認知症で1年以上、行方不明の父「見つからないで…」という気持ちも相半ばする家族の葛藤
2024年12月10日(火)6時0分 週刊女性PRIME
「父がいなくなって1年半、帰ってほしい気持ちと、見つかってほしくない気持ちに揺れながら、今も捜しています」と、認知症行方不明者家族の会・代表の江東愛子さん。年金受給はストップする一方、介護保険料は支払いが続くなど、金銭的な問題も。家族が抱える困難と、それを防ぐ取り組みとは。
親が高齢になると認知症の不安が頭をよぎる人は少なくないはず。厚生労働省の調査では、2025年には65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症を患うと推計している。認知症になったら、介護の負担が伴うのは必至。そこに、見落とされている大きな問題があるのをご存じだろうか。
散歩に出たまま行方不明の父
「昨年4月、当時73歳で軽度の認知症だった父が、夕方の散歩に出たまま行方不明になってしまいました。いまも消息はわかっていません」
こう語るのは長崎市在住の江東愛子さん。徘徊は今まで一度もなかったにもかかわらず、突然の出来事だった。
江東さんの事例は決して珍しいことではない。警察庁によると、2023年に認知症やその疑いで行方不明になった人は延べ1万9000人余りに上り、統計史上最多を記録。年々増加の一途をたどっており、10年で約2倍となっている。
認知症行方不明者はなぜ増え続けているのか。介護職経験を持つ、淑徳大学社会福祉学部教授の結城康博先生は次のように背景を読む。
「認知症患者が増える中、高齢者の一人暮らしや夫婦のみの世帯も増えています。家族の介護力はどんどん減退して、見守るのが難しくなっている。たとえ親子で同居していても、子どもは日中仕事なので家にずっといられない。認知症の介護には限界があり、徘徊などから行方不明につながっているのでしょう」
認知症の介護負担は人それぞれだが、親が行方不明ともなれば心労は計り知れない。しかし、実態が見えにくいため、残された家族に対するケアは十分届いていないのが現実だ。
散歩が日課で電話番号も言えた父
今年9月、認知症による行方不明者家族を支援する全国初のNPOが長崎市で発足した。その名は「NPO法人いしだたみ・認知症行方不明者家族等の支え合いの会」。冒頭に登場した江東さんが同法人の代表者だ。“いしだたみ”は父親がオーナーを務め、家族で営んでいたレストランの名前からとっている。
「私自身も含め、認知症行方不明者の家族はさまざまな困難や苦悩を経験しています。同じ境遇を持つ当事者同士がつながり、心のよりどころにできる場をつくりたくて会を立ち上げました。当事者家族の集いや相談、啓発活動などが主な事業内容です」(江東さん、以下同)
軽度の認知症を患っていた江東さんの父親、坂本秀夫さんが、行方不明になった経緯を聞いた。
前述したとおり、夕方の散歩が事の始まりだった。
「父は散歩が日課でした。その日も朝、昼と散歩し、帰宅しています。夕方もいつもどおり散歩に出かけ、夕食前に戻るはずでした」
坂本さんは長崎市内でレストランを経営し、長年シェフとして腕を振るった。2012年、62歳のときに若年性アルツハイマー型認知症を発症したが、6年ほど仕事を継続。引退後、デイサービスに通う日々でも、認知症の進行は緩やかで軽度なままだったという。そして失踪当日を迎える。
「散歩からの帰宅が遅いため、母が心配して父の携帯に電話をかけたんです。父は『いま帰りよる!(いま帰っているよ!)』と、いつもと違う強い口調で応じ、すぐ切ってしまった。同様のやりとりを3回ほどした後、充電が切れたのか電話がつながらなくなってしまって……」
こうして警察への連絡を決意し、いざ捜索が始められた。だが手がかりはなし。残された家族はここから孤独な闘いを余儀なくされることになる。
出口の見えない暗中模索の捜索が続く
「警察の捜索は3日で打ち切られました。以後、家族の力で何とかしなければなりません。とはいえ、どうやって父を捜し出せばいいのか、術はまったくわからない。不安を覚えつつ、手探りで行動を起こすしかありませんでした」
市内各所や山に入っての捜索、SNSを使った情報発信、自治体の掲示板へのビラ張りなど奔走。目撃情報はいくつか寄せられながらも、発見には至らず。次第に、江東さんの心は揺れ動いていく。
「早く見つけてあげたいと願う反面、山に分け入っての捜索では見つかってほしくないのが本音でした。絶対どこかで生きていると強く信じているからです」
月日が経過していくにしたがい、高齢の母親と衝突する場面が何度もあった。
「捜索に一生懸命な私に対し、母は『私生活も大事にして』『どこかで区切りをつけてほしい』などと言うのが、納得できなかったんです。でも母のほうも待ち続ける日々を受け、『区切りをつけたくてもつけられない。このまま人生終わるのかなあ』とこぼしたりして……」
そんな中、市内で白骨化した遺体が発見されたという報が今年6月に警察から入る。服装などが失踪時の父親とほぼ一致し、鑑定を待つことに。
「結果は父ではありませんでした。そのことを母に報告したら、『お父さんだったら、みんなに忘れられないうちに見つかってよかったのかも』と。言葉から母のつらい思いを知り、涙が止まらなかったのを記憶しています。ただその涙は、父だったら供養してあげられたんだなあと一瞬でも考えた自分が許せないことへの涙でもあった。複雑な気持ちでした」
「早く知っていれば」同じ後悔を減らしたい
江東さんは先のNPO法人を通じ、認知症行方不明者の家族に向けて有益な情報を発信している。
「行政の支援制度を知り、頼るのが第一です。認知症行方不明者の捜索協力を求められる『SOSネットワーク』はその代表格。私の場合、父が行方不明になったあとで知り、もどかしい思いをしました。一方、行政に不満を感じる点も。行方不明者の年金はストップされ、それが世帯主だった場合、残された家族は経済的な苦労を強いられます。行方不明から7年で提出可能な死亡届を出せば年金再開となるものの、亡くなったと認めたくない家族にはハードルが高い。加えて年金一時中止でも介護保険料の請求は止まらない。その他課題は多いと思います」
前出の結城先生は「介護は情報戦」とし、認知症介護は最たるものと指摘する。
「どれだけ介護情報を得ているかで明暗が分かれるということです。自分の親が認知症かもしれないと思ったら、徘徊などする前に、最寄りの地域包括支援センターに相談に行ってサービスを紹介してもらうこと。また、認知症患者やその家族のコミュニティーである『認知症カフェ』に足を運び、交流するのもいい。自ら積極的に情報を取りにいくことが大事ですね」
いまだ父親が行方不明の江東さん。行方不明から1年半が経過したが、絶対どこかにいると信じている。
「私たちと同じ苦しい思いをする家族を減らしていきたい。そう強く願って活動を続けていきます」
備えとして知っておきたい!
■SOSネットワーク
高齢者が認知症等で行方不明になったとき、地域の生活関連団体等が捜索に協力して、速やかに行方不明者を見つけ出す仕組み。全国の自治体で実施されている。認知症等で行方不明になる可能性がある人の情報を事前登録するのが原則。行方不明が発生した際には、タクシー会社などの協力機関(自治体により異なる)に情報が共有される。
■NPO法人いしだたみ・認知症行方不明者家族等の支え合いの会
記事に登場する江東愛子さんが代表を務める長崎市の団体。HPでは「もしも行方不明になった時に実施できること」と題し、実体験を踏まえた情報発信や捜索方法などを紹介している。「今年10月26日、オンラインで第1回の当事者家族同士の集いを行いました。同じ境遇の人を減らしたいという思いは、皆一致しています」(江東さん)
結城康博先生 淑徳大学総合福祉学部教授(社会保障論、社会福祉学)。介護職、ケアマネジャー、地域包括支援センター職員の仕事に従事した経験を持つ。最新著書『介護格差』をはじめ、介護関連の著書多数
<取材・文/百瀬康司 家族写真提供/江東愛子さん>