関西では「豚まん」派が優勢! 「肉まん」と「豚まん」は何が違うのか?

2021年9月30日(木)9時50分 ウェザーニュース

2021/09/30 04:00 ウェザーニュース

夜になると肌寒くなる日も増え、コンビニのレジに並ぶほかほかふっくらした中華まんが気になる季節になりました。
ところで、中華まんの中でも小麦粉をこねて発酵させた皮で豚肉などの具材を包み、蒸しあげたものを、東京では「肉まん」と呼び、大阪では「豚まん」と呼びます。
ウェザーニュースで「豚肉を具材とした中華まんを何と呼びますか?」というアンケートを行ったところ、全国的には「肉まん」が83%で、「豚まん」は17%と少数派でした。
しかし、近畿だけでみると「豚まん」派が65%で優勢です。特に大阪府、兵庫県、奈良県で「豚まん」派が多いことが分かります。

この呼び方の違いは、どうして生まれたのでしょうか。歳時記×食文化研究所の北野智子さんに伺いました。

なぜ関西では「豚まん」なのか

「昔から大阪をはじめ関西は牛肉文化の地で、肉といえば牛肉を指す言葉なのです。そのため、豚肉を使う場合は単に肉と呼ばず、必ず豚肉と断りを入れなければなりません」(北野さん)
同じように関西では「肉うどん」「肉じゃが」といえば、当然のことながら牛肉が入っているそうです。カレーの肉も牛肉で、豚肉を使うことはほとんどないといいます。
「一方、東京は豚肉文化の地であるため、肉といえば豚肉なのです。そのため肉まんと呼びながら中身が豚肉であっても、なんの不思議もないのでしょう」(北野さん)

関西が牛肉文化圏になった理由

「仏教伝来後、天武天皇が675年に発布した「肉食禁止の詔(みことのり)」(対象は牛、馬、犬、猿、鶏)以来、1200年もの間、日本人は肉食から遠ざけられていました。しかし、江戸時代には、近江国(滋賀県)彦根藩では養生肉と称して牛肉の味噌漬けがつくられ、毎年の寒中に、将軍や御三家へ献上することが恒例となっていたのです」(北野さん)
そういえば、近江牛や神戸ビーフは有名です。それなりの歴史があるのでしょうか。
「近江国は、百済や新羅からの渡来人が早くから定着した地で、良牛を飼育する技法が伝えられ、近江牛の産地として知られていました。
神戸では、明治元年に神戸港が開港し、周辺には多くの外国人が住む居留地ができます。神戸港に停泊する外国船の船員が牛肉を求めて、付近の農家へ頼みに行き、牛を一頭買いするようになります。その後居留地の外国人や日本人へも牛肉の小売り販売が広まっていき、明治初期には、美味牛肉の代表として、「神戸ビーフ」と呼ばれるようになりました。
牛肉を用いるすき焼きの調理法が創作されたのも関西で、明治2年、神戸元町に最初の牛肉すき焼き店・月下亭が開店したと伝えられています」(北野さん)

気候風土も関係していた?

西日本と東日本の風土の違いもあったのでしょうか。
「もともと西日本には水田が多く、農耕牛が用いられていたので和牛肥育が盛んだったことも、後の牛肉市場を支えた要因とされています。これが明治以降に牛肉が西日本主導で展開された理由でしょう。
一方、東日本では、放牧で牛よりも馬の飼育が盛んでした。そこへ肉食文化が到来したので、馬よりも飼育が容易な豚が飼われるようになったのです。神奈川県に大規模な養豚場がつくられるなど、関東では次第に豚肉文化が形成されていったようです」(北野さん)
これから寒い季節を迎えると、コンビニのレジ横に置かれた中華まんに目が行くようになります。「肉まん」派の方も「豚まん」派の方も、ホカホカのおいしさを堪能してみませんか。

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