銃弾に倒れた娘と次男、父は5年たった今なお喪失感「記憶の中でなく生きている2人に会いたい」
2025年5月29日(木)11時30分 読売新聞
亡くなった杏菜さんと直人さんへの思いを語る市川さん(13日、長野県坂城町で)
「記憶の中ではなく、今を生きている2人にただただ会いたい」——。長野県坂城町銃撃事件から26日で5年となった。何の落ち度もない我が子を突然失った市川武範さん(60)は今なお、喪失感に苦しめられている。さらに、事件によって仕事ができない状況になり、経済的な苦境にも追い込まれている。(塔野岡剛)
「杏菜はもうママになっていたかもしれないし、直人は就職して働いていたはず」。片付けもままならない事件現場となった同町の自宅で、市川さんは語る。
事件当時、犯人が押し入ってきた際に破れた居間のカーテンは破れたまま。亡くなった2人が学校で着ていたジャージーやクラスメートと撮った写真など2人が生きた証しも積まれている。
犯人は、一方的な誤解に基づき、事件の2日前に市川さんの長男を暴行。県警が逮捕状を取って男の行方を追っていたが、逮捕前に杏菜さん、直人さんは銃撃された。
事件後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患った妻や、長男を支えることが市川さんの役目になり、仕事は続けられなくなった。事件を思い出してしまうことから、事件現場の自宅には住めなくなり、家賃の安いアパートを借りて生活している。国からの給付金約680万円や町からの見舞金だけでなく、妻と長男に支給される重傷病給付金や障害給付金も昨年5月までに底を尽きた。現在は、妻の障害年金などで何とか生活している。
昨年、遠方に住む妻の母親が体調を崩したため、夫婦で見舞おうとした。しかし、旅費や宿泊費を工面できなかった。やっとの思いで訪ねた時には、母親はすでに会話もままならない状態で、間もなく亡くなったという。「事件さえなければ」と市川さんは吐露する。
事件後の数年間は、杏菜さん、直人さんと訪れた思い出の地域の祭りやカフェを妻と訪ねることで2人を感じ取ることができた。しかし、昨年からそれができなくなった。「思い出すことがつらくなってきている。行きたいけれど、行くことができない」という。
市川さんは事件の日から暗闇の中にいる。遺族にとって、事件に節目などはなく、何年過ぎても思いは変わらない。「今も2人と一緒に暮らしていたかった。5年がたった今の2人に会いたい」
◆坂城町銃撃事件=2020年5月26日午後11時過ぎ、坂城町上平の市川武範さん宅に暴力団組員の男(当時35歳)が押し入り、長女杏菜さん(同22歳)と次男直人さん(同16歳)を拳銃で殺害。男はその場で自殺した。男は殺人容疑などで容疑者死亡のまま書類送検され不起訴となった。