「殿」と親しまれた佐竹知事、「ぐいっとやった」や「貧乏くさい」の失言では批判
2025年4月19日(土)16時48分 読売新聞
花束を抱えて初登庁する佐竹知事(2009年4月20日、県庁で)
19日に任期満了を迎える秋田県の佐竹知事は、県職員時代から約半世紀にわたって地方行政に携わった。企業誘致や再生可能エネルギー産業の振興に尽力した一方、歯に
企業誘致に尽力
リーマン・ショックの余波が県内にも色濃く残った2009年に就任した佐竹知事が、「一丁目一番地」に掲げた政策は産業振興だった。
特に注力したのは県外からの企業誘致で、大手輸送機関連企業や情報関連企業など誘致件数は150件を超える。最後の県議会となった2月議会一般質問でも「若者や女性の活躍が期待される新たな雇用の場の創出につながっている」と実績を強調した。
一方、県の最重要課題である人口減少問題への対応は道半ばだ。知事に就任した当初、県人口は110万人を超えていた。独身者の出会いを支援する「あきた結婚支援センター」の開所や、移住・定住や少子化対策などに取り組む「あきた未来創造部」の新設など、あの手この手の対策を打ったが、県人口は17年に100万人、24年には90万人をそれぞれ割り込んだ。
2月議会で「人口動態と経済活力との間には相関関係があるとの考えに基づき、経済の活性化に尽力してきた」と振り返り、「思うに任せず、心残りだ」と悔やんだ。
在任後期、失言相次ぐ
3、4期目には危機意識に欠ける行動や失言も目立った。
17年に県内が記録的大雨に見舞われる中、ゴルフ旅行で県外宿泊し、豪雨対応の県の緊急会議を欠席した。加えて、当初は現役の県幹部2人が同行していたことを隠し、「県職員OBしか同行していない」と虚偽の説明をした。すぐに釈明したが、「汗をかいたもんだから、ぐいっと(酒を)やった」との発言は県内外から大きな反発を招いた。
23年10月には、以前に全国知事会議で四国を訪れたことに触れて、「酒はうまくないし食い物は粗末」「じゃこ天は貧乏くさい」と発言し、多くの批判が寄せられた。
その直後の記者会見で謝罪し、「地方自治に関わって五十何年という自信から、自信過剰になっているかもしれない」と反省の弁を述べた。自民ベテラン県議は「もともと失言放言癖があったが、忠告する人がいなくなったのかもしれない」と分析する。
議案否決、一度もなく
県議会とは一貫して良好な関係を維持した。「対話型のリーダーシップ」を掲げ、選挙でも自民党や社民党、連合秋田など幅広い政党や団体から支援を受けた佐竹県政で議案が否決されたことは一度もなかった。
野党県議は「バランスが良く、人の話をよく聞く。自民党が言ったから良くて、野党が言ったからダメという態度を示されたことは一回もない」と評価する。
佐竹知事は3月の記者会見で、知事に求められる資質について問われ、こう答えた。「『八方美人だ』って言われても、全部の政党会派を平等に扱う、平等に政策論争する。これが一番うまくいく
佐竹知事の経歴
仙北市出身。1972年に県庁に入り、地方課長や総務部次長などを歴任した。2001年には秋田市長選に出馬し、初当選。09年には同市長を任期途中で退任して出馬した知事選で初当選を果たした。佐竹北家21代目当主であり、県民からは「殿」の愛称で親しまれた。