浄瑠璃寺の九体阿弥陀のうち1体ほか、平安時代の仏像を東京で拝む貴重な機会

2023年10月3日(火)12時0分 JBpress

文=吉田さらさ 撮影=JBpress autograph編集部


京都府の最南部、奈良県との県境に位置する南山城

「京都、南山城」と言われて、すぐにどのあたりだかわかる人は、かなりな京都通、仏像通であろう。山城国というのは京都府の南部地域を指す旧国名で、それにさらに南がつく南山城は京都府の最南部、奈良県との県境に位置する。

 このあたりは滋賀県、三重県などにもつながる交通の要衝であり、平城京、平安京の影響も受けて古くから仏教文化が栄えてきた土地柄だ。優れた仏像が多いことでも知られるが、交通の便がよくないため、思い立ったらすぐ会いに行けるというわけではない。それだけにますます思いが募る美仏の数々。それらがわざわざ東京まで来てくださるのだから、この機会を絶対に逃してはならない。

 まずは展覧会の副題にもなっている「浄瑠璃寺九体阿弥陀」について。浄瑠璃寺は南山城でももっとも南寄りにある当尾というのどかな里にあり、隠れ寺のような風情と他では見られない印象的な仏像群で人気が高い。何しろここには、美しく慈愛に満ちた阿弥陀如来坐像が九体も並んでいるのだ。

 この九体の阿弥陀様には2018年から5年の歳月をかけて修復が施され、その完成記念としてこの特別展が開催されることになった。そしてその九体のうち一体がこの会場に展示されている。わたしも浄瑠璃寺には何度かお参りしたが、まさかお寺の外でこちらの阿弥陀様にお会いする日が来るとは思ってもみなかった。

 なぜ阿弥陀如来像が九体あるのか。それは、平安時代に流行した末法思想に由来する。人々は、末法すなわち仏の教えが正しく伝わらない乱れた世の中がやってくると恐れ、極楽往生を願う浄土信仰が広まった。浄土信仰では、生前に徳が高かった人は菩薩、飛天などが勢ぞろいのお迎えがやってきて素早く極楽に行け、それほど徳が高くなかった人はお迎えもなくのろのろ極楽に行くと説いている。

 その段階は九つあり、それぞれに対応する阿弥陀如来が必要となるため、お堂に九体の阿弥陀如来像を並べることが流行した。文献資料により30例ほどもあったことが確認されているが、九体阿弥陀とお堂が平安時代の姿のまま現存しているのは浄瑠璃寺だけ。というわけで、そのうち一体が東京に来てくださったのは本当に特別なことなのである。

 今回はじめてこの阿弥陀様にお会いする方は、会期終了後にぜひ、当尾の浄瑠璃寺まで足を運んでいただきたい。九体の阿弥陀仏が並ぶ静謐なお堂とその前の池の風景は、平安貴族が思い描いた極楽浄土そのものである。


平安時代の貴重な仏像が揃う

 今回は、岩船寺の普賢菩薩騎象像に再会できたことも嬉しかった。この寺は浄瑠璃寺と同じく当尾の里にあり、アジサイをはじめとする四季の花に囲まれた静かなお堂で、普賢菩薩様と対面できる。仏教において女人は成仏できないものとされるが、普賢菩薩だけは女人を救済してくれるため、特に女性に厚く信仰された。

 文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍になることが多く、単独で祀られることは少ない。その中でも、こちらの像は美しさが際立っている。女性の守護神のためか、お顔立ちも女性的でポーズもたおやかだ。昔、この普賢様にお会いしたくて、浄瑠璃寺からの山道を歩いて行ったことを思い出す。当尾の里は路傍の石仏も多く、歩いていると、中世を旅しているような心持ちになって来たものだ。

 旅と言えば、海住山寺への山道もなかなかたいへんだった。優れた仏像にお会いするためには相応の苦労も必要なのである。こちらで著名なのは、まず国宝の五重塔。そして本堂に祀られる立派な十一面観音菩薩立像である。しかしこの寺にはもう一体、奥の院に伝わってきた素晴らしい十一面観音菩薩立像もあり、そちらが今回展示されている。

 像高45・5cmと小さいながらバランスの取れたお姿を、正面からだけでなく、横からもよく見ていただきたい。おなかを少し突き出すような反り気味のポーズがなんと優美であることか。頭上の十一面も、一面を除いて、ほぼ完ぺきに造られた当時のままであるという。優しい菩薩面からあざけり笑いをするような大笑面まで、さまざまな表情がある。これは、あらゆる方向を見渡し、罪ある人も含めてすべての人を救う観音様の力を表している。

 寿宝寺からお出ましの三体も、特筆すべき仏様たちだ。まずは、実際に千本の手がある千手観音菩薩立像。千手観音は文字通り千本の手で無数の人の願いを叶える力を持つが、千本近くの手がある像が造られたのは奈良時代までで、平安時代以降は42本に省略されることがほとんどである。この像は12世紀、平安時代も後期のたいへん珍しい作例だ。

 千本も手があると造形的に難しいだろうと思うのだが、この像は羽ばたく鶴のように自然で美しい形である。視線がかなり下向きなのも印象的だ。薄暗いお堂でお会いすると、目が合った瞬間、「わたしがおまえを救う意味がどこにあるか、よく考えなさい」と言われているようでどきりとする。

 その像の左側には降三世明王立像、 右側は金剛夜叉明王立像が屹立している。これは五大明王と呼ばれる異形の明王像の中の二体で、もともとは別の寺にあったものが寿宝寺に移されたのだそうだ。降三世明王は三面六臂、三つある顔の額には、それぞれ第三の目がある。足元にいるのはヒンズー教の神であるシヴァ神とその妻。異教の神を踏む形が、数ある仏像の中でもひときわ異彩を放つ。金剛夜叉明王も三面六臂、どのような障害をも貫く力を持つとされる。どちらもダイナミックなポーズで、今にも動き出しそうだ。

 松尾神社の牛頭天王坐像も、博物館展示でもなければ、めったに見られないものだろう。牛頭天王は祇園精舎の守護神であり、京都の八坂神社の祭神でもある。神仏習合の神であり仏でもあるためか、神像に近い印象を受ける。頭の上に牛を乗せた姿はユーモラスでかわいらしく、はじめてお会いできた嬉しさに、思わず笑みがこぼれた。こんな素敵な像まで連れてきてくれた今回の特別展に心より感謝である。

筆者:吉田 さらさ

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