吉田沙保里に匹敵、119連勝中、女子レスリングの新星「藤波朱理」の実力

2023年5月18日(木)6時0分 JBpress

 コロナ禍の影響で開催が1年繰り下げられた東京五輪から2年が過ぎようとしている。そうなれば1年後はあっという間にパリで五輪だ。

 そのパリ五輪で日本人選手の活躍が予想される種目のひとつが女子レスリングだ。中でも注目されているのが現在19歳で日体大2年の藤波朱理(あかり)選手(53キロ級)だろう。21年10月にノルウエーのオスロで開催された世界選手権では、初出場にもかかわらず、4試合すべてフォール勝ちでしかも失点は0という完璧な試合で優勝を果たした。


「公式戦119連勝」で吉田沙保里に並んだ藤波朱理

 17歳10カ月での優勝は世界選手権史上2番目の若さというが、実は藤波は中学2年生の9月からこれまで一度も負けていない。今年4月のカザフスタンで開催されたアジア選手権でも無敵の勝利を続けて優勝し、自身の公式戦連勝記録を119まで伸ばしている。そしてこの記録は、あの「霊長類最強女王」吉田沙保里と並ぶ大記録なのである。

 ただし吉田は「個人戦」に限定すれば、「206連勝」の途方もない記録を打ち立てている。連勝が119でストップしたのは、女子ワールドカップの団体戦で判定負けを喫したからだ。ちなみに五輪4連覇の伊調馨の連勝記録は189、吉田には及ばないがやはり途方もない記録である。

 こうなってくると、気になるのは藤波がどれだけ連勝記録を伸ばせるか、そして吉田沙保里の「206連勝」にどれだけ迫れるか、である。

 当の藤波は、アジア選手権優勝後のインタビューで以下の様に述べた。

「自分の一番のいまの目標はパリオリンピックで優勝することであって、そのためにも(五輪選手選考につながる)6月(の明治杯全日本選抜レスリング選手権大会)に勝つというのが、自分の中の一番の近い目標であって。その試合につながる大会にしようと思っていて…。

 自分は低いタックルが得意なんですけれどもこの大会ではそれをなるべく使わずに、いま練習している組手の腕取りだったりガブリだったりカウンターだったりをたくさん試そうと思ってた大会だったんですけど、それも生かせたところもあって。これからビデオを見てしっかり反省していきたいなという思いです。

(119連勝を達成したが)吉田沙保里選手は本当に雲の上の存在で、全然自分なんかは程遠いんですけど。連勝記録ということで、自分には関係ないとは思っているんですけど、そう言っていただけるのは光栄なことなので。でも自分は気にせず、強くなることだけを意識してこれからも頑張っていきたいと思います」

 連勝記録にはこだわらず、ひたすら「強くなること」に集中しようというストイックさがうかがえる。


同級には東京五輪金メダリストの志土地真優

 藤波朱理は2003年、三重県四日市市に生まれた。父親の俊一さんがソウル五輪のレスリング候補選手だったこともあり、兄と一緒に子供の時からレスリングに夢中になっていた。そういえば吉田沙保里も三重県津市(合併後)の出身であるから三重県はレスリングが強い選手を輩出する土壌があるのだろう。

 高校は俊一さんがレスリング部監督を務めていた県立いなべ総合学園へ進み、ここでもインターハイで連勝を飾っている。そして大学は父親も研鑽を積んだ日体大へと進んだ。それを機に父親の俊一さんも日体大のコーチに転身、親子二人三脚でパリ五輪金メダル獲得を目指している。

 藤波の強さの理由を、スポーツ紙記者は次のように解説する。

「藤波の強さの理由の一つは53キロ級の選手にしては164センチと身長が高くリーチが長いこと。リーチを生かして相手の足を引っかけるタイミングの取り方は天性のものではないでしょうか。間(ま)の取り方や攻撃のタイミングも上手です。

 まだ19歳というのに試合では相手選手を飲み込むような貫禄すら感じます。余裕があるし、一度のタックルで次の攻撃を考えてフォールまでもっていくんです。相手のバックを取って直ぐにアンクルフォールドを決める流れもとてもスムーズ。東京五輪では志土地(旧姓・向田)真優が同級で金を獲得していますが、6月の全日本選抜選手権ではいま勢いに乗る藤波が志土地を破る可能性は大いにある。優勝すれば世界選手権の出場権を獲得、さらに世界選手権でメダルを獲れればパリ五輪の日本代表に内定します」

 それほど勢いのある藤波は、果たして吉田沙保里を超えるような選手に成長することが出来るのだろうか。

 長年、吉田沙保里をコーチして来た元日本女子レスリングの監督で、現在、至学館大学レスリング部監督を務める栄和人氏に2人についてのプレーについて聞いてみた。栄監督は都合4回の五輪で監督として日本チームのメダルラッシュを茶の間に見せてくれた功労者である。


「近くで藤波、離れて沙保里」

「藤波と沙保里はどちらも天才肌の選手ですが、藤波のほうは得意の低いタックルに行ってつぶされても復帰できる力があります。それと比較して沙保里の場合はつぶされるとなかなか復帰ができず、細かいところの対処処置が苦手な面がありました。

 一方、両者とも間の取り方は上手ですが、特に沙保里は天才とも思えるほどの間で攻撃できるんです。それでいて相手にはタックルをさせずに触らせないテクニックもあります。

 沙保里のタックルは一発で仕留めるのが特徴ですかね。これも相手との間、距離が絶妙なんです。離れていても近くてもどちらでもこの2選手は攻撃ができますが、強いて言うなら『近くで藤波、離れて沙保里』というスタイルの違いがあります。

 藤波は手さばきが上手で、相手選手に触ったところから攻撃に変えることができるんです。まあ、年代も違うし階級も違っているから比較は非常に難しいですが、藤波が何十年に一度出てくるかどうかというレベルの天才なのは間違いありません。私は天才・沙保里のコーチとして恵まれた時代を過ごせましたが、藤波の試合を見られるというのも恵まれていると感謝しています」

 このように、栄監督も藤波の才能と実力を絶賛する。


直前まで最悪のコンディションだった吉田沙保里のロンドン五輪

 だが、藤波が目標としているオリンピックの金メダルは、それだけではつかみ取ることが難しい。事実、圧倒的強さを誇った吉田沙保里でも、オリンピックで絶体絶命のピンチがあったのだという。

 栄監督がロンドン五輪の知られざるエピソードを明かしてくれた。

「ロンドン五輪では沙保里が選手団の主将に選ばれて旗手として入場行進の先頭を歩いたのですが、そのために自分の試合よりもかなり前にロンドンに到着していかなければならなかった。そのため練習のスケジュール調整が上手くいかなくて沙保里の体調も悪くなり、不眠を訴えるようになっていました。3度目の金メダル獲得を目指してロンドンに入ったのに、私の目から見ても最悪のコンディションです。

 練習パートナーとして連れていった格下の選手と練習試合をしても負けてしまうんです。『沙保里さん、ヤバいっす。あれでは私の方が選手として出たほうがいいです』ってパートナーからも言われるほどの状態でした。もちろん他の選手が代わりに出られるわけがありませんが、そのぐらい調子が悪くて沙保里も落ち込んでいました。この時は『もう3連続金メダルは無理だ』と心の中で私も思っていました。

 それがちょっとしたきっかけで沙保里の心境が一変したんです。レスリングの大会が始まって一日目に出場した48キロ級の小原日登美が金メダルを獲得したんですが、彼女が試合後に選手村の沙保里のところにきて、沙保里に首から下げた金メダルを見せにきてくれたんです。そしたら沙保里の目がパッと輝いて『私はこのメダルを取るために苦しい練習を耐えてきたんだから、必ず持ってかえるよ』と自分に言い聞かせるように言ったんです。心の底から闘志が湧いてきたんでしょうね。アレが沙保里にとっての一番のクスリだったと今でも思っています。

 調子が最悪だったことも当時は内緒でしたけれど、沙保里にもこんなピンチがあったんです」


藤波は「ワクワクさせてくれる選手」

 では吉田沙保里の築いた前人未踏の個人戦206連勝、そして世界的な16大会を優勝の記録について、栄監督はどう思っているのか。藤波は吉田の記録を超えることができるのか。

「沙保里が負けたのは団体戦が多かったんです。なぜなら階級が上の選手との対戦が多くなるからです。レスリング協会が沙保里に『この階級で出てくれないか』と頼みにくると、彼女が断ることはほとんどありませんでした。『分かりました。出ますから』と二つ返事で引き受けてくれた。協会としては頭の下がる選手なんですよ。

 もし団体戦に出ずに個人戦だけに出てきたら連勝記録はもっと伸びたかもしれないですね。

 藤波が沙保里の記録を抜く可能性ですか……。それは分かりませんが、抜く可能性がある選手の筆頭は藤波だと思います。本当に見ていてワクワクさせてくれる選手です。ファンの皆さんも是非とも藤波の試合に注目をして欲しいと思います」

 吉田沙保里と藤波朱理——。この2選手のことを語る監督の口から「天才」という言葉が出た回数は数えきれない。日本のレスリングを何十年も見つめてきた監督が「数十年に1人の逸材」と絶賛するのだから、女子レスリングのニューヒロイン藤波朱理のパフォーマンスをフォローしない手はない。パリ五輪での金に意欲を燃やす彼女のこれからの成長に注目したい。

筆者:神宮寺 慎之介

JBpress

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