「みんなが敵に見えた」1980年の判決で袴田巌さんの死刑が確定。57年後に手にした<無罪>を姉・ひで子さんが喜び伝えるも、巖さんに反応は無く…

2024年11月8日(金)12時30分 婦人公論.jp


検察は抗告を断念した(写真提供:Photo AC)

戦後最大の冤罪事件「袴田事件」。見込み捜査と捏造証拠により袴田巌さんは死刑判決を受け、60年近く雪冤の闘いが繰り広げられてきました。88歳の元死刑囚と袴田さんを支え続けた91歳の姉、「耐えがたいほど正義に反する」現実に立ち向かってきた人々の悲願がようやく実現——。ジャーナリスト粟野仁雄氏、渾身のルポルタージュ『袴田巖と世界一の姉:冤罪・袴田事件をめぐる人びとの願い』から一部を抜粋して紹介します。

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初めて泣いたひで子さんが帰宅後、巖さんに掛けた一言


少し「嫌な予感」も脳裏をよぎらせていた雨が、この瞬間を祝福するかのように直前に晴れ上がった。

2023年3月13日午後2時過ぎ、弁護団若手の西澤美和子、戸舘圭之両弁護士が東京高裁の庁舎から正門へと走ってきた。押し寄せた報道カメラに向けて〈再審開始〉〈検察の抗告棄却〉の垂れ幕を誇らしげに掲げた。

東京高裁の大善文男裁判長は「元被告人を犯人と認定することはできない」として検察の抗告を棄却した。これにより、2014年3月の静岡地裁(村山浩昭裁判長)による再審開始決定が9年かかってようやく認められたのだ。

まもなく茶封筒を持った巖さんの姉のひで子さんと弁護団の小川秀世事務局長、笹森学弁護士らが歓声の中、満面笑みで登場。

ひで子さんは「ありがとうございます。遂に来ました。57年間待っておりました。皆様のおかげです。本当に嬉しゅうございます」などと涙顔で話した。

気丈なひで子さんの涙を、この日初めて見た。9年前は泣かなかったそうだ。40年以上戦ってきた小川事務局長も、「よかった。嬉しい。これで絶対に終わらせます」と涙が止まらない。

この日、巖さんは浜松市の自宅に「見守り隊」(猪野待子隊長)の人たちと残っていた。日課のドライブで立ち寄った神社で報道陣に囲まれ、「勝つ日だと思うね」と答えたという。

市民団体の実験を裁判所が評価


日本弁護士連合会で記者会見したひで子さんは

「本当に嬉しい。(死刑が確定した)1980年の最高裁の判決の時はみんなが敵に見えた。その気持ちが日弁連など多くの人の支援で薄れていきました。抗告があるかもしれませんが頑張っていきます」

と力強く語った。

質疑で巖さんへの報告を訊かれると

「具体的なことは言いません。『いいことがあったよ。安心しな』とだけ言います」

などと話した。

この日、ひで子さんは「東京に行ってくる」とだけ言って出てきていた。

東京高裁の決定(要約)


(1)犯行時の着衣の血痕の色調変化に関する弁護側の実験や鑑定書は信用できる

(2)弁護側の衣類の味噌漬け実験の結果は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当し、袴田巖元被告を犯人とした確定判決に合理的な疑いが生じる

(3)犯行時の着衣は捜査機関が事実上、捏造した可能性が極めて高い

(4)再審開始として死刑と拘置の執行を停止した静岡地裁決定を支持する


『袴田巖と世界一の姉:冤罪・袴田事件をめぐる人びとの願い』(著:粟野仁雄/花伝社)

「市民の会」(楳田民夫代表)の山崎俊樹事務局長が血痕の色の変化を確かめるために20年かけて実施してきた「味噌漬け実験」が司法の場で評価された。

これだけ重要な裁判で一市民の実験を裁判所が評価するのは異例だ。

山崎氏は「素人の実験を認めてくださりありがたい。味噌に漬けた血痕がどうなるかという研究などをした専門家はいないので、私たちの実験が唯一無二だったからでしょう」と謙遜した。

検察側も味噌漬け実験の写真は、白熱灯で照らして撮影したため赤みが残って見えた。しかし、大善裁判長が静岡地検に行き、実験を直接確かめた。

間光洋弁護士は「裁判官が直接見てくれなかったら検察写真でごまかされたかもしれない」と振り返る。

書面審理、法廷審理に追われる中、現場に出向く裁判官は稀有だ。とはいえ、9年前の再審開始決定と比べると、「最高裁の前例に抗って」の決定ではない。その意味ではハードルは村山決定より低かったかもしれない。

再び見せた涙


翌日、ひで子さんは参議院議員会館で開かれた弁護団の報告集会に参加した。「袴田巖死刑囚救援議員連盟」の塩谷立会長はじめ、鈴木宗男さんと娘の貴子さん、福島みずほさんら国会議員らが次々と挨拶した。

ひで子さんは

「巖にはまだ決定のことは言ってません。『再審開始になったよ』と言ってもわからないでしょうから、『すごくいいことがあったよ』と伝えます。本当にありがとうございました」

と再び声を詰まらせた。

えん罪被害者や支援者らも続々と発言した。「布川事件」の桜井昌司さんは

「本当によかった。(ひで子さんを)よく見たら泣いているんですよね。でも私は腹が立っている。なんでこんなに長いんですか。再審開始のハードルを下げるとかいうことを検察が言っているとか聞きますが、そんなことは検察が決めることではなく国民が決めること。あの人たちが司法を動かしているように言うのは大間違い。常識があれば真空パックなどにしますか」

と憤った。桜井昌司さんはこの5か月後の8月に亡くなった。享年76歳。

大阪市東住吉区の女児焼死事件の青木惠子さんは「私は2014年に獄中(のテレビ)で巖さんの釈放を見ました。無期懲役の私には死刑囚の袴田さんの辛さはわからないけど、私も(無罪の決め手は)再現実験でした。仲間が勝つことは本当に嬉しい」などと語った。

『それでもボクはやってない』 (2007年)の映画監督の周防正行さんも登場。

「袴田事件は、そもそも捜査に著しく違法性があり、取調べでの違法性は明らか。(現在でも、取調べの)録音・録画は裁判員裁判や検察の独自捜査などに対象が限定されている。録音・録画を行っても違法な取調べが何件もあり、弁護士の立会いの法制化など見直しを進めるべき」と話した。

「公益の代表者である検察」の紙切れ1枚にもならない短いコメント


日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会の新田渉世委員長は、「決定のパンチで検察をロープ際まで追い詰めた。立ち上がって来るかもしれないが完全にノックアウトしましょう」と拳を握った。

プロボクシングヘビー級の草分けで、熱心に支援活動をしてきた市川次郎さんは質疑で「こういう時、どうして検察は記者会見に出てこないんですか?」と問題提起した。

決定後、東京高検は山元裕史次席の「検察官の主張が認められなかったことは遺憾。決定の内容を精査し、適切に対処したい」とのコメントを出しただけだ。

「公益の代表者」たる検察は、なぜ紙切れ1枚にもならない短いコメントで済ませるのか。市川さんの質問は、マスコミが「当然」と済ませていることへの重要な問題提起だった。

16日、浜松市のひで子さんに電話し、巖さんとのやりとりを尋ねた。

「『東京でいいことあったんだよ』と伝えましたけどね。巖はほとんど反応がなく、ポカンとしていて喜びもないような顔で何も言わなかったですよ。それでも新聞の一面に袴田事件が出ているからそれをじっと見ました。自分のことが書いてあるということだけはわかっているんですけど、何か言ったりはしませんし、私から感想を訊いたりもしませんでした」

「2014年の村山さんの決定の時はね、支援者の皆さんみんなが泣いていたけど、私はもう嬉しくて嬉しくて、ずっとニコニコしていましたよ。でも今回は泣いてしまいましたね。私も歳を取ってしまって涙腺が緩くなってしまったんですよ。きっと」

ひで子さんは電話の向こうでコロコロと笑いながら語ってくれた。

東京高検「抗告断念」の一報。その時、2人は…

東京高検の最高裁への特別抗告の期限は5日間(土日は除外)で、2023年3月20日の月曜日がそのリミットだった。

再審開始決定を一面で報じた3月14日付の毎日新聞朝刊には「検察側は最高裁に特別抗告する方針」と書かれていた。

決定は「捜査機関の証拠捏造」を指摘したため、メンツを重んじる検察は抗告するのではとも懸念していた。

捜査機関の発表に先駆けて報道することを業界では「前打ち記事」というが、相当の確度がない限り、トップ記事で「特別抗告の方針」とは書かない。筆者は特別抗告すると悲観した。

14日午後、参議院会館で院内集会(報告会)があった。弁護団の西嶋勝彦団長に駆け寄って「毎日新聞が抗告するって書いていますよ」と知らせると、「えっ、本当、そうなの。知らなかった」と驚いた。

経緯説明のため登壇した西嶋氏は「特別抗告するという報道もあるようだがけしからん話です」と怒った。

驚きの「検察は偉かったよ」


3月20日。東京高検前で弁護団はもちろん、新田渉世氏、元日本ジュニアフェザー級王者の真部豊氏らボクシング関係者、日本国民救援会の瑞慶覧淳氏ら支援者たちは、最後まで抗告断念を訴え、山崎さんも支援者らと最後の「座り込み」を行っていた。

筆者は約束していた午前10時に、浜松市のひで子さん宅を訪れた。巖さんは食卓で朝食のデザートを食べた後、テレビのある部屋に戻った。外では若い記者やカメラマンたちが大勢、待機している。

4時から東京の記者会見にリモートで登場するとのこと。「じゃあ、その様子を取材したいので、夕方また来ます」とお願いすると、ひで子さんは「どうぞ、どうぞ」。

午後4時に再訪すると、ひで子さんと「袴田さん支援クラブ」の猪野待子さんが居た。自分でパソコンを扱えるひで子さんは、東京の記者たちとのリモート会見の準備をしていた。

会見が始まり、ひで子さんの様子を撮影していた。午後4時半前、猪野さんがひで子さんを「来てえ、おねえさーん」と玄関に呼んだ。

そして、「抗告断念だって」と叫んだ。東京にいた同クラブの白井孝明氏からの一報だった。

「やったあ」と声を上げ、玄関に貼ってある巖さん主演のドキュメンタリー映画のポスターの前で抱き合い小躍りする2人を撮った。そのうち、巖さんが地元支援者の清水一人さんが運転するドライブから帰宅した。

巖さんはソファにどかっと腰を下ろした


ひで子さんは、「よかった。よく頑張った。偉かった。もう安心しな。巖の言った通りになったね」と駆け寄り、頬を寄せんばかりに伝えた。

本人はぽかんと座っていた。

報道陣としてその様子をスクープ撮影できた。この写真は『週刊金曜日』の表紙を飾った。

次々とかかる祝福の電話にひで子さんは「検察は偉いよ、偉いよ」と言っていた。耳を疑った。なんという懐の深さか。KOチャンスに相手を追いこまない弟と同じだった。

「世界一の姉」に握手を求めた筆者は、思わず涙ぐんだが、ひで子さんは笑っていた。外で待つ報道機関のため、ひで子さんは青空会見をした。

猪野さんもこの日の様子を説明し「ひで子さんが喜んで伝えても、巖さんは反応がなかった。対照的だった2人の姿こそが、この事件の残酷さを象徴していると感じました」と話した。

※本稿は、『袴田巖と世界一の姉:冤罪・袴田事件をめぐる人びとの願い』(花伝社)の一部を再編集したものです。

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