「声優嫌い」で有名な宮﨑駿が選んだ菅田将暉、あいみょん…『君たちはどう生きるか』の「声」が気になるワケ
2025年5月2日(金)11時15分 プレジデント社
『君たちはどう生きるか』© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli
■不気味でグロい「サギ男」が菅田将暉なのかという衝撃
「どうやら、長い間、待ち続けたお方が現われたようだ。いざ、母君の元へご案内しましょうぞ」
青サギの長いくちばしからのぞく人間のような歯と目。赤くはれた巨大な鼻。屋敷の池に降り立った青サギは、人間の言葉を話し、主人公の少年の死んだ母が生きているという嘘かまことか分からないことを言って、彼を異世界に誘おうとする。
『君たちはどう生きるか』の物語が大きく転換するシーン。なんの情報もなしに見たら、不気味な青サギの声が俳優の菅田将暉だと分かる人はいるだろうか。
『君生き』こと『君たちはどう生きるか』は、『風の谷のナウシカ』などオリジナル長編映画10作を手がけてきた宮﨑駿監督がいったん引退を宣言した後の復活作として、スタジオジブリが7年の歳月をかけて制作し、2023年7月に公開された。日本での興行収入は94億円。海外でも公開され高評価を受け、米アカデミー賞長編アニメーション映画賞に選ばれた(『千と千尋の神隠し』以来、2度目)。
『君たちはどう生きるか』© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli
■2年前の劇場公開時、声のキャストは事前に明かされなかった
この映画がそれまでのジブリ作品と違ったのは、劇場公開前の宣伝をほとんどしなかったこと。大ヒットが見込まれる東宝配給の夏休み映画なのに、ストーリーも時代設定も、主人公たちの声を誰が演じるのかも極秘情報として伏せられていた。予告編も流れず、試写会やボイスキャストが勢揃いしての記者会見も行われなかった。
筆者も映画館で初めて『君たちはどう生きるか』を見た。「吉野源三郎の同名小説を基にしている」というぐらいしか事前情報はなかったが、実際にはタイトルを借りただけのまったく別の物語だった。公開初日に見た人たちが、菅田将暉やあいみょんがキャラクターの声を当てているとSNSなどで発信。さらにテーマ曲「地球儀」を作ったのは“主題歌職人”の米津玄師だという。公開時、宮﨑駿監督は82歳だったが、かなり若者に寄せてきた人選だと思った。
菅田将暉が出演していると聞けば、ほとんどの人が、主人公の少年・眞人の役だと思うだろう。しかし、映画が始まって眞人の声を聞いていると、どうもそうではない(眞人役は公開時18歳の山時聡真(さんときそうま))。その父・勝一(しょういち)の声は木村拓哉で、これも冒頭の東京での緊迫したシーンでは分かりにくいが、舞台が疎開先の地方になってからは、さすがに分かる。
■声色を変えて演じた菅田は、アフレコ後しばらく声が出ず…
他には、眞人の死んだ母の妹であり、姉の死後すぐに勝一と関係を持ったと思われる(既に妊娠中!)夏子役の木村佳乃。これはもう第一声から、木村の顔が思い浮かぶぐらい、分かりやすい。夏子の実家は地元の名家で、山中の広大な敷地に立つ「青鷺屋敷」であり、そこに奉公している老婆たちも出てくるが、どれも女性ばかりなので、菅田将暉ではない。ということは……と消去法で、屋敷の中をわが物顔にビュンビュン飛ぶ「青サギ」がそうなのだと気づいた。
登場時は、一見普通の鳥類である青サギだが、やがてそこに中年男性のような顔がのぞくようになる。公式に「サギ男」とも表記される青サギは、奇妙な外見、不敵で挑発的な言動、しわがれたダミ声。「これ、イケメン俳優でもある菅田将暉がやる意味ある?」とも思ったが、最後まで観客に違和感を抱かせず、シェイクスピア劇の道化師のような狂言回しを演じ切った彼は、やはりすごい。
『『君たちはどう生きるか』ガイドブック』では、アフレコ時の苦労について菅田自身が語っている。準備として実際に鳥のサギの鳴き声を聞いて真似して臨み、現場に入ると宮﨑監督に「変な役でごめんね」と謝られたという。
録音スタジオで何パターンか試すうちに、サギ男の不気味なしわがれ声はこれだというトーンが見つかり、宮﨑監督にも「それでお願いします」とOKをもらったものの、トータルのセリフ量はかなり多い。菅田は「声色を変えて演じることをやったことはなかったので、大丈夫かなぁ」と心配しながら声を出し続けて喉を酷使した結果、その後はしばらく声が出なくなったそうだ。
菅田将暉が演じた「サギ男」(『君たちはどう生きるか』© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli)
■主題歌「地球儀」を作った米津玄師も宮﨑監督を前に緊張
10代の頃からシリアスな役もコミカルな役もこなし、演技の才能を認められてきた菅田だが、声の演技は決して得手ではなかった。2017年のアニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』では“ぎこちなさ”もあっただけに、本作の豹変演技でまたひとつステージを上がったと言える。
また、『打ち上げ花火〜』でも組んだように、主題歌の米津玄師と菅田は、楽曲を提供し提供されてきた仲。幼少時からジブリ映画と共に育ってきた世代だけに、『君生き』で宮﨑駿監督と対面したときの感激についても語り合っていた。“神”のようなクリエイターが目の前にいて、自分の演技や楽曲をジャッジされる緊張感たるや……。当代のトップランナーである2人にとっても、『君生き』は夢のような体験だったようだ。
■柴咲コウの役を含め、全キャラがジブリ社員をモデルに
菅田と同じぐらい「映画を見ても誰だか分からない」キャスティングは、キリコ役の柴咲コウだ。キリコは始め、屋敷の女中“七人の老婆”の一員として登場するので、まさか柴咲とは思わない。戦時の物資不足の中、愛煙家のキリコは、眞人に勝一のタバコを分けてもらおうとする。その後、姿を消した夏子を追って、眞人と共に、封じられた「塔」へ。すると、異世界に通じ、そこでキリコは若返った姿で登場する。
同ガイドブックでは柴咲が、映画公開後、自分の声をよく知る友人たちから「ふたつの世界のキリコ両方を演じているとはわからなかった(老婆役も柴咲とはわからなかった)」と言われ、うれしかったと語っている。
異世界で帆船を繰り巨大な魚を捕ってたくましく生き抜くキリコは、スタジオジブリで35年間色彩設計(色指定)を担当していた保田道世がモデルだという。2016年に亡くなった保田は、宮﨑監督にも忖度なく厳しい意見を言える数少ない人間で、監督からも「戦友」と呼ばれていた。
同じように、主人公の眞人は宮﨑監督自身、または「なりたかったもうひとりの自分」。青サギは監督の盟友である鈴木敏夫プロデューサー、眞人の大伯父はジブリの高畑勲監督(故人)をモデルにしていることが、ガイドブックや雑誌『SWITCH』2023年9月号、ドキュメンタリー『宮﨑駿と青サギと… 〜「君たちはどう生きるか」への道〜』などで明かされている。
柴咲コウが演じた「キリコ」(『君たちはどう生きるか』© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli)
■母を早くに亡くした宮﨑監督の自伝的作品でもある
鈴木プロデューサーによれば、全ての主要キャラクターがジブリのメンバーであり、眞人が迷い込む塔はスタジオジブリという会社そのものだという。『君生き』の壮大なストーリーは、宮﨑監督という天才によって生み出され、長編映画を公開するたびに100億円前後の興行収入を稼ぎだし、その輝ける宮﨑駿時代を終えようとしているジブリのメタファーなのかもしれない。
同時に、『君生き』は宮﨑監督の自伝的作品でもあり、木村拓哉が演じる勝一は監督の父、眞人の母とその妹・夏子は監督の母だという。20年前、『ハウルの動く城』でタイトルロールを演じた木村は、その声のかっこよさと単純さ、情けなさもある点が鈴木プロデューサーや宮﨑監督に買われているようで、今回も指名された。戦時中に零戦などの製造に関わり成功した父親の熱さと軽さを表現してみせた。
木村佳乃が演じた「夏子」、木村拓哉が演じた「勝一」(『君たちはどう生きるか』© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli)
■“あいみょん”が主題歌ではなく声のキャストとして参加したワケ
木村拓哉以外のキャストではオーディション(選考)が行われたという。シンガーソングライターの“あいみょん”もオーディションを受けた。米津玄師と同じく、ドラマや映画には出るより主題歌を提供する立場であった彼女が、なぜヒミという重要な役柄を任されることになったのか。その起用理由は、雑誌『SWITCH』2023年9月号のインタビューで明かされている。
子どもの頃からジブリの大ファンだったあいみょんは、2021年の年末、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーのラジオ番組に出演したときに「いつか宮﨑さんの作品に携わらせてほしい、それも“声”をやってみたい」と猛烈アピールした。
2022年秋、鈴木からオーディションに招待され、そこで炎を操る謎の少女ヒミのセリフを読み上げてみた。すると鈴木から「男の子みたいな声だね」「あとは選ぶのは宮さんだからさ」と言われ、「これ、もうおしまいやん」とガッカリ。まさか合格するとは思っていなかったが、サバサバした感じがジブリヒロインとして新しいと歓迎され、採用されたのだという。
あいみょんが演じる炎を司る少女「ヒミ」(『君たちはどう生きるか』© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli)
■「声優嫌い」で有名な宮﨑監督は、上手さよりリアル感を求める
オーディションを行う場合、鈴木プロデューサーらがある程度、候補者を絞り、実際にキャラクターのセリフを読んでもらって録音。それを「声と名前以外の情報は一切知らされない」状態で、宮﨑監督がジャッジする。
ガイドブックでポストプロダクション担当の古城環がこう明かしている。
「宮﨑さんは普段日常的に映画やテレビをほぼ観られていないので、役者さんの名前を挙げるだけではダメなんですよね。基本的に主要な役はオーディションをして、本編のセリフを読んでいただいてそれを聞いてもらわないと判断できない」
「(オーディションでは)その人が一番無理のない声域で、どういうお芝居ができるかを出してもらう感じ」
「(眞人役について)宮﨑さんはアンニュイな感じも含めて思春期そのものをほしがっていました」
宮﨑駿監督はかねて「声優嫌い」としても知られている。漫画原作のテレビアニメなどで活躍し人気声優ランキングに入るような人はあまり使いたがらない。
『ジブリの教科書3 となりのトトロ』ではこう語り、一部で物議を醸した。
映画は実際時間のないところで作りますから、声優さんの器用さに頼ってるんです。でもやっぱり、どっかで欲求不満になるときがある。存在感のなさみたいなところにね。特に女の子の声なんかみんな、「わたし、かわいいでしょ」みたいな声を出すでしょ。あれがたまらんのですよ。なんとかしたいといつも思っている。
■『トトロ』の糸井重里、『風立ちぬ』の庵野秀明という素人起用
かつてはそうではなかった。40年前、『ルパン三世 カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』でヒロインを演じたのは、島本須美だった(『となりのトトロ』『もののけ姫』にも出演)。島本は「アンパンマン」シリーズの“しょくぱんまん”としても知られている。
『天空の城ラピュタ』で主人公パズーを演じた田中真弓は、ご存じ、『ONE PIECE』のルフィだし、『ドラゴンボール』のクリリンでもある。『魔女の宅急便』のキキ役、高山みなみも、映画版ではジブリと興行成績トップを競う「名探偵コナン」シリーズのコナン役で有名だ。
しかし、1988年公開の『となりのトトロ』から、幼い姉妹の父親役がコピーライターの糸井重里になるなど、素人起用が始まる。引退作と銘打たれた『風立ちぬ』(2013年)で主人公を演じたのは、かつて宮﨑監督の下でも仕事をした庵野秀明(『シンゴジラ』『新世紀エヴァンゲリオン』などの監督)だった。
『風の谷のナウシカ』© 1984 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, H、『魔女の宅急便』© 1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N
■『風立ちぬ』は内輪ノリの決定で批判も浴びた
同作では、主人公である堀越二郎役の選考が難航していた。零戦を作った天才的な航空設計技師を誰が演じるのか。宮﨑監督いわく「声優じゃなくて、役者にやってもらったけれど、嫌になっちゃって」。オーディションを受けた俳優たちが「相手(宮﨑監督)の心をおもんばかってばかりいて、(作品や役柄を)分かっているふりをして、感じが出ている僕という(自己満足をしている様子)」に辟易としていたらしい(ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』より)。
そこで鈴木プロデューサーが思い当たったのが、堀越二郎と同じく天才肌の庵野監督だった。宮﨑監督は、断りきれずに引き受けた庵野監督に対して「うまくやろうとしなくていい。いい声だからでなく、存在感で選んだのだからそれを出さなくてはならない」とアドバイスした。
しかし、結果的にこの起用は、観客から「演技が下手すぎて作品に入り込めない」という批判も浴びてしまった。ジブリの内輪ノリが裏目に出たとも言える。
『風立ちぬ』© 2013 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDHDMTK
■映画宣伝に長けた鈴木プロデューサーの「ゼロ戦略」
そんな前作から10年を経ての、『君生き』のボイスキャスト選考だったわけだ。その結果、そろった豪華メンバーを一覧すれば、鈴木プロデューサーらが候補に挙げる時点で、知名度が高くカリスマ的な人気を誇り、映画の宣伝にもなる人を選んでいたと思われる。宮﨑駿という稀代のアニメ監督の“本当の引退作”にふさわしいメンバーをそろえたのではないか。
というのは、主題歌の米津玄師と対談した動画で、鈴木プロデューサーが「米津さんが今、大人気だと知って、玄師という名前だから、元はお坊さんか何かに違いない。この人とは仲良くしておいたほうがいいと思った」という趣旨のことを言っていたからだ。現在の音楽シーンを知る人なら「そんなていどの認識で米津玄師に頼んだのか」とツッコむところだし、鈴木プロデューサーが話題性や若者へのリーチを重視していることがわかる。菅田将暉や“あいみょん”も、マーケティング抜きの人選ではないだろう。
しかし、結果的に鈴木プロデューサーは「宣伝しない」ことを選んだ。ガイドブックではその理由をこう語っている。
今の世の中、どこもかしこも広告ばかりで、映画で言えば、キャラクターやあらすじどころか、ラストシーンまで全部見せてしまっている作品もある。それと逆をやったほうが目立つだろう、ということです。スタートダッシュが『千と千尋の神隠し』の2倍だったのは、それが理由でしょう。
■本当に『君生き』が宮﨑駿最後の長編になるのか?
菅田将暉、あいみょん、米津玄師というカリスマ3人のネームバリューは、事前の宣伝には使えなかったが、公開後の発表や口コミによって絶大な宣伝効果をもたらした。そんな大胆な、ある意味もったいない戦略を取れたのも、宣伝なしでも見てもらえるジブリのブランド力と、宮﨑監督と観客が長年築いてきた信頼関係があったからこそだろう。
宮﨑監督は『君生き』が「最後の長編映画」だと明言しているが、“引退するする詐欺”のようなもの。鈴木プロデューサーたちも、まだ次を作るのではないかと覚悟しているようだ。82歳のレジェンドが現時点で到達した境地を、未見の人はぜひ見てみてほしい。
『君たちはどう生きるか』© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli
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村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
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(ライター 村瀬 まりも)