入らないような気持ちでもあった。

相当やっかい


そもそも、母は病気を治したいと思っているのか?

本人にその気がないのに、快癒を祈るのは無駄なのでは?

母のがんは相当やっかいなものだった。

ようこ姉いわく、なかなか見たことがないほどの悪性度の高さ。

「治療方針としては転移があるから化学療法をし、そこで効いていたら手術に持ち込むというもの。抗がん剤というのは誤解を恐れずに言うたら「毒」を投入するようなものやから、悪性度の高いお母さんのがんにはめちゃくちゃ効きやすいわけよ。それやのに!

一度受けてみたらしんどかったんか、『抗がん剤なんてやったら病気になるわ!』と自己判断で治療をやめてしまってさ。それを聞いて絶句したけど……まあ、あの人らしいわ」

あの人らしい。

たしかに、そうだった。

化学療法をやめた母は、いかにも母らしく、代替療法にハマっていたのだった。

※本稿は、『母の旅立ち』( CEメディアハウス)の一部を再編集したものです。

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