「テレビの権威をバカにする」が狙いだった…「水曜日のダウンタウン」が失礼な飲食店ロケをやった本当の理由

2024年2月7日(水)16時15分 プレジデント社

画像=「TBS 水曜日のダウンタウン」HPより

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人気バラエティー番組「水曜日のダウンタウン」(TBS系)の「テレビロケが一度も来たことのない飲食店を探す」という企画がネット上で批判を集めた。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「飲食店に対して失礼な演出があったのは問題だが、企画の意図を読み解くと、日本社会の『空気』そのものをネタにしようとした挑戦的な内容だったことがわかる」という——。
画像=「TBS 水曜日のダウンタウン」HPより

■「水曜日のダウンタウン」の炎上


1月24日にTBS系列で放送された「水曜日のダウンタウン」の「テレビのロケが一度も来たことのない店、東京23区内にも探せばそこそこある説」が批判にさらされた。


問題とされている企画は、お笑い芸人6人が3チームに分かれて、抽選で東京23区のなかの区を指定され、「テレビロケが一度も入ったことのない店を4連続で当てるまで帰れない」というものだった。


テレビ取材を受けた経験のある店に入ると「ドボン」として、それまでに「当てて」いた=取材未経験の店舗数がリセットされ、当該店の看板メニューを完食しなければならない。


フードジャーナリストの山路力也氏が1月26日配信のヤフーニュース「なぜ『水曜日のダウンタウン』の飲食店ロケ企画は炎上したのか?」で指摘しているように、「『テレビのロケが一度も来たことのない店』を探すという企画自体は決して新しいものではない」ものの、次の点で問題があった。


しかし今回の場合は「こんな店には取材は来ないだろう」という、テレビに登場したことのない飲食店に対するネガティヴなアプローチが前提にあった。この状況下においてはタレントの振る舞いはもちろん、番組演出のトーンも必然的に飲食店をバカにしたような形にならざるを得ない。番組制作側は最初のスタンスで間違ってしまったのだ。

「当たり」だった店では、料理はおろかお店の紹介もほとんどない。「ドボン」=取材経験ありの店で看板メニューを食べるのは、それなりに美味しいという判断なのか。それでも、罰ゲームのように仕立てるのは失礼だろう。


「炎上」の理由と教訓は、山路氏の記事に尽きているから、わざわざ書く必要はない。


あらためて考えたいのは、今回の「炎上」では、ほとんど話題にならなかった、この企画のルール=「取材NGはノーカウント」についてである。「ノーカウント」とは、取材経験ありとは数えない、との決まりである。


■筆者が考える「企画の隠れた意図」とは


コーナーの中盤で、お笑いコンビ「きしたかの」が、荒川区南千住の「立喰生そば 長寿庵」を訪れる。


「テレビのロケとか取材って受けたことありますか?」と聞かれた店長は、「受けた……来たんですけど、断りました」と答える。


初めて取材を受けた理由を問われ「今日は何となく」と伝えると、「これまで取材一切お断り」「奇跡の取材OK」との大きなテロップが続く。


南千住「長寿庵」の店主が、「何回か(取材が)来たけど断ってるんですよ」という、その理由は、番組では明かされなかったものの、少なくとも、テレビの取材を歓迎していたわけではない。


今回の企画の隠れた意図は、ここにあったのではないか。


飲食店にとっては、テレビ取材のメリット(一時的な集客)はあるものの、店の雰囲気が壊されたり、常連客に迷惑をかけたり、といったデメリットが上回る場合も多い。


さらに、番組を見る側にとっても、「テレビに出た店」の意味は、変わってきている。


「テレビロケが一度も入ったことのない店」=美味しくない、とは考えられないし、逆に、「テレビロケが多く入っている店」=美味しい、とは限らない。そんな見方が共有されているからである。


こうした風潮を逆手にとった「寺門ジモンの取材拒否の店」(フジテレビ系で不定期放送)は、すでに10年近く続いている。この番組では、取材を受けていないことが、それだけで価値を持っているのである。


その価値とは何か。


■「取材拒否」が価値を持つ理由


メディアに出なくても客が来る、あるいは、出ないほうが客は来る、という自信のあらわれである。


「寺門ジモンの取材拒否の店」を紹介するフジテレビのサイトには、「メディアの取材NGの知られざる名店の扉を開く、唯一無二のグルメバラエティ番組」とある。


テレビだけではなく、雑誌や新聞、ブログといった、あらゆるメディアに出ない店を、「自他共に認める芸能界No.1グルメの寺門ジモンが、自身の築き上げた『食のコネクション』をフル活用」して取材する、という。


番組では、「取材難易度」が強調される。食通の寺門ジモン氏をもってしても簡単には取材させてくれない、そこにこそ、お店のプライドがある、というわけである。


写真=iStock.com/microgen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/microgen

「水曜日のダウンタウン」の企画が、どこまで、この「取材拒否の店」を意識したのかは、わからない。


ただ、先に参照したフードジャーナリストの山路力也氏が言う「穴場店」や「地域密着店」ではなく、あえて取材を断ってきた店も少なくない。「きしたかの」が飛び込んだ南千住「長寿庵」がそうだった。


たくさん取材を受けている店よりも、取材を拒否している店のほうが美味しいのではないかというとらえかたもまた、共有されてきている。


■「テレビの視聴時間」自体は減っているが…


こうした風潮の背景のひとつには、「テレビ離れ」があるだろう。


博報堂・メディア環境研究所の調べによれば、テレビの視聴時間は減っている。10年ほど前(2013年)には、全世代平均で1日151.5分だったのに対して、昨年(2023年)は135.4分まで減少した。


他方で、携帯電話・スマートフォンは、同じ期間に50.6分から151.6分、と、3倍近くに増えている。


ただし、広い意味での「テレビ番組」、動画コンテンツへの需要は根強い。


ボストンコンサルティンググループが行った調査によれば、「テレビデバイス」=テレビ受像機などを持つ割合は若い世代で低くなっているものの、動画配信サービスに移りつつある。


今回「炎上」した「水曜日のダウンタウン」は、民放公式テレビ配信サービスTVerでは常にバラエティランキングの上位にある。「プレジデントオンライン」でも、「朝ドラ」など広い意味でテレビに関係した記事がよく読まれているようだ。


「テレビなんか見ない」と言われながらも、多くの人が「テレビ番組」について気にしているし、心のどこかで「テレビの権威」を信じているのではないか。


松本人志氏が「最後に出演した回」


「テレビのロケが一度も来たことのない店」を探す企画で、「取材NGはノーカウント」のルールを設けた理由は、ここにあったのではないか。


「取材拒否の店」をテーマにした番組が10年も続くなかで、「テレビ離れ」は進行しているとはいえ、それでもやはり、みんな「テレビの権威」=取材されたほうが偉い、ととらえている。


「テレビの取材が来た」、とか、「テレビに出た」、と言われれば、なんとなく美味しいと思ってしまいそうになる。テレビによってお墨付きを与えられたような信頼感は、まだ残っている。


テレビ番組、特に夕方のニュース番組が、ほぼ毎日、グルメ特集を放送しているのは、その証拠だろう。見たい視聴者と、紹介してほしい店、その双方の需要が根強いとまではいかなくても、まだまだあるから、あれだけ大量に、飽きもせず続いている。


かたや、もはや「テレビの権威」と言われても誰も真剣にはとらえていない。「テレビ離れ」が進めば進むほど、その権威を疑うほうが「常識」に思われる。


写真=時事通信フォト
お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志と浜田雅功(2014年12月3日、東京都千代田区) - 写真=時事通信フォト

今回「炎上」した企画は、こうした日本社会の「空気」そのものをネタにしようとしたのではないか。あえて自爆(炎上)覚悟で進む、そんなところに、「水曜日のダウンタウン」の狙いがあったのではないか。


などと書くと、この番組のファンとしての身びいきが過ぎるのかもしれない。


現時点では、松本人志氏が「最後に出演した回」が、同番組らしい、攻めた内容だったのは、せめてもの救いだったと信じたい。


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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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