岐路に立つ地方自治体、大合併には業務量増加と人手不足の「毒」も…市町村は「広域連携」に活路

2025年5月28日(水)17時0分 読売新聞

連携中枢都市圏の主な例

[戦後80年 昭和百年]地方<上>

 日本は戦後、政府の強力な権限で国全体を牽引し飛躍的な成長を遂げた。経済発展が一段落すると地方分権が進み、自治体の権限が強化されたが、今度は人口減少や住民意識の変化といった荒波が足元を揺らす。生活の基盤となる地域社会の戦後80年をみつめる。

 地方自治体は人口減少の中、連携を強化することで行政サービスを継続しようとしている。

 「心筋梗塞こうそくの患者です。出動をお願いします」。青森県八戸市(人口21万人)の市立市民病院から医師を乗せたドクターカーが走り出した。厳しい寒さの1月上旬、向かったのは30キロ離れた同県三戸町。患者を乗せた救急車と合流し、患者の60歳代男性に医師が人工肺を取り付け救命した。

 ドクターカーの運行は、2017年に八戸市と周辺7町村でつくった連携中枢都市圏(人口30万人)の共同事業の一つ。24年度の事業費は約2270万円で、8割を地方交付税で賄う。17〜24年度(2月末まで)で命を救ったケースは90件に上る。サービスを圏域全体に拡大した好事例だ。

 ほかにも、公立6医療機関の医師調整や圏域共通の交通ICカード導入など75の事業に取り組む。三戸町の沼沢修二町長は「合併に頼らずに自治体を存続させることができる」と期待する。

 インフラの維持管理でも連携が進む。約5300キロの下水道管が通る秋田県では、県と全25市町村が下水道事業で連携。23年に県と各自治体、公募の民間事業者の出資で株式会社「ONE・AQITA(ワン・アキタ)」を設立し、下水道事業の経営戦略や工事の積算を担う仕組みを整えた。

 自治体間で下水処理施設の統廃合も進め、秋田市では、今後50年間で少なくとも約120億円の費用縮減効果を見込む。担当職員が不足する市町村については、県が点検・保守業務を共同発注する。

 県内全域の高度な連携で、「秋田モデル」と注目される。県下水道マネジメント推進課の佐藤直人政策監は「人口減の中で、県と市町村の行政機能の一本化が重要になる」と強調する。

 国も、特定の業務を複数の自治体で共同処理する一部事務組合や広域連合などを含めた連携を推進。技術職員不足の市町村に都道府県から応援職員を派遣する事業などに対し、地方交付税を交付する。

 瀬田史彦東京大准教授(都市計画)は「人口減社会に対応した自治体のあり方を議論する時期に来ている。広域連携は不可欠で、国は手厚い誘導策を設計するべきだ。行政サービスの再編も必要になるため、人口減の課題を国民と共有することも重要だ」としている。

国と地方は「上下」から「対等」へ

 国と地方の関係は、地方分権の進展とともに大きく変化した。00年施行の地方分権一括法で、国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」へと見直され、国が自治体を指揮監督できる機関委任事務を廃止。国からの権限移譲も進んだ。

 内閣府は、自治体から分権改革の提案を受ける「提案募集方式」を活用し、大規模農地に関する権限移譲や、放課後児童クラブ職員の配置基準の緩和などを図ってきた。不十分との批判もあるが、地方の声を生かして一定の分権を進めてきたと言える。

 一方で、自治体の能力の限界もみえてきた。

 20年2月、横浜港で発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での新型コロナウイルスの集団感染では、県境を越えた患者の搬送が難航。横浜市や神奈川県だけでは対応しきれず、国が調整役を担った。

 この問題を契機に昨年9月、国から自治体への「指示権」の創設を盛り込んだ改正地方自治法が施行された。「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」が発生した場合、国が自治体に必要な指示ができるという特例規定が設けられた。

 全国知事会からは「国と地方の対等な関係が損なわれるおそれがある」と懸念が示され、会長の村井嘉浩・宮城県知事は「拡大解釈されないようにしなければならない」と述べていた。最終的に、国が事前に自治体に意見聴取などを行う努力義務が盛り込まれたが、実際に制度が機能するかは未知数だ。

大合併で分権の基盤強化

明治の改革

 地方自治体の誕生は、明治維新にさかのぼる。

 新政府は、欧米列強に対抗するため中央集権を図ろうと、260年続いた幕藩体制の解体に着手。1871年(明治4年)に廃藩置県を断行し、3府302県に官選の府知事と県令(のちに県知事)を配置した。

 行政単位やその機能や権限の模索が続くが、「地方自治の父」と呼ばれる初代内務大臣、山県有朋(1838〜1922年)がドイツ式の地方自治制度の導入を目指し、改革を進めた。89年に市制町村制を施行し、300〜500戸を標準とする「明治の大合併」も推進。7万以上の町村を1万5859市町村に再編し、教育や徴税などの行政事務を担わせた。

 合併は一部で反発もあったが順調に進んだ。徴兵制など新制度の導入が進む中、村の有力者らの負担が大きくなっていたためだ。慶応大経済学部の松沢裕作教授(日本近代史)は「むしろ村側から合併の形を提案するなど、協力的な姿勢が大きかったことも合併が進んだ要因だ」と分析する。

 ちょうど100年前の1925年(大正14年)には、普通選挙法を制定。満25歳以上の男子であれば納税額や出自に関係なく国政の選挙権が与えられ、翌年には、市町村会議員、道府県会議員にも拡大した。

指揮監督

 戦後の47年5月、地方公共団体の組織や運営などを定めた「地方自治法」が施行された。連合国軍総司令部(GHQ)の意向が反映され、知事や市町村長らの直接選挙制が導入された。国政とは違い、首長と議会がともに住民の直接選挙で選ばれる二元代表制が導入された点も特徴だ。

 ただ、国が監督する機関委任事務が多く、都道府県で7〜8割、市町村で3〜4割を占めるとも言われた。国が自治体を指揮監督する制度のもとで、日本は急速に再生し、特に64年の東京五輪を目指して、東海道新幹線や首都高速道路を始めとする交通インフラが整った。

権限拡大で業務も増加

 一方、地方の活力低下や独自性がそがれた危機感から、国は93年に地方分権推進決議を決定し、分権改革を推進。さらに地方分権一括法も施行し、国と地方は上下関係から対等の立場に改められ、機関委任事務の廃止などを決定した。2002年からは、国から地方への税源移譲などを進める三位一体改革も行われた。

 昭和や平成期に市町村合併も推進して行財政基盤を整えたが、権限拡大に伴って業務が増えたのに加え、人手不足もあいまって、自治体の持続可能性に黄信号がともる事態となっている。

 武庫川女子大経営学部の金崎健太郎教授(公共政策)は「国も自治体も経験してこなかった社会システムの縮小について真剣に考える必要がある。デジタル技術でさらに業務効率化を進められる。規格を統一した上で小規模自治体は業務の一部を都道府県に肩代わりしてもらうなど、新たな施策を進めていかなければいけない」と話した。

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