ブリヂストン元CEO荒川詔四氏が訴訟リスクを負ってまで「超強気な業績目標」を掲げた理由
2025年1月7日(火)6時0分 JBpress
1988年に米国第2位のタイヤメーカー、ファイアストンを買収し、世界シェアトップ3の一角に加わったブリヂストン。同社が一気に世界のメジャー企業に成長した背景には、どのような経営哲学があったのか──。ブリヂストン元CEOの荒川詔四氏は「経営者にとって、臆病さは最大の武器になる」と語る。2024年9月に『臆病な経営者こそ「最強」である。』(ダイヤモンド社)を出版した同氏に、熾烈(しれつ)な競争を生き抜くための「原理原則」を徹底した経営哲学や、訴訟リスクを負ってまで「ROA6%」という高いハードルを掲げた中期経営計画の狙いを聞いた。(前編/全2回)
徹底的に追い込まれた末に痛感した「原理原則の大切さ」
──著書『臆病な経営者こそ「最強」である。』では、危険な世界をサバイブする上で「臆病さは武器」として、経営意思決定のさまざまな「原理原則」について解説しています。どのような経験を通じて、こうした経営哲学が形成されたのでしょうか。
荒川詔四氏(以下敬称略) この考え方はブリヂストンに入社以来、さまざまな仕事を経験する中で、徐々に積み重なっていったものです。
私は元来、決して図太い神経の持ち主ではありません。むしろ引っ込み思案で弱々しい、臆病な性格だったと思います。それでも、原理原則に則ることが最良のアプローチと学んだことで、自信を持ってさまざまな経営の意思決定を下すことができたと考えています。
振り返ると、入社2年目で立ち上げ真っただ中のタイ・ブリヂストンの工場に配属された際、早々に大きな問題に直面したことは、原理原則に立ち返ることの重要性を学ぶ機会となりました。
当時、タイ人従業員による在庫管理が混乱していたため、正常化を図るべく従業員に強い姿勢で改善を要求しました。その際、現場から猛反発を食らってしまったのです。正常化どころか、職場が機能不全寸前まで追い込まれる事態となりました。
困り果てた私は上司に泣きつきましたが突き放され、日本に逃げ帰ることもできず、腹をくくって考え続けた末にたどり着いたのが原理原則に立ち返ることです。まずは「現物・現場・現実」が重要だと考え、率先して身体を動かし汗をかきながら、解決の糸口を見つけようと考えました。
業界最大規模のファイアストン買収も「ほぼ即決」のわけ
──どのように混乱した状況の解決を図ったのでしょうか。
荒川 従業員の作業の流れを工場出勤時刻から実際に確認し、一人一人と丁寧にコミュニケーションを取り、「もっといい方法で在庫管理をすれば、みんなの仕事もラクになる」と現場に提案し続けました。しばらくは相手にしてもらえなかったものの、徐々に共感を得ることができ、彼らが主体的に改革を進めてくれるようになったのです。
この経験は、私にとって財産になりました。人や組織を無理やり動かすのではなく、相手との信頼関係を築き、ゴールを共有することで相手の自発性を引き出すことが大事だと分かったのです。
──著書には、荒川さんが社長秘書を務めていた時期、当時の社長が下した米国の大手タイヤメーカー、ファイアストンの買収について触れています。当時、ブリヂストンはファイアストンとの事業提携を進めていたましたが、ピレリから同社株の公開買付が発表された後、ほぼ瞬時にファイアストンの買収を決断したとのことですが、どのような判断があったのでしょうか。
荒川 ファイアストンの買収は、経営トップの「原理原則を重視する姿勢」を目の当たりにした出来事でした。日本を中心とする東アジア地域で安定した経営基盤を築き上げていた当時のブリヂストンの状況からすると、自社の未来に危機感を持っている人はほとんどいなかったでしょう。
しかし、「国境」という参入障壁がほぼないに等しいタイヤ産業は、ミシュラン、グッドイヤー、ピレリなどの巨大グローバル企業が鎬を削る「食うか食われるかの世界」である、と考えていた当時の社長は「ブリヂストンはこのままではいけない」「ファイアストンを他社に取られたら、ブリヂストンは食われてしまう」と強い危機感を持っていました。
だからこそ、買収金額が約3300億円と巨額だったにもかかわらず、ほぼ即決で買収を決めました。社内外において「コワモテ」で知られる社長でしたが、買収決断の背景にあったのは臆病な一面だったのです。
日ごろから繊細に自社の未来を考えていたからこそ、当社よりもはるかに歴史が長い業界最大規模の米国企業を買収するという重大な意思決定を即決することとなりました。これは「原理原則」を徹底的に押さえた、まさに臆病な経営者だったからこその判断だと考えています。
CEO就任時にあえて「高いハードル」を掲げた理由
──荒川さんはブリヂストン本社CEOに就任した際、「ROA (総資産利益率)6%」という高い業績目標を掲げました。そこにはどのような判断があったのでしょうか。
荒川 経営には2つの必須事項があると考えています。1つは、「自社のあるべき姿を描くこと」、もう1つは「持続的成長を遂げること」です。私がCEOに就任した時、ブリヂストンにはそれらが足りていませんでした。そして、これらの必須事項をクリアする上で、中期経営計画は欠かせないものです。
しかし当時、中期経営計画を重視する日本企業はあまり見られず、ブリヂストンにも中期経営計画は存在しませんでした。そこで社内で議論を重ねて中期経営計画を策定し、定性目標として「名実共に世界ナンバーワンになること」、定量目標として「ROA6%」と決めました。2006年の本社CEO就任後、2007年に発表した中期経営計画「2012年にROA6%を達成」がこれに該当します。
上場企業が具体的な定量目標を掲げると、目標へのコミットメントを問われ、未達の場合には株主から訴訟を起こされるリスクがあります。しかし、私は臆病者だからこそ、そうしたリスクも十分考慮し、「達成できる」と自信を持って目標を発表しました。タイやヨーロッパ現地法人CEOとして利益率の改善に成功してきたからこそ、その手ごたえを感じていたのです。
──かなり踏み込んだ目標を掲げたわけですね。市場変化に対するリスクには、どのように対応したのでしょうか。
荒川 「経営環境は常に変化する」ということは前提として考えなければいけません。しかし、状況が変化するからこそ、自分たちの指針となる目標を置く必要があります。
さまざまな事象によって環境が変わる中、「当初考えていた前提条件とどう違うのか」「その結果として、自分たちが考えた計画にどのような影響を与えるのか」を考えること、そして「状況変化にフレキシブルに対応すること」が大切です。
だからこそ、指針としての目標を皆が理解し、あらかじめ共有していることが必要だと思います。
子会社CEOとのコミュニケーションに欠かせない「ある概念」
──中期経営計画を立てる際、どのような点に注力していたのでしょうか。
荒川 特に重視したのは「オーナーシップ」の概念です。ブリヂストンでは、本社の中期経営計画で「あるべき姿」を描き出し、その後、それぞれの子会社のCEOが自社の状況を踏まえて中期経営計画を作成していました。最終的には、本社がそれらを集約して、整合性をチェックします。もしも方向性の違いや齟齬(そご)があれば、各社のトップとコミュニケーションを取る、というプロセスも欠かせませんでした。
それぞれの子会社が自社の中期経営計画を立てる際、「オーナーシップを欠かしてはならない」と、私は常々強調していました。経営トップにとってのオーナーシップとは「経営責任」を意味します。
日本企業の中には「それぞれの子会社に経営責任がある」と言いながら、子会社に対して過度に介入するケースが多々見受けられます。子会社の計画に対して、「こうすべきだ」と細かな指示を出してしまうのです。そうなると、子会社はオーナーシップなど持てたものではありません。
本社(親会社)は、子会社の経営者に対してリスペクトを持ってコミュニケーションを取ることが大切です。そうすることで、各社が自分たちのあるべき姿をしっかりと描くことができます。親会社としても、子会社にフィードバックをした際に納得を得やすくなるのです。
──数ある子会社の経営者とコミュニケーションを重ねて、各社の中期経営計画と整合性を図るのは、相当な時間を要するのではないでしょうか。
荒川 確かに膨大な作業でしたが、それだけのコストと労力をかける価値があると考えていました。それだけのプロセスを経ると、各人の中に「オーナーシップは自分にあるんだ」という強い意識が育ちます。当初計画から変更が入った際にも、自信を持って自社の従業員に説明できます。
私は「ROA6%」という目標を掲げたとき、「各社のトップがどのように考えるか」「各社の現場でどのような動きが生まれるか」など、想像を巡らせて数値を決めました。自分自身も各社のトップも、誰もが納得できる目標だったからこそ、株主の前で「この目標を達成しますので、任せてください」と言える自信があったのです。
【後編に続く】ブリヂストンも見習った仏ミシュランの経営哲学、「タイヤの溝の角度まで特許で守る」納得の理由
■【前編】ブリヂストン元CEO荒川詔四氏が訴訟リスクを負ってまで「超強気な業績目標」を掲げた理由(今回)
■【後編】ブリヂストンも見習った仏ミシュランの経営哲学、「タイヤの溝の角度まで特許で守る」納得の理由
筆者:三上 佳大