弁護士試補となった『虎に翼』寅子モデル・三淵嘉子の勤め先は丸ビルの中。「お嬢さん弁護士」と紹介された新聞で淡々と語っていたこととは

2024年5月14日(火)6時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

24年4月より放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』。伊藤沙莉さん演じる主人公・猪爪寅子のモデルは、日本初の女性弁護士・三淵嘉子さんです。先駆者であり続けた彼女が人生を賭けて成し遂げようとしたこととは?当連載にて東京理科大学・神野潔先生がその生涯を辿ります。先生いわく「修習のあいだ、嘉子も自然と遠慮しながら意見を述べることが続いた」そうで——。

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弁護士試補時代の体験


高等試験司法科に合格すると、弁護士試補としての1年半の修習が待っていました。

嘉子は第二東京弁護士会に配属されましたが(弁護士会というのは、弁護士法に基づき、地方裁判所の管轄区域ごとに一つ設置される団体ですが、東京だけ例外的に複数の弁護士会があります。強制加入団体で、弁護士は必ず所属しなくてはいけません)、当時の試補は無給で(裁判官、検察官になるための司法官試補は給与の支給がありました)、修習のために弁護士会に対して国から交付される経費の一部を、手当としてもらえる仕組みになっていました。

とはいえそれはかなり安く、当時の私立大学出身者の初任給が月45円くらいのこの時代に、嘉子が受け取っていた月の手当は20円程度でした。

戦前は弁護士の地位が裁判官・検察官と比べて低く、このようなところにも露骨な差が設けられていました。

自然と遠慮しながら意見を述べてしまう


嘉子は、丸ノ内ビルヂング(丸ビル)に入っていた仁井田益太郎の弁護士事務所で修習しました。

仁井田は裁判官・京都帝国大学教授・東京帝国大学教授を歴任した人物で、第二東京弁護士会の創立者・会長でもありました。

修習のあいだ、討論の場で年上の男性たちに対して意見を言うことは、なかなかやりにくいことでした。

いくら女性に門戸が開かれたといっても、社会的には女性に対して厳しい目が向けられている中で、嘉子も自然と遠慮しながら意見を述べることが続きました。

弁護士としてのキャリアが始まる


一緒に合格した田中正子(後の中田正子)と久米愛の2人は第一東京弁護士会に配属されて修習しており、3人ともそれぞれ丸の内にある法律事務所にいました。

お昼の時間に丸ビルのレストランに行ったり、皇居のお濠沿いを散歩したり、初の女性合格者3人の切磋琢磨する友情は続きました(正子は1939<昭和14>年に中田吉雄と結婚し、夫とともに鳥取に移って弁護士として活動しました。愛は日本婦人法律家協会の会長を長く務め、嘉子とも多くの場面で行動をともにしました)。


初の女性合格者3人の切磋琢磨する友情は続きました<『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』より>

修習を終え、さらに見事弁護士試補考試にも合格した嘉子は(正式には、この段階で、初の女性弁護士が誕生した、ということになります)、いよいよ弁護士としてのキャリアを歩み始めることになります。

1940年6月16日付で、嘉子たちがまもなく修習を終えることを伝える『東京日日新聞』には、「生れ出た婦人弁護士 法廷に美しき異彩“女性の友”紅三点 抱負も豊かに登場」という見出しが踊っていますが、「お嬢さん弁護士」と紹介された嘉子のコメントは、「まだまだこれからです」、「一本立ちといつても自信もないし自分に向く仕事かどうかもわからないんです。まあやるとすれば民法をもつと研究してゆきたいと思つてゐます」という、淡々としたものでした。

※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

婦人公論.jp

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