ハラスメントがはびこる芸能界は外圧でしか変わらないのか…改革を訴えてきた俳優が「黒船襲来」に流した涙
2025年2月11日(火)7時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sippakorn
※本稿は森崎めぐみ『芸能界を変える たった一人から始まった働き方改革』(岩波新書)の一部を再編集したものです。
■安全対策からメンタルケア、最低報酬の設定まで、芸能界の課題
海外の芸能界では、アメリカでインティマシー・コーディネート制度が始まって演技をする上で必要な安全衛生対策を講じ、密着リスクを回避して感染やハラスメントを防止する対策が広くヨーロッパに浸透しています。イギリスでは舞台芸術で働く人のうつ病の発症率が一般の人の約2倍で、不安定労働によりワークライフバランスを崩していることがわかり、俳優の組合がメンタル憲章を掲げました。
私たち日本芸能従事者協会は、産業医と臨床心理士に加えて、保健師や専門健康心理士などと連携しながら、芸能生活のサポート体制を充実させつつ、現場視察をしながら安全衛生研修を実施しています。
2024年には映画監督が準強姦の疑いで逮捕されたことで、ハラスメント対策をないがしろにしていた人たちが、いよいよこのままではいけないと危機感を抱き始めたようです。そうした動きの中で、俳優や劇団員向けのハラスメント研修はもちろんのこと、仕事を委託するプロデューサーや監督に向けたハラスメント研修も需要が高まってきました。
今後は、建設業に浸透している安全確保のための取り組みを参考に、最低賃金にならぬ最低報酬を設定できるようにして、なおかつ安全のための経費を誰もが使える仕組み作りが必要だと考えています。
写真=iStock.com/sippakorn
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■安全祈願などこれまでの慣習を活かしつつ、改善できるのでは
日本の芸能業界には、古くから映画や演劇公演での習わしとして、安全祈願がありました。仕事の期間に三つの節目があり、「初日(しょにち)」「中日(なかび)」「千秋楽(せんしゅうらく)」と呼ばれています。
クランクインや公演初日には撮影所や劇場のどこかしこにある小さな稲荷神社に神主を呼び、お祓(はら)いやお清めをして安全祈願をする慣習があります。
実際は「中日」には中打ち上げをすることで、ストレスを解消し、結束を強めていました。
このような慣習は、残念ながら制作費や安全経費の削減により次第に少なくなっていますが、安全意識を高める上でも重要な習わしだと思います。
これを応用すれば、初日の顔合わせでハラスメントや安全衛生対策の研修を実施し、健康診断を受け、中日にストレスチェックと疲労蓄積度セルフチェックをして、必要に応じて産業医の指導を受け、千秋楽には臨床心理士によるカウンセリングを受けて、心身をリセットして次の仕事に向けたセットアップとしてのケアをしたら完璧でしょう。
■芸能人がひとつの事務所だけと契約する「義理と仁義」の世界
もう一つ、芸能界の長所でもあると思うことは、芸能界では古くから義理と仁義が尊ばれてきたことです。これによって、法律で規制できないようなルールが厳守されてきたということがあると思います。
たとえば、競合避止(きょうごうひし)義務に値することです。芸能事務所に所属している人が別の芸能事務所に同時に所属するケースを聞いたことがありません。所属する芸能事務所のホームページには顔写真や経歴はもちろん体のサイズまで記載されますが、これに同意しない人はいません。外国人のモデルが複数の事務所と契約をした例があるそうですが、日本人では前例はないと思います。外国では到底真似できない誠意ある契約実態だと思います。
写真=iStock.com/goodynewshoes
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■才能が海外に流出するばかりで、文化を育てる仕組みが不足
千秋楽を日曜日にするという伝統は、せっかく増えている女性スタッフが結婚、出産、育児や介護をしながら働き続けることを阻んでいます。保育所の多くが週末には休むため、一番人手がいる日曜日に子どもを預けられずに、女性は辞めることしか選択できない状況です。舞台スタッフの会社の経営者は「やっと仕事を覚え始めた頃に辞めていってしまう」と残念がっています。
諸外国の芸術家の生活保障制度は、たとえば、イギリスやフランスなどでアトリエの提供(アーティスト・レジデンス)や、有給休暇や失業保険(アンテルミタン・デュ・スペクタクル)の提供、韓国の広域自治体の京畿道は2023年にアーティスト・ベーシックインカム(芸術人機会所得)を始めました。
美術家の村上華子さんは、2012年に渡仏して活動の拠点を移した14年来、フランスで結婚、出産し、活動を継続しています。現代美術家の川久保ジョイさんとそのご家族は、育児のためには、ロンドンの社会が日本より開放的で、自分たちの育て方に合っていそうだと考え、移住を決めました。
こうして日本の若い才能がどんどん海外へ移住しています。その一方で、日本にアメリカの映像配信会社ネットフリックスによるアニメーターの教育機関が設立されるなど、これから育つ才能まで外国に獲得されようとしているようです。他方で、文化庁は新進芸術家の海外研修事業こそあるものの、外国人芸術家の国内への受け入れはしていません。
こうして日本の文化は海外に流出するばかりで、日本の文化を育てる仕組みが乏しいことは、本当に残念なことです。
■ジャニーズ問題が注目され、国連の人権理事会が来日して調査
2023年にBBC放送がドキュメンタリー番組『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』で、旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)の前代表である故・ジャニー喜多川氏による性加害について取り上げたことで、数十年に及ぶ膨大な被害者が次々に告発する異常事態になりました。
毎日のように被害者の告発が報道される渦中に、国連の人権理事会が来日して調査をしました。差別やジェンダー問題の聞き取りを行う中で、私も芸能の問題の当事者としてヒアリングを受けました。調査の終了にあたり記者会見が開かれて、芸能業界に「心の痛む問題がある」との声明が発表されました。
声明文では、労働条件が搾取的であることやハラスメントの法的な定義を明確にしていないことから、性的な暴力やハラスメントを「不問に付す」文化を作り出していると指摘されました。さらにアニメ業界での極度の長時間労働や、不正な下請関係に関連する問題から、クリエイターが知的財産権を十分に守られない契約を結ばされる例が多いこと、ジャニーズ事務所のタレントの数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれたことを、深く憂慮すべき疑惑として、ジャニーズ事務所のメンタルケア相談窓口による精神衛生相談を希望する被害者への対応は不十分だと指摘されました。
撮影=阿部岳人
2023年のジャニーズ事務所会見 - 撮影=阿部岳人
■人権理事会メンバーと面会し、感動で涙が止まらなかった
国連が基準とするコンプライアンスの遵守のために、あらゆるメディア・エンターテインメント企業が救済へのアクセスに便宜を図り、正当かつ透明な苦情処理メカニズムを確保して、この業界の企業をはじめとした日本の全企業が積極的に人権デューデリジェンス(HRDD)を実施し、虐待に対処するよう強く促すと、声明を発表しました。
この後、ジャニーズ事務所は被害者救済後の「廃業」を表明し、各テレビ局と民放連(日本民間放送連盟)は「人権に関する基本姿勢」を作りました。
まさか国連から指摘を受けるとは思ってもみませんでしたが、どうにもならない問題を抱えていた人々は「黒船が来た!」と、天の助けのようにありがたく思ったようです。
実際に私も人権理事会として来日した女性と面会をしたとき、感動で涙が止まりませんでした。私たちが暗中模索しながら命がけで活動を続けてきたことを、言葉にしなくても全て理解しているかのように優しく接してくださいました。
きっと困難に立ち向かう世界中の人と接しているに違いないと、彼女の目を見て思いました。人を助けたい人を助けてくれる、そんな神様のような方でした。
■性被害を繰り返さないための取り組みがテレビ局にも求められる
その後、テレビ番組に広告を出すスポンサー企業は、HRDDへの配慮として、子どもの人権を尊重しない芸能事務所に所属するタレントを起用しないと宣言しました。
森崎めぐみ『芸能界を変える たった一人から始まった働き方改革』(岩波新書)
しかし、どこまで継続的に徹底できているのかはわかりません。本来であれば、企業と放送業者が監視のできる第三者機関を設置するなどをして、二度とこうした事件を起こさないための仕組み作りをしても良かったと思います。
私はビジネスと人権の取り組みを企業とともに進めている弁護士の蔵元左近さんと一緒に民放連にお話をしに行きました。その翌年には、TBSホールディングスが人権救済の機構に加盟しました。
二度と同じ過ちを繰り返さないための取り組みは、今こそ必要だと思います。そしてスポンサーとなる企業が、自社の広告費から報酬を得て働いている芸能人を、フリーランスであっても自社のサプライチェーンの一員と認識して、性被害が起こらないように安全対策を進めることが肝要だと思います。
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森崎 めぐみ(もりさき・めぐみ)
俳優、一般社団法人日本芸能従事者協会代表理事
映画『人間交差点』で主演デビュー。キネマ旬報「がんばれ!日本映画スクリーンを彩る若手女優たち」に選出。テレビ『相棒』、舞台『必殺!』など多数出演。代表作は映画『CHARON』。2021年に全国芸能従事者労災保険センターを設立。文化庁「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」委員。著書に『芸能界を変える——たった一人から始まった働き方改革』(岩波新書)がある。
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(俳優、一般社団法人日本芸能従事者協会代表理事 森崎 めぐみ)