糞尿がそのまま流れ込むのに、なぜ東京湾の魚は美味しく食べられるのか…東京湾と地形の知られざる関係

2024年2月8日(木)15時15分 プレジデント社

東京湾の魚介類の新鮮さと美味しさは謎(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/yukimco

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東京湾には1都6県の排水が流れ込む東京湾は、合流式下水道のため糞尿そのものも流れ込んでいる。それでもなぜ水質汚染が深刻ではないのか。元国土交通省河川局長の竹村公太郎さんは「東京湾は閉鎖性水域だが、利根川の地下水が流れ込み、東京湾内の海水の入れ替えをしている」という——。

※本稿は、竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける【日本人の起源篇】』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。


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東京湾の魚介類の新鮮さと美味しさは謎(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/yukimco

■江戸幕府から始まった大都市・東京の歴史


1603年、江戸に幕府が開府された。家康が率いる3万人の部下たちの居住地を設営するため、神田にあった山を削って、日比谷や海岸沿いを埋め立てた。


部下以外にも江戸住まいする人々が登場した。前田利家は家康への忠誠の証(あかし)として、正室まつを人質として江戸に住まわせた。


他の大名たちもこれにならい正室や子息たちを江戸に住まわせた。


家光の時代には、武家諸法度は大名たちが守るべき制度にもなった。


江戸の大名たちには様々な役割の家臣たちが必要であった。国元から送られてくる物資の保管所も必要であった。上屋敷、中屋敷そして下屋敷と大名屋敷が増えていくと、武士以外にも各種の職人や商人が必要となった。


■東京湾はゴミ捨て場となった


人々が増えると茶屋、料理屋、芝居小屋、そして遊郭なども登場した。全国各地から人々が集まり、江戸の人口は一気に増えて、世界に冠たる百万都市に向かっていった。


それにともないゴミの量も増え、火事や地震の後始末の瓦礫も大量に発生した。そのたびに江戸湾(東京湾)はどんどん埋め立てられ、江戸の下町が拡大していった。


江戸湾はゴミ捨て場として、ひっそりと江戸社会を支えていた。


一方で、当時の江戸湾で獲れた魚は江戸前と呼ばれ、新鮮で美味だった。それから400年も経った21世紀の今でも、東京湾で獲れた魚は新鮮で美味しいと定評がある。


この21世紀の東京湾の魚介類の新鮮さと美味しさは謎である。普通では考えられない現象である。


■地形的にはヘドロ・汚水が溜まりやすい


東京湾の地図を見ればわかるが、湾の入口の浦賀水道は房総半島と三浦半島に挟まれていて、極端に狭くなっている。


このような地形の湾は閉鎖性水域と呼ばれ、外海と湾内の海水の交換が行われにくいのが特徴である。そのため、いったん海底にヘドロが堆積されると貧酸素になり、嫌気性反応によって底質は悪化の負の連鎖循環に落ち込んでいく。


この東京湾は、明治以降、日本の近代化の先頭を走り続けた。京浜工業地帯、京葉工業地域に重化学工場をはじめ様々な工場が立ち並んだ。明治、大正そして昭和まで、汚水処理は後回しになり、多量の有毒汚水が東京湾に流れ込み続けた。


■工場排水や汚物が垂れ流しにされた


臨海工業地帯の発達に伴い、人々の住居も急速に開発された。下水道は全く追い付かず、人々の排泄汚物は垂れ流しにされた。


写真=iStock.com/Weerayuth Kanchanacharoen
多量の有毒汚水が東京湾に流れ込み続けた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Weerayuth Kanchanacharoen

隅田川や都内の水路も汚物で臭く、人々は鼻を覆って通り過ぎていた。これらの工場排水も生活汚水も、全て東京湾に流れ込んでいった。


さらに、港湾と工業用地造成のため干潟の砂が採取された。干潟は水質を浄化するが、その干潟が姿を消した。


干潟の砂の大規模浚渫(しゅんせつ)で、東京湾の底にはいくつものクレータのような窪地が残された。その窪地内は貧酸素になり、プランクトンは腐敗し、硫化水素が発生し、風の方向によって青潮が湧き出ていった。


東京湾の海岸線は直線の人工海岸となっている。このコンクリートの人工海岸には自浄能力はない。


昭和30年代から60年代にかけて、東京湾は劣悪な環境に追いやられた。


このような状況だった東京湾で、なぜ、江戸前の魚介類が獲れるようになったのか?


■糞尿そのものが東京湾に流れ込んでいる


閉鎖性水域はひとたび汚染されると、水の入れ替えには長時間かかり、何十年も回復しないのが一般的である。


下水道が整備されたとはいえ、今でも1都6県の排水は東京湾に流れ込んでいる。大雨のときは合流式下水道の東京では糞尿そのものがオーバーフローして東京湾に流れ込んでいる。


写真=iStock.com/SeanPavonePhoto
糞尿そのものが東京湾に流れ込んでいる(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/SeanPavonePhoto

この東京湾の復活の謎には、隠された答えがある。この隠された答えは、本当に隠れていた。


それは関東平野の地下に隠れていたのだ。


日本の水循環の解析技術は世界最先端を行く。


地球は水の惑星といわれているが、ほとんどが海水で、人類が使うことのできる淡水は1%のみである。


その1%の淡水の内訳は97%は地下水で、河川や湖沼の淡水は3%しかない。


つまり、地下水の持続可能な利用と管理が、地球全体の持続可能な水循環の死命を制していく。


■関東平野には地下水脈がある


私の仲間たちが、関東地方の地下水網を解析したことがある。地形、地質データを使用してコンピュータで地域の三次元立体モデルを作成し、そのモデルに気温と雨などのデータをインプットして、地下水の流れを図にまとめた。


人類が見たことのない地下水脈を、世界で初めて見える化したのだ。


彼らの解析によると、群馬県の上流の山々から流れる地下水は東京湾に向かっている。群馬からの地下水とは、もちろん利根川の地下水である。


■徳川家康が利根川を東に向けた


家康は、江戸湾に注ぎこんでいた利根川を銚子に向ける「利根川東遷事業」に着手し、60年かかって利根川は銚子沖に向かった。


写真=iStock.com/kuremo
徳川家康が利根川を東に向けた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/kuremo

これによって水浸しだった南関東の湿地帯は乾田化し、関東平野と呼ばれる肥沃な大農耕地が誕生した。


■利根川の「地下水」が東京湾に流れ込んでいる


利根川の表流水は銚子に向かったが、山々から供給される地下水は依然として江戸湾に向かって流れ続けていた。人間は地形が供給する地下の水脈網まで変えることはできなかった。


21世紀の今も利根川は「自分の故郷は東京湾だ」と主張している。


利根川流域の山々が供給する大量の地下水は、365日、24時間休むことなく東京湾に流れ込んでいる。


この地下水が東京湾内の海水の入れ替えをしている。


入れ替えだけではない。湾内で海水と地下水の真水が混じり合い、多様なプランクトンが発生する。


そのプランクトンは多様な微生物を育て、それを狙って小魚が集まり、その小魚を狙って大型の魚も集まってくる。


こうして生態系の豊かな東京湾が再生されていく。


■日本中の海は地下水の恩恵を受けている


閉鎖性水域の東京湾。超近代的な工業地帯で囲まれた東京湾。干潟を失った東京湾。


首都圏4000万人の排水を受ける東京湾。


その東京湾が豊かな魚介類を生息させている。


これは奇跡である。この奇跡を演出したのは地下水であった。


利根川の地下水は故郷の東京湾を覚えていた。その地下水が首都の東京湾を近代化による死の淵から救ってくれた。


実は奇跡は東京湾だけではなかった。日本列島の全ての閉鎖性水域で奇跡は起きていた。


日本近代の工業化と都市化の影響を真正面から受けた閉鎖性水域は東京湾のほかに、伊勢湾、三河湾、大阪湾、有明海そして瀬戸内海がある。


これらの湾において、戦後の経済急成長時期に汚染が著しく進んだ。


しかし、21世紀の現在の水質は改善されている。


■汚染された海が生き返った


理由は下水道の整備、工場の排水処理改善で説明されている。しかし、地下水の役目は語られていない。


閉鎖性水域に流れ込んでいる一級河川だけを取り上げても、伊勢湾には木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)と庄内川の流域の地下水が流れ込んでいる。



竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける【日本人の起源篇】』(PHP文庫)

三河湾に流れ込む川は豊川だけだが地下では天竜川の地下水が流れ込んでいる。大阪湾には淀川(木津川、宇治川、桂川)と大和川の地下水が流れ込んでいる。


有明海には筑後川、菊池川、白川、緑川と地下水が流れ込んでいる。瀬戸内海には中国山地と四国山地から数えきれない河川と地下水が流れ込んでいる。


瀬戸内海は都市ビル建設で海域の砂利が掘り尽くされてしまい、海底は無残なゴツゴツした岩場になってしまった。


しかし、毎年のように襲ってくる台風の洪水が、大量の土砂を海域に供給し続け、豊かな海底が戻りつつある。


全ての河川と地下水の背景には日本列島の脊梁山脈が控えている。つまり日本列島の地形そのものが、日本列島の閉鎖性水域の汚染を生き返らせた原動力となっている。


近代化で崩壊した海域環境を回復させたのは、日本列島の地形と気象であった。


日本の地形と気象の存在が奇跡だった。


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竹村 公太郎(たけむら・こうたろう)
元国土交通省河川局長、日本水フォーラム代表理事
1945年生まれ。横浜市出身。1970年、東北大学大学院土木工学修士課程修了。同年、建設省入省。以来、主にダム・河川事業を担当し、近畿地方建設局長、河川局長などを歴任。2002年、国土交通省退官。現在は(特非)日本水フォーラム代表理事。著書に、累計40万部突破のベストセラーシリーズ『日本史の謎は「地形」で解ける』『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』『日本史の謎は「地形」で解ける【環境・民族篇】』(以上、PHP文庫)、『水力発電が日本を救う』(東洋経済新報社)などがある。
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(元国土交通省河川局長、日本水フォーラム代表理事 竹村 公太郎)

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