豊臣秀吉はなぜ、主君・織田信長に気に入られたのか?忍耐強さと創意工夫

2023年10月18日(水)5時50分 JBpress

 歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。そのなかには、有能なリーダーもいれば、そうではない者もいました。彼らはなぜ成功あるいは失敗したのか?また、リーダーシップの秘訣とは何か?そういったことを日本史上の人物を事例にして考えていきたいと思います


信長に仕える前の秀吉は?

 豊臣秀吉は、貧しい家の出で、容姿も冴えなかったが、織田信長に仕え、武功を重ね、ついには織田家の重臣として、重用されるにまでなりました。信長に仕える前の秀吉に関する逸話が、戦国時代に来日したスペイン人貿易商人のアビラ・ヒロンの著作『日本王国記』に掲載されています。この逸話が、どこまで「史実」を反映しているかは別として、信長に仕える前の秀吉にまつわる史料としては貴重なものではあるでしょう。

 同書によると、ある時、秀吉は同僚らと言い争いになったと言います。彼らが仕える主人がその理由を秀吉に聞くと「同僚らが多くの薪を使っている」ことを秀吉が指摘したことが要因とのこと。秀吉は薪の消費は少量で良いと考えていたので、無闇に多くの薪を使う同僚らの行為が、腹立たしかったのでしょう。

 秀吉の声を聞いた主人は、すぐに秀吉を「酒造りの役人」に採用します。それまで秀吉は、山から薪を拾ってくる仕事に従事していましたが、そこから抜け出せたのです。

「酒造りの役人」ですから、当然、秀吉には部下(作業従事者)がいます。この逸話が本当だとすると、この時、秀吉は初めて指導者的な立場となったと言えます。

 秀吉は、酒造りの作業従事者らに、的を得た指示を与えたそうです。主人は、秀吉に恩賞を与えなかったようですが、効率的に仕事ができる仕組みは整ったとのこと。秀吉の賢明さは「彼は貧しい家の出ではなく、高貴な人の息子ではないか」との噂を伴ったそうですので、余程のものだったのでしょう。


秀吉が自腹をきって物品を購入?

 信長に仕えるようになってからの秀吉にも、彼の賢さと仕事熱心さを示す記述があります。朝鮮は李朝の儒者・姜沆はその文集『看羊録』において、信長に仕える秀吉を「一心に奉公し、風雨、昼夜もいとわなかった」と評しています。また、信長は市場において、部下に高価なものを購入させたが、その値段が少しでも合わないと、買わずに返品させたそうです。 

 ところが、秀吉にその仕事をさせるようになってからは、安い値段で貴重なものを購入してきたとのこと。しかも、その作業が早かったので、信長はとても不思議がったとの話も同書に掲載されています。

 が、この話には、秀吉が自腹をきって物品を購入していたとの裏があったようですね。秀吉はそこまでして、信長の歓心をかおうとしていたのですが、「悪知恵」が働くと言えば、言えるのかもしれません。

 先ほど、信長に仕える秀吉を「一心に奉公し、風雨、昼夜もいとわなかった」と評する一文を載せましたが、それは何も朝鮮の人が書いたものだけに載るのではなく、日本の史料にも登場します。『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が書いた信長の一代記)には「(秀吉は)昼も夜も休まずにかけ回ったのである。秀吉のこの度の懸命な戦いぶりは比類のないものであった」(巻十)とあります。

 それは信長もよく認識していたようで、後(天正8年=1580)に重臣・佐久間信盛を追及・追放する時に、「数ヶ国にわたる活躍も比類のないものであった」(同書 巻十三)と、秀吉を明智光秀や柴田勝家らと並べて称賛しています。

 秀吉の出世は、彼のがむしゃらに働く姿勢に裏付けられていたのです。そしてそれは、上司(信長)に仕事を押し付けられて嫌々というのではなく、自発的なものだったのです。もちろん、職務怠慢と信長に思われてしまえば、先ほどの佐久間信盛のように追放されてしまう可能性が高くなりますので、懸命に働き、しかも実績(武功)をあげるしかなかったのかもしれません。しかし、それより何より、秀吉の元からの性格が、忍耐強く懸命に働くというものだったということも大きいとは思われます。

 かつて、松下幸之助氏(1894〜1989)は「額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。それは東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。東海道五十三次も徒歩から駕籠へ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと、日を追って進みつつある。それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿である。そしてそこに、人間生活の進歩の跡が見られるのではあるまいか。人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう」(『道をひらく』PHP研究所、1968年)と述べています。

 秀吉は確かに、松下氏の言うように「額に汗」して懸命に働いていました。が、単に無闇にがむしゃらに働くというのではなく、そこには、酒造りや買い物の逸話で見たように「創意工夫」がありました。信長が秀吉を重用した1つの理由は、仕事が早いということや、創意工夫、仕事熱心さがあったからではないでしょうか。

(主要参考文献一覧)
・桑田忠親『桑田忠親著作集 第5巻 豊臣秀吉』(秋田書店、1979)
・藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007)
・服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012)
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013)
・濱田浩一郎『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス、2022)

筆者:濱田 浩一郎

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