「全員が死亡」「叔父さんがサメに襲われて死んだ」愛知県の“小さな島”で起きた、凄惨な“人食いザメ事件”の深いナゾ

2025年5月14日(水)7時20分 文春オンライン

 名古屋から“一番近い島”として知られる、愛知県・日間賀島(ひまかじま)。この周辺の海域で、12年のあいだに8件のサメによる襲撃があり、襲われた全員が死亡しているという。この知られざる「人食いザメ事件」はなぜ起きたのか?(全2回の1回目/ #2 に続く)


◆ ◆ ◆


日間賀島の“知られざる歴史”


 高速船は白波を蹴立てて、三河湾をひた走る。10分ほど走ったところでエンジンの回転する音が変わり、やがて船の舳先の向こうに、平べったい島が見えてきた。日間賀島である。


 名古屋から名鉄で1時間弱南に下って河和駅で下車。そこから河和港まで10分ほど歩き、高速船に乗り込んだ。オフシーズンの船内に観光客の姿はまばらだが、学校指定のジャージを着た高校生の姿もある。島から船で登下校しているのだろう。


 三河湾に浮かぶこの島は、愛知県に3つある有人島(日間賀島・篠島・佐久島)で最も小さく、面積は約0.75平方km、周囲は5.5kmしかないが、その歴史は縄文時代にまで遡る。この島の民は古の時代から漁業のスペシャリスト集団として知られ、この島で獲れた魚介類は〈全国的にも群を抜いて多く〉(日間賀島観光ナビ)、朝廷に献上され、とくに鯛は「御用鯛」と称され将軍家にも納められてきた。


 近年ではタコ漁が有名で、「日間賀島のタコ」を目当てに毎年28万人もの観光客が人口1600人ほどのこの島を訪れる。


 一方で、日間賀島には“知られざる歴史”もある。今となってはほとんど知る人もいないが、戦前から戦後の一時期にかけてこの島で人がサメに襲われる被害が相次いだのである。


サメ襲撃→死亡事故が続いた


 私が日間賀島のことを知ったのは6年ほど前、ふと「日本でサメが人を襲ったケースは実際どれくらいあるのだろうか?」と疑問を持ったことがきっかけだ。早速インターネットで調べてみると、過去に日本で起きたサメの襲撃事故をまとめたサイトが見つかった。


 そこで初めて、〈愛知県日間賀島〉という場所で1938年から1950年ごろにかけてサメによる連続襲撃が起こり、少なからぬ死者が出ていることを知った。


 それ以来、日間賀島のサメ襲撃事故について自分なりに調べていたのだが、上記サイトの“元ネタ”となった論文をようやく国会図書館で見つけたのが昨年のことだ。


 論文の著者は水産学博士の矢野和成。


 矢野は日本における“シャークアタック”研究の最前線を走る研究者として、将来を嘱望されていたが、2006年に40代の若さで逝去されたことは後になって知った。論文の執筆当時は、水産庁西海区水産研究所石垣支所の所属になっている。


 論文には、〈日本周辺海域で1935年から2002年までの間に起こったサメによる被害状況〉という表が掲載されている。


 篠島(しのじま)は日間賀島の南5kmほどの場所にあり、この篠島に隣接している小さな島が野島である。この表を見ると1938年から1950年までの12年の間に、日間賀島から篠島にかけての狭い海域で実に8件のサメによる襲撃が起き、襲われた全員が死亡していることがわかる。これだけ狭い海域でサメの襲撃による死亡事故が続いた事例は、日本では極めて異例であることは言うまでもない。


サメは人間を“食料”とみなして積極的に襲っていたのでは?


 そもそもサメという生物は“人食いザメ”と称される種類であっても、積極的に人を襲うことは滅多にない。


 この論文の著者である矢野も、


実際にはほとんどのサメ類は人間にまったく危害を加えない無害な生き物であり、水中生活に適応した素晴らしい生き物であることはあまり知られていない


サメ類による人的被害の発生は非常にわずかであることも頭に入れておく必要がある。また、危険なサメ類の種類も少なく、仮にサメに遭遇した場合でも事故につながらない場合の方が多い


 と何度も強調している。


 ごく稀に人がサメに襲われるのは、サメがエサとしているアザラシ類と誤認されたケースがほとんどだ。例えば、サーフボードに腹ばいになって沖に向かってパドリングをしているサーファーのシルエットは、下から見るとアザラシに似ているという。


 だが、この日間賀島における連続襲撃の記録からは、そういう偶発的な不幸では片付けられない“禍々しいもの”が漂っているように思えた。端的にいえば、私はこう考えた。


「この日間賀島のサメは——単独犯か、複数犯かは不明だが——人間を明確に“食料”とみなして積極的に襲っていたのではないか?」



島の周囲の水深は2〜3メートルと比較的浅いところが多い


 75年以上前の事故を検証することは不可能に近いが、もう少し詳しい情報(被害があった正確な日時、被害者のプロフィール、被害の状況など)が知りたかった。


 名古屋方面で取材があったついでに鶴舞中央図書館に足を伸ばし、事故があったとされる時期の地元紙の縮刷版をめくったが、サメの襲撃に関する記事は見つからない。


 そもそも、1938年といえば国家総動員法が制定され、日本が太平洋戦争へと突入していく最中であり、紙面は緊迫する国際情勢と国民生活に関する記事で埋めつくされている。さらに戦局が厳しくなるにつれ、物資不足で新聞自体がどんどん薄くなっていく。終戦から2年後の1947年でさえ朝刊は実質4頁しかなく、その限られた紙面でサメの襲撃が必ず記事になるかといえば、そうとばかりは言えないのかもしれない。


「私の親類に“叔父さんがサメに襲われて死んだ”という人がいて…」


 こうなったら一度、島に行ってみるしかないか——。そう考えた私は、日間賀島観光協会にメールを送った。75年以上前に日間賀島で起きたサメ被害について調べていること、事故のことをご存じかもしれない方にお心当たりはないか、という観光協会本来の業務からは逸脱した“お問い合わせ”を申し訳なく思いつつも、他に手がなかったのだ。


 するとメールを送った翌日、観光協会のIさんという女性から携帯に連絡があった。


「先日はお問合せいただき、ありがとうございました。お問合せいただいたサメの事件についてなんですけど、やっぱりかなり昔の事件なんで、知っているという方は今、島にはいらっしゃらなくて……」


 まぁ、そりゃそうだよな、と思いつつ、わざわざ電話をいただいたお礼を述べようとしたとき、Iさんが意外なことを言いだした。


「……ただ、私の親類に“叔父さんがサメに襲われて死んだ”という人がいて、その人を紹介することならできるんですが、どうしましょうか?」 

〈 「そうだね。わしの父親の弟だね」19歳でサメに脇腹を食いちぎられ…“連続人食いザメ事件”被害者の親族女性が語ったこと 〉へ続く


(伊藤 秀倫)

文春オンライン

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