「平安貴族は愚か」という思い違い、1000年経っても変わらない人間の本質

2024年5月17日(金)6時0分 JBpress

大河ドラマ「光る君へ」で注目を集める平安時代。大河ドラマといえば時代は、戦国、江戸、幕末、テーマも武将や智将の「合戦」が中心でした。

なぜ今、平安なのか。

「光る君へ」の時代考証を務める倉本一宏氏は「平安時代はもっと注目されてほしいし、されていい時代。人間の本質を知ることができます」と語ります。

その倉本氏は5月21日に、平安京に生きた面白い人々の実像を綴った『平安貴族列伝』を上梓。

日本の正史である六国史に載せられた個人の伝記「薨卒伝(こうそつでん)」から、藤原氏などの有名貴族からあまり知られていない人物まで、その生涯を紹介しています。

今回はその著者の倉本一宏氏に、改めて平安時代とはどんな時代だったのか?お伺いしました。


薨卒伝は毀誉褒貶

——この本はどんな本か、教えていただけますでしょうか?

 日本の歴史書である六国史には、『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』の6つがあります。『日本書紀』は最初は「日本紀」という書名で、『日本書紀』というのは後世につけられたものです。中国の歴史書は紀伝体といいまして、紀と列伝、両方が大きな柱になっています。

 年月日に沿って何が起こったかを書く「紀」という本紀と、いろんな人の生涯を語っている「列伝」なんですけど、『日本書紀』には列伝を作る暇がなかった、あるいはそういう技術がなかった。さらにいうと、日本書紀の編纂に大きく関わった藤原不比等がもう亡くなりそうで、なんとか生きている間に完成させようというので、本紀だけ作って完成ということになりました。

『日本書紀』が本紀しかなかったものですから、次に(『続日本紀』を)編纂する時に、今度は反省して列伝も作ればよかったんですけれども、日本人の悪い癖で、こういう前例があったら次もそれに倣ってやろうということで、『続日本紀』も本紀しかないのです。それから『日本三代実録』まで、本紀だけの六国史ができたわけなんです。

 ところが、当時の知識人は中国の歴史書を読んで列伝の存在を知っていますから、やっぱり列伝がないと寂しいということで、「薨卒伝」という、亡くなった人がこういう人だったという、簡単な伝記をときどき付け加えました。『日本書紀』には全くないんですけど、次の『続日本紀』にはいくつもあります。ここまでは奈良時代なんですね。

 ちなみに、奈良時代の『続日本紀』の「薨卒伝」につきましては、國學院大學の林陸朗先生という方の面白い本がありまして(『奈良朝人物列伝 『続日本紀』薨卒伝の検討』思文閣出版、2010年)、かなり詳しい解説が書いてあります。

 平安時代に入ってからの『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』については、後の方に行けば行くほど、薨卒伝が詳しくなっていきます。今回の本でお示ししたのは、『日本後紀』と『続日本後紀』ですが、残念ながら基本的に四位以上の人が亡くなった時しか伝記はつけていないんです。当時四位はまだかなり高い位です。中国の列伝というのはかなり変わった人、力士や、市井の人まで書いてあるので、読んでいてかなり面白いんですが。

 日本の場合、やっぱり堅苦しいんでしょうね。正史に出てくる人もほぼ五位以上しか出てきません。五位以上を一応「貴族」と言うわけで、貴族のことしか書いてないんですね。ちなみに三位以上の人が亡くなると「薨」、四位五位の人が亡くなると「卒」といいます。六位以下の人はただ「死」んだというだけしかありません。そして天皇は「崩」と、4通りの呼び方になります。

 国家が作った歴史書なので無味乾燥な伝記が多いかというと、実はそうではなくて、結構面白いですね。編纂した人の個性が出ているんだと思いますけど、毀誉褒貶(きよほうへん)、いいことも悪いことも、変わったこともいっぱい書いてある中で、面白そうなところだけを選んでで、現代語に訳して、私が解説を付けるというのを並べれば、面白い本になるんじゃないかなと思い立った次第です。今回の『平安貴族列伝』には37人の薨卒伝を掲載しています。


人間は愚かになっている?

——「おわりに」にある、「平安時代の人は愚かで、現代人ははるかに優秀な人類だと考えるのは、とんでもない思い違いである」という一文が非常に刺さりました。我々の方が最先端というか、時代が進むにつれていろんなことがわかった気になっていたんですけども、そんなことはないんだっていうことをスパッとご指摘いただいていて。この本を読むと、こんなことを自分もやりそうだなあとか、昔の方がはるかに優れているなとか思うことが多かったんですが、書かれる時には、そういった人間味みたいなところについても意識されたんですか?

 そうですね。まだ六国史の時代というのはもっと後の藤原道長とか実資のような古記録と違って、あんまり詳しいことは書かれていないことも多いんですけれど。それでも、例えば私が時代考証を担当する大河ドラマ「光る君へ」を見ていた人が、今も昔も疫病対策は同じ程度で、政治家というのは同じようなことをやっているんだなという感想が結構ありまして。そうなると、こんなに高度な科学が発達しているのに、人間自体は本当に発達しているのかっていうと、私はかえって愚かになっているような気がするんです。

 平安時代の人がやたら占いに頼ったり、病気になったらお坊さんを呼んで加持祈祷やってもらったりということで、あの人たちは愚かなんだなという人がいますけど、今でもこんなに科学が発達しているのに、占いに頼る人はいっぱいいますよね。

 朝のニュース番組でも、今日縁起がいいのは何座の人?とか、あるいはもっと根拠のない大安とか仏滅なんていって、この日には葬式をやらないとか、この日に結婚式をやらないとか、本気で考える人ってまだいるわけです。以前女子大に勤めていた時、ゼミ旅行とか行くと学生たちはみんな、おみくじを引いているんです。それで、必ず恋愛のところをまず見るわけですよ。気持ちはすごくわかるんですが(笑)。

 医療でいうと、貴族はまず病気になると、陰陽師を呼んで祟りがあるかどうかを占ってもらうんです。祟りがないとなると、今度はお坊さんを呼んで加持祈祷をやってもらいます。その後に医者が来て薬をもらう。もちろん漢方薬だけですから、僕らの飲んでいる薬より効きませんけれども。僕らが病院に行って何時間も待って診察してもらって、薬をどうぞともらって飲む薬と、呪いはないと安心して、あの有名なお坊さんに祈ってもらったら治ると思って、それから飲む薬と、同じ薬だったら、昔の方がよく効いたはずなんです。

 確かに医療をはじめ、いろんな技術は進んでいますし、僕らの方が病気になっても治ることが多いんですけど、それは単に人間ドックを受けて、抗生物質と外科手術があるようになっただけであって、精神医療も含めてやっている昔の人の方がよっぽど進んでいると思うのです。だんだん人間が賢くなったとか、発展していったというのはとんでもない間違いという気がします。そういうことで、平安時代から学べることって、ものすごく多いと思うんです。

筆者:倉本 一宏

JBpress

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