アポロ時代「一人乗りの宇宙船」つけて歩いた月面…アルテミス計画では「プラダ」も協力し宇宙服開発

2024年9月19日(木)5時0分 読売新聞

 宇宙服は、真空や激しい温度変化、高い放射線といった厳しい宇宙空間で飛行士が活動する際に欠かせないスーツだ。生命活動を維持するための高度な機能を備えており、「一人乗りの宇宙船」と例えられる。新時代の月探査が幕を開けようとする中、新たな宇宙服の開発も進んでいる。

飛行士の生命を守ることが主目的

 55年前の1969年7月20日、米国の「アポロ計画」で人類は初めて月に降り立った。白い宇宙服を着て月面で活動する飛行士の姿を、世界で推定約6億5000万人がテレビで視聴した。

 宇宙開発の草創期、旧ソ連に後れを取った米国は巻き返しを図り、宇宙服も急速に進化した。61年5月5日、海軍パイロット出身のアラン・シェパード氏が「マーキュリー計画」で米国の飛行士として初の有人宇宙飛行に成功する。

 この時の宇宙服は軍用機のパイロットスーツが基で、アルミを使って断熱性を高めたものだったが、宇宙空間には出られなかった。米国立航空宇宙博物館学芸員のキャサリン・ルイスさん(66)は「不時着などの緊急時に飛行士の生命を守ることが主目的の服だった」と解説する。

 続く「ジェミニ計画」では、65年6月3日、空軍パイロット出身のエドワード・ホワイト氏が米飛行士として初めて宇宙船の外での活動(船外活動)を実施。宇宙服はさらに断熱性を高めたもので、ホースで宇宙船とつないで酸素を供給した。

 その後のアポロ計画では、宇宙服の背中側に酸素を送り込む生命維持装置を備えた。総重量は約90キロになったが、月面の重力は地球の約6分の1。ともに軍のパイロット経験のあるニール・アームストロング、バズ・オルドリン両氏は、自由に歩く姿を披露した。米国の威信は高まり、旧ソ連との競争を制した。

 72年にアポロ計画が終了すると、米国のスペースシャトルによる宇宙飛行が有人宇宙活動の中心となる。宇宙飛行士の土井隆雄さん(70)は97年11〜12月、スペースシャトル「コロンビア」に搭乗し、日本人として初めて船外活動に挑んだ。

別の飛行士に手助けしてもらい30分かけ「着る」

 この時、土井さんが着用した宇宙服は米航空宇宙局(NASA)のもので、上半身と下半身、手袋とヘルメットに分かれていた。「別の飛行士に手助けしてもらって、30分かかってようやく着終わった」と土井さん。真空の宇宙空間との気圧差で宇宙服内部が膨張するため、体や手指を動かすのに強い力が必要だったという。船外活動が7時間40分超に及び、「手をできるだけ握ったり開いたりせずに作業するのがコツだと教わったが、活動終了時は握力はほとんどなくなっていた」と振り返る。

 米国は有人月探査「アルテミス計画」で2026年9月、月の南極域へ米飛行士を送る方針だ。成功すれば、アポロ計画以来、人類は約半世紀ぶりに月に降り立つことになる。新時代の月探査のための宇宙服を新しく開発することも決まり、NASAは米宇宙企業アクシオムスペースに開発を委託した。

 「アポロ時代のものよりも使いやすく、飛行士の助けとなる」。同社の開発副責任者、ジョン・ハントさん(65)は力強く語る。特殊な素材を組み合わせることで、より柔軟性の高い服となり、膝をついたり、細かな作業のために手を動かしたりすることが可能になるという。開発には、イタリアの高級ファッションブランド「プラダ」やフィンランドの大手携帯電話会社「ノキア」も、デザインや通信技術などの面で協力している。

 日本政府は4月、アルテミス計画で日本人飛行士が月に降り立つことを米政府と合意した。真新しい月面用の宇宙服を着る日本人飛行士を見られそうだ。

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