「死の砂漠」230haを緑地と農場に…中村哲さん殺害から5年、現地住民の感謝は消えず

2024年12月4日(水)9時45分 読売新聞

アフガニスタンの地図

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 【カブール=吉形祐司】アフガニスタンで人道支援に取り組んだ中村てつ医師(当時73歳)が殺害されてから、4日で5年となる。中村さんが井戸を掘り、農業用水路を整備した「死の砂漠」は今、オアシスのように緑地や農場が広がる。5年を経ても現地住民の感謝の気持ちが消えることはない。

 中村さんが殺害された東部ナンガルハル州の州都ジャララバードから北東へ28キロ。砂漠地帯にあるガンベリ農場の一角に「中村医師記念公園」がある。「地元の住民は皆、ナカムラを尊敬し、愛している。水のなかった土地が緑の公園に変わった」。近くに住むアベド・サレフさん(29)は高さ16メートルの記念塔を見上げて言った。

 管理事務所によると、公園には毎週4000〜5000人が訪れ、休日には緑地でピクニックを楽しむ住民の憩いの場でもある。記念塔の中央には中村さんの肖像が描かれていたが、2021年に実権を掌握したイスラム主義勢力タリバンが偶像崇拝を嫌い、消去を命じた。それでも住民の記憶には中村さんの顔と名前が深く刻まれている。

 中村さんは03年以降、近くを流れるクナール川から25キロ(現在27キロ)の用水路を引き、約230ヘクタールの土地を緑地と農場に変えた。その奇跡は中村さんの殺害後にSNSなどで全国に知れ渡った。写真を見たアフガン人は例外なく「ナカムラだ」と反応する。

 ガンベリ農場の事業は、中村さんが現地代表を務めた「ペシャワール会」(福岡市)の現地民間活動団体「ピース・ジャパン・メディカルサービス(PMS)」が遺志を継いで継続している。農場ではかんきつ類や穀物、野菜の栽培のほか養蜂や牛の飼育も行われている。ナンガルハル州内では新たな取水ぜきの建設や、老朽化した施設の修理なども続く。

 PMS現地責任者のジアウルラフマン・ジア医師(69)は「中村先生が来る前、一帯は『死の砂漠』と呼ばれた。戦火の中で子どもたちが育ったアフガンで、人に寄り添い、人のために働くことを教えてくれた。その教えを次世代に伝えたい」と語る。

 ◆中村哲医師=1984年からパキスタンで医療活動に携わり、2000年以降はアフガニスタンの干ばつ被害の深刻化を機に井戸掘りや用水路建設などに取り組んだ。19年12月4日、活動拠点の東部ジャララバードを車で移動中、武装集団に殺害された。

「先生のように」遺志継ぐ

 「ペシャワール会」では次世代の担い手も育ち、関係者は中村さんの遺志を継ごうと歩みを進めている。

 「彼は2010年頃から、自分がいなくなったときのことを考えていた」と、同会の村上優会長(75)は振り返った。中村さんは、同会と現地をつなぐ窓口の必要性を考えていた。その一つが、16年に設置されたPMS支援室だ。

 同室職員として雇用された一人が、中村さんが亡くなる半年前の19年4月に採用された山下隼人さん(29)。久留米大(福岡県久留米市)に在学中、中村さんの講演に感銘を受け、職員募集に申し込んだ。

 大学では農業経済を専攻し、現地では農業担当として現地技師の相談に応じる。22年には、現地の環境になじみにくかったサツマイモの種芋の越冬に成功。現在は作付けのタイミングを計り、さらに現地に合った栽培方法を模索している。

 山下さんは「サツマイモは、現地の食糧事情を改善できるのではないかと期待している。中村先生のように、現地のために力を尽くしたい」と力を込めた。

 同会とPMSは3月、中村さんのアイデアを基に、ため池を利用する新方式の取水ぜき・用水路を完成させた。現在も同方式による2か所目の工事を進めている。

 「水は善人・悪人を区別しない」「他所よそに逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします」。中村さんが同会会報などで残した様々な言葉は、遺志を継ぐ関係者の道しるべとなっている。村上会長は「彼が残した言葉に、活動の根っこが表れている。中村哲を直接知らない世代にも、彼の思いを引き継ぎたい」と話した。

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