師走といえば、「歓喜の歌」? ベートーヴェンの『第九』が日本で人気のわけ

2022年12月17日(土)5時0分 ウェザーニュース

2022/12/17 05:00 ウェザーニュース

師走ならではの音楽があります。クリスマスソングはその典型で、ベートーヴェン(1770〜1827)が作曲した『交響曲第9番ニ短調作品125』(『第九(だいく)』と略されることが多い)もその一つでしょう。「第9番」はベートーヴェンが作曲した9番目の交響曲という意味です。
交響曲には珍しく、第4楽章に独唱と合唱のための歌詞が付いているため、『交響曲第9番「合唱付き」』などと表記されることもあります。
『第九』に関する「あれこれ」を見てみましょう。

日本初の『第九』は戦争の捕虜によって演奏された

『第九』が日本で初めて演奏されたのはどこで、いつでしょうか。
日本での初演は、なんと俘虜(ふりょ/捕虜)収容所においてでした。1918(大正7)年6月1日、現在の徳島県鳴門市にあった板東(ばんどう)俘虜収容所で、捕虜のドイツ兵たちによって演奏されたのが初めてです。
第一次世界大戦(1914〜1918)において、敵同士だった日本とドイツは中国の青島(チンタオ)で戦い、青島のドイツ軍は降伏します。多くのドイツ兵が日本に護送され、のちに1000人以上が捕虜として徳島県の収容所に入れられました。
この収容所の所長は松江豊寿(まつえとよひさ)で、会津の出身。父は会津藩士で、幕末に幕府側についたため、明治以降は悲惨な目に遭ったといわれます。
「敗者のつらさ」を伝え知っていた松江は、捕虜のドイツ兵たちに寛大な対応をとりました。ドイツ兵たちはスポーツなどを楽しみ、地元の住民とも友好的に交流しました。
捕虜のドイツ兵の中には軍楽隊に所属していた人もいて、彼らを中心に楽団や合唱団が組織され、日本初の『第九』の演奏会がおこなわれたのです。
日本人による『第九』の初演は、それから6年後の1924(大正13)年11月のことです。東京音楽学校(現・東京藝術大学)のオーケストラと合唱団によって披露され、大盛況だったと伝わります。
なお、松江豊寿を主人公とした映画『バルトの楽園』(松江豊寿役は松平健)も制作されています。

合唱ブームが後押しして、『第九』が定着

『第九』はいつ、どうして、師走(特に年末)の風物詩になったのでしょうか。
第一次世界大戦が終わった1918年の12月31日、ドイツのライプツィヒにおいて『第九』が演奏されました。自由と平和を願う意味合いがあったようです。夜の11時開演で、年をまたいで演奏された『第九』は大好評でした。
しかし、現在も年末に『第九』を演奏する慣習のある国は日本以外にはほとんどないようです。
日本で『第九』の演奏が広まったのは戦後ですが、こちらは第二次世界大戦後です。
きっかけは1947(昭和22)年、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が12月に3日連続の『第九』のコンサートをおこなったことです。
これが好評を博したことに加え、合唱の流行も後押しして、師走に『第九』を演奏することが定着していきました。

よろこびに満ちた「歓喜の歌」

『第九』といえば、「歓喜の歌」を思い起こす人も多いでしょう。
「歓喜の歌」は『第九』の第4楽章で歌われます。歌詞はドイツの詩人・劇作家・歴史家のシラー(1759-1805)の詩がもとになっています。
「歓喜の歌」の歌詞はドイツ語ですが、日本語の歌詞が付けられた作品もあります。
かつては小中学校の音楽の教科書にも掲載されたことがある、岩佐東一郎(いわさとういちろう)作詞の『よろこびの歌』もその一つです。一部を抜粋しましょう。
♪晴れたる青空 ただよう雲よ
 小鳥は歌えり 林に森に
 こころはほがらか よろこびみちて
 見かわす われらの明るき笑顔♪
もとの歌詞とは異なりますが、歓喜(よろこび)の雰囲気は十分に伝わってきます。
新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)で、2020年、2021年と、中止になった『第九』のコンサートはたくさんありました。
しかし、今年(2022年)はすでにいくつかの『第九』コンサートが開かれ、これから年末に向けて、予定されているコンサートも全国であります。
平和でよろこびに満ちた2023年を願いつつ、『第九』を聴き、歌う年の瀬もよいものでしょう。

参考資料など

『第九』(著者/中川右介、発行/幻冬舎)、『ベートーヴェン《第九》すみからすみまで』(発行/音楽之友社)、チケットぴあ「『第九』にまつわるエトセトラ」(http://t.pia.jp/feature/classic/daiku/column.jsp)

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