「デザイナーになるつもりはなかった」折原志津子がフィギュア衣装を作る理由

2023年10月5日(木)12時0分 JBpress

文=松原孝臣 撮影=積紫乃


「やっぱり布が好き」

 フィギュアスケートの衣装デザイン、製作において、折原志津子は確固たる位置を占めてきた。

「服飾のデザイナーになるつもりなんてまったくありませんでした」

 と、意外なことを言う折原は、東京藝術大学の工芸科に学んだ。

「布が好きだったので、染色科に行こうと思って工芸科に入ったんです。工芸科の中には金属つと陶芸と漆と染色に分かれていて、1、2年は全部をやるんですけれど、3年からの専攻でやりたい方向に進む感じです。ですので、1,2年はひととおりのことをやり、3年生から染色のことをやりました。染めたり織ったりですね」

 ただ、それを職にしようとは思っていなかったという。

「私は主婦になると思っていたので、ばりばり働く予定はなく、ただ好きで行っただけでした」

 その後、「ちょうど父と母が無効にいたので」、ドイツ美術大学に入学する。そこで学んだのに加え、ヨーロッパのあちこちに行ったことが大きかったと振り返る。

「ひたすらいろいろなものを見ました。いろいろな材料も見ることができましたし、布屋さんもいろいろなところに行きました」

 ドイツで学んでいる間、目に留まった日本の会社があった。

「すごい可愛いニットを作っている会社があったので、ここに雇ってもらおうと思いました。全然募集もしてなかったんですけれど、『入りたいです』と作品を送りつけたら、面接しますということになって。じゃあ帰ろうと思って帰国してそこに入りました」

 1年勤めたあと、「自分でやろう」と退職する。

「今度は雑誌社などに自分の作品を送りました。そうしたら仕事をもらうようになり、雑誌やテレビの仕事をするようになりました。作品に興味を持ってもらえたのだと思います」

「全然働く気なかったのに」と笑う。

 最初の仕事は編み物、布に関する仕事、編み物と布を組み合わせるようなことをしていた。

 それらにとどまらず、「これ作れる?」と聞かれて造形を手がけるなど、幅広く請け負った。

「できることはすべて引き受けていましたね。何でもやりました。大学のとき、いろいろな素材を扱っていたのがいきたというか、分かるようになっていたのがよかったかもしれませんね。金属も陶芸もやりましたし、それこそ刃物を研ぐところからやっていたので、どんな材料でも抵抗がなかったです。やっぱり布が好きですけど、今でも例えば髪飾りをつけるパーツとか、売っているのを買えばいいんですけれど、自分で作りたいという気持ちがあります」


「うちのもお願いしたい」

 そのとき、転機へとつながるきっかけがあった。娘の裕香がスケートを始めたことだ。

「なんか、くるくる踊っているのが好きな子だったんですよ。たしか荒川静香さんがオリンピックで金メダルを獲った頃で、祖母が何か1つ習い事を、踊るならバレエかスケートと聞いたら『スケートがいい』と。週1回、東大和でスケートを始めました」

 折原自身、フィギュアスケートは好きだった。

「伊藤みどりさんの頃からテレビでやっていれば観ていましたね」

 裕香の練習着を折原は作ってあげた。すると、スケートを習わせている他の親から作ってほしいと頼まれるようになった。練習着に限らず、試合用の衣装も頼まれた。

「練習着も黒とかばかりでつまらないじゃないですか。ですので、練習着も可愛くしようと思って作っていました。娘は『今日試合なの? って聞かれた』とよく言っていました。いろいろなのを作りましたね。生地もちょっとの量でいいですし、すぐにできますから」

 やがて裕香は全国大会に出るようになると、折原が手がけた衣装は多くの人の目に留まるようになった

「すると地方の先生から、『うちのもお願いしたい』と依頼されるようになりました」

 同じリンクに通う子どもたちの衣装から、全国へと依頼元は広がっていった。

 すると、あるスケーターの衣装の依頼が舞い込んだ。鈴木明子だった。

「おそらく裕香の衣装を見て依頼してきた先生のところの子を何人か手がけたのですが、同じ先生だったからではないでしょうか。鈴木明子さんはそんなに細かい指定はほぼなかったですね。(2012-2013シーズンのフリー)『O』のときだけ画像が2枚くらい送られてきて、『こんなイメージで』みたいな感じでありましたが、細かい指定はいつもなかったですね。年を追うごとに指定がなくなり『お任せします』という感じでした」


古典的なデザインにはしたくなかった

 羽生結弦の3つのプログラムも手がけることになった。

「羽生君の先生から『お願いできますか』とお話がありました。最初のときの『ホワイト・レジェンド』(2010-2011シーズンのショートプログラム)はデザインだけお願いされて、お母さんが製作されました」

 2011-2012シーズンのショートプログラム『悲愴』、フリー『ロミオとジュリエット』では製作まで担った。

「『ロミオとジュリエット』は、古典的なデザインにはしたくなかったという思いがまずありました。『ロミオとジュリエット』だとこうだ、みたいなデザインがありましたよね。そうではないものにしたかったですね。首をネックにしたり、こういうのを着たら素敵だろうなとか、そういうことを考えてましたね」

 こうして折原は、トップレベルにあるスケーターをはじめ、多くのスケーターの衣装を手がけるようになっていった。(続く)

折原志津子(おりはらしづこ) 衣装デザイナー。フィギュアスケートの衣装のデザイン、製作を一貫して行なう。東京藝術大学工芸科を卒業後、ドイツの美術専門大学に留学。その後フリーランスでニット・アパレル・クラフトのテレビや書籍、雑誌等の仕事を経て、2007年にMu-costume designを立ち上げる。

筆者:松原 孝臣

JBpress

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