ちゃんみなさん、坂口涼太郎さん…貴重な瞬間、謙遜や自己卑下で、本心をないものにしない。「欲しいものには欲しい」と言おう

2024年5月10日(金)12時0分 婦人公論.jp


写真提供◎AC

貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第66回は「この瞬間は二度と戻らない」です。

* * * * * * *

脳の普段使わない部分が歌声に共鳴


現実は、退屈な毎日の連続だ。でも、そんな日々を明るく照らしてくれるような夜に、最近出逢った。

先日、約1年ぶりにちゃんみなのライブに行った。ちゃんみなは私が大好きで、すっかり魂を奪われているラッパー、シンガーだ。

ライブが始まった瞬間から勢いよく心臓を掴まれて、そのあとも驚きと感動が次々に押し寄せ、頭を殴られるような感覚になり、息をつく暇もない。

ちゃんみなの存在は、強烈で眩しく、鮮烈でまばゆい光を放っている。なんとも鮮やかであった。彼女は、直視したら角膜が焦げてしまいそうな強烈なスポットライトが本当によく似合う。

いつも音源超えと言われる彼女の生歌だが、その日は特別すごかった。高音が鋭く、人類が出す声とはとても思えない。脳の普段使わない部分が歌声に共鳴する。脳の中心部分を射貫かれるような感覚になる。甘ったるい声、吐息が漏れるようなささやき、張り上げたときの迫力のある声、がなり声、ラップ。それらを自在に使い分ける。

まとうオーラその全てに虜になる


伏し目から前をカッと見据えたときの静かな迫力。男性のダンサーに抱きついて甘えるような目でこっちを見たときのドキッと、ハッとさせられる婀娜な様。片方の口角を上げていたずらっ子っぽく笑ったときのキュートさ。挑発するような表情の痺れる程の格好良さ。コロコロと変わる表情、まとうオーラ、その全てに、虜になる。


写真提供◎AC

毒々しく、でもとてもロマンチックでドリーミーで、現実と虚構のあわいにいると錯覚する。気が付くと彼女の創り出す世界観に飲み込まれ、どろどろと溶けていく。

ちゃんみなの舞台演出のクオリティには定評があるが、若者の「マインドアイコン」とも言われるメッセージ性と、それを体現する姿勢も注目と尊敬を集めている。

2曲目に披露された『RED』は、韓国とのミックスルーツである彼女が、母親に向けられた人種差別の体験を歌詞にしたものだと思われる。「わかるだろお前だってRED」「皮一つ違うだけで」と言った歌詞が出てくる。人種や国籍が違っても、肌の色は違っても、皮を剥がせば、流れる血の色は同じ。そんなメッセージだと受け取った。

パフォーマンスはちゃんみならしいとてもハードな仕上がりで、身体をくねらせ踊りながら歌う姿は実に格好いい。しかし、歌詞中に飛び出す人種差別の言葉はとても鋭利で、それが子どもだった彼女にとってどれだけ過酷な体験だったのだろうと思わされる。

そんなことを思うと、表現に昇華されたどうしようもない痛みの断片が、私の皮膚や細胞を透過して心に伝わってきて、涙が滲む。

きらめく瞬間の思い出


まるで、人生で味わったことがないきらめきを凝縮し、敷き詰めたような時間だった。
始まったその瞬間から、終わりに向かって砂時計は流れ落ちていく。きらめくようなこの瞬間の連続は、瞬く間に過ぎ去っていく。

きっと人生も同じだ。
耐え難い苦痛も、この瞬間が続けばいいのにと思うような時間も、溢れて流れて、一瞬で手の内からこぼれ落ち、二度とは戻らない。

ちゃんみなは言った。「今日は今日しかないから、最後まで楽しんでいって」。
そう、今日という日は、今という瞬間は、二度と訪れない。不可逆だ。そんな儚い、胸が苦しくなるほど切ないこの刹那。もう二度とは戻れない瞬間の連続を生きている現実と、彼女は全力で対峙している。

ちゃんみなは確かにそこで命の火を燃やしていた。命を削り、人生の尊さを叫び、訴えている。

ライブに行っていた友達が、ライブに行くために働いているし生きていると言っていたけど、いまならその意味がわかる。

日常は代わり映えしないからこそ価値がある。でも、それは時に心を曇らせ、鈍らせて、何かを感じ取る力を失わせてしまう。

何のときめきもなく、ただ起きて、働いて、餌のように食事を詰め込んで。そしてまた眠る。そんな機械的にリズムを刻むような色のない生活の連続。その先にも、あの夢のような空間が待っているのなら、耐えられるような気がしてくる。

その先にも、あのきらめく夢のような空間が待っているのなら、耐えられるような気がしてくる。

尻餅をついて坂から転げ落ちるかのよう


先日、インタビューしたご縁で交流が続いている「お涼さん」こと俳優の坂口涼太郎さんと、『死ねない理由』の刊行と、坂口さんの連載エッセイ「今日も、ちゃ舞台の上でおどる」(講談社 mi-mollet(ミモレ))の開始を記念してトークイベントを行った。


『死ねない理由』(著:ヒオカ/中央公論新社)

仕事柄、芸能人と接する機会は多いが、当然、雲の上の存在だと認識している。違う世界を生き、絶対にこちらの世界にやってこない人。そんな認識も失礼だと思うが、それが正直なところである。

だから、一緒にイベントをやりましょうなんて、口が裂けても言えない、と思った。でも、もし誰かとイベントをやるなら? と考えたら、真っ先に思いつくのがお涼さんだった。

読書家で、溢れんばかりの文化的素養がある。ちゃめっけや剛腕なユーモアセンスがありながらも、密度が高く誠実で、ずっしりとした気高い文章をお書きになる。感性が驚くほどピュアでクリア、研ぎ澄まされている。紡ぎ出す言葉も、実に愉快で、また本質的。そんな方とご一緒できないだろうか、と思ったのだ。

最近の私の目標は、「欲しいものには欲しい」と言うこと。私なんて、私なんか。そんな謙遜の形をした醜い自己卑下で、本心をないものにしないこと。思っていることは言わないと分からないし伝わらない。

だから、ありったけの力を振り絞り、勇気のかけらをかき集めてオファーをした。すると、「おおん、ええよ。楽しみ〜」的なノリで快諾してくださったので、大いに拍子抜けをし、尻餅をついて坂から転げ落ちるかのようだった。

体中の細胞の力を総動員


イベント当日は、しとしとと、と言うより、ぼたぼたと冷たい雨が地面を打ち、濡らすような、「足元が悪い中〜」という言葉が、本当にその通り過ぎる夜であった。


写真提供◎AC

緊張しいの私を、会場のみなさんがとても温かい雰囲気で迎えてくださった。お涼さんは、終始さすが俳優さん!という、貫禄と余裕のある肝の据わった様子で話を進めてくれ、気が付いたら、お涼さんの独特な軽やかなリズムに飲み込まれ、リラックスして話している自分がいた。

お涼さんが私の書いた2冊の本から感じ取ったことから始まり、好きな本、救われた本の話題にも話が及んだ。お話を聴いていると、お涼さんから見えている景色を少しだけ覗き見したような、不思議な気持ちになる。

ちゃんみなのライブでの経験があったから、目を見開き、感覚という感覚を開き、研ぎ澄まして、こぼれ落ちていくこの瞬間を逃さないように、体中の細胞の力を総動員して臨戦態勢で挑んだ。

お涼さんの話からは、人間の奥行きというものを感じさせられる。深い洞察力と、この世界からありとあらゆるものをキャッチする力。途方もない思考の広さ、深さ。そして思慮深さや愛情深さ。それらがありありと伝わってきて、震えるような思いがする。

この瞬間だけがずっと続けばいいのに


交わした言葉が、会場の雰囲気やそこを覆うエネルギーが、私たちの心に、身体に落ちて、沁み込み、溶けてゆく。その心地よさに浸りながら、夜の帳が落ちていく時間を共有できる贅沢さ。そうやって身体に沈殿したものが、私の生きる糧になる気がする。

振り返って思うのだ。どれだけ恋しく、慕わしい夜も、もう二度と戻ってくることはない。この瞬間だけが、ずっと続けばいいのに。そう思う時間は、手の内からこぼれ落ちていく。

でも、そこには、厳然と、歴然とした豊かさがあった。確かに私は、物凄くしあわせだった。これからも、私はあの夜を思い出すんだろう。宇宙の広がりや、自分がそこに存在し、この世界の一部を構成しているという事実を感じるような、そんな、あの濃く、密で、深々とした夜のことを。

きっとその夜の記憶が、私のこれからの人生を照らしてくれる。

前回「貧困のため旅行に縁がなかった。恩人の結婚式に出るための、人生初旅行で待っていた一期一会」はこちら

婦人公論.jp

「ちゃんみな」をもっと詳しく

「ちゃんみな」のニュース

「ちゃんみな」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ