「なんで産まないんですか?」面と向かって受けた問いに"日本一論争に強い女"上野千鶴子が返した言葉

2024年2月27日(火)11時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jaimax

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「子どもを産まない女は一人前じゃない」「なんで産まないの?」。日本ではそんな差別発言がいまだに残っている。どう返せばいいのか。社会学者の上野千鶴子さんは「相手はあなたの人生を真面目に配慮して言っているわけではないのだから、コケにして返せばいい」という——。

※本稿は、上野千鶴子『こんな世の中に誰がした?』(光文社)の一部を再編集したものです。


■自分の人生を生きているか


基本はやっぱり自分が何をしたいかです。そう言うと「わからない」と言う人もいますが、人間を何十年もやってきて、今さら何を言っているんだろうと思います。


こういう答えは特に優等生に多いようです。優等生は自分が嫌いなことでも課題を与えられれば平均点以上にできてしまう、パフォーマンス力の高い困った人たち。そうやって周囲から「すごいね」とほめられることに慣れてしまうと「何がしたいの?」「何が好き?」と聞かれても答えられない。でも、東大生にいつも言うのは、「あなたをほめてくれるのは誰? 親や教師だよね。その人たちはあなたより先に死ぬよね。ほめてくれる人がいなくなったらどうするの?」と。死んでからまで親や教師の呪縛にとらわれているとしたら、自分の人生を生きているとは言えません。


■周囲の期待に応えたい女性たち


ある東大卒のキャリア女性がインタビューで「自分の得意が何かと考えたら、人の期待に応えることが得意だとわかった。だからこれからも人の期待に応えて生きようと思います」と言っているのを聞いて、痛ましく感じたことがあります。メディアからお声がかかれば、その期待に応えてメディア芸人のようなこともやるということでしょうか。


そんなふうに周囲の期待に応えたい人たち、とりわけ女性はたくさんいます。目の前にいる誰かを満足させるのが女の役割だと刷りこまれてきてるからです。ケアする性としての女性は他人の役に立ってなんぼ、役に立たない女は存在価値がないと思われがちです。男女を問わず、他人から必要とされる人になりたい、そうすべきだという思いこみはすこぶる強いようです。


写真=iStock.com/jaimax
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jaimax

■オッサンメディアが女性に期待する役割


メディア界から女性に期待される役割には、女に女叩きをやらせる役割があります。たとえば保守系メディアには右翼の女性知識人の指定席があります。


かつてそこを占めていたのは曽野綾子さんや上坂冬子さんでした。最近では三浦瑠麗さんや杉田水脈さんもそのひとりでしょう。産経新聞や保守論壇誌などから声がかかって、この特集にこういうことを書いてくださいと言われたら、オッサンたちの期待を先取りして、オッサンさえ言い淀むようなことを発言して地雷を自分から踏みにいく。そういう役割を果たす女にはいつだってオッサンメディアからニーズがありますから、指定席が空いていれば座る気満々の女も出てきます。そうやって期待に応えると、あとでどうなるか。使い捨てにされて終わりです。


■やるべきでないこともある


方向性が定まっていない若い知識人は、塀の上を歩いているようなものだと自覚してください。塀の内側と外側、どちら側に転ぶのか。メディア芸人には危うい選択もあります。途中から保守化していく男性知識人も多く、「この人、若いときはこうじゃなかったのに」と思うことが幾度もありました。


社会学者 上野千鶴子さん(撮影=市来朋久)

わたしもうんと若いときに産経新聞から「正論」というコラムの執筆者にならないかとオファーを受けたことがあります。いったい誰に頼んでいるのか、と呆気にとられ、申し出を受けませんでしたが、新聞に載ってお金にもなり社会的承認がもらえるならと、舞い上がる人もいるでしょう。


実際、その頃、研究費を潤沢に出してくれるテーマがありました。テーマのひとつが「迷惑施設の研究」で、クライアントは電力会社でした。「迷惑施設」というのは原発の婉曲語法です。新規に原発を建設するとき、地元の市民運動対策をどうすればいいか、どういう戦略で建設を進めればよいのかを研究するというプロジェクトでした。もうひとつはサラ金こと消費者金融でした。貸し倒れを防ぐために、初回の面接でハイリスクを見抜くチェックシステムの開発でした。いずれも研究費は潤沢でしたから、喉から手が出るほど研究費のほしい若い研究者にとっては魅力的なオファーでした。今日では軍事技術の開発に防衛省が出す研究資金が、若手研究者にとって魅力的な資金源になっていることでしょう。


わたしは市民運動をよく知っていましたし、好奇心が強いものですから、「迷惑施設の研究」には乗り気だったのですが、親しい友人たちが「待った」をかけてくれました。「あなたがそんな研究を引きうけるなら、これから付き合わない」と。わたしはそこで思いとどまりました。あのとき引きうけていたら、わたしの研究史上の汚点になったかもしれません。


■マーケットは自分でつくるもの


なんといってもストレスをためずに、自分のやりたい仕事をやりたいようにするのが一番です。


同じことをタレントの遙洋子さんにも言ったことがあります。彼女は『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(筑摩書房、2000年/ちくま文庫、2004年)を出してから、使いにくい女という評判が立って「TVの仕事が激減しました」と嘆いていました。


でも「代わりのマーケットができたでしょう」と。彼女には、全国の教育委員会や女性関係の団体から講演の依頼がくるようになりました。「わたしはああいうことを真面目にしゃべるよりも、チャラチャラした世界が好きなんです」と言っていましたが、ジェンダー平等の女性論客としての知名度もすごく上がったはずです。わたしは講演先で「サインしてください」と言われて差し出されたのが遙さんの本だったこともあります。「ごめんなさい。これはわたしの本じゃないの。ご本人に頼んでね」って答えました。


物書きをやるにしても媒体は一枚岩ではありません。だって『月刊Hanada』から『週刊金曜日』まであるんですから、読者と媒体を選ぶことも大事です。マーケットがなければ、自分のマーケットを自分でつくっていけばいいんです。


■上野千鶴子流ケンカの上達法


仕事をするうえでイヤな思いは何度もしてきました。たとえば、男も女も「子どもを産まない女は一人前じゃない」と平然と言う人がいっぱいいます。そう言われれば「親になることだけが一人前になる方法ではありません」と返します。ほんとは、だとすれば子どもを産まない男は永遠に一人前になれないのか、と返したいところですが。


Twitter(現X)でバッシングを受ける人もたくさんいますが、わたしたちは同じようなことを面と向かって何度も言われました。「子どもを産まない女は信用ならない」「なんで産まないんですか?」と聞かれて、「大学では子どものつくり方を教えてくれませんでしたから」と答えたこともあります。すると「ボクが教えてあげましょうか」というバカな男もいました。「あなたは遠慮します」って返しますけど。ああ言えばこう言う、です。相手はあなたの人生を真面目に配慮して言っているわけではありませんから、コケにして返せばいいんです。


写真=iStock.com/kieferpix
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■こうして打たれ強くなった


そういうことを平気で言っていたらどんな報いがくるかをわかってもらわないと、そういう発言は減りません。彼らは本当に無知と鈍感さから言っていますから、真に受ける必要はありません。無責任で想像力のない問いに「産んだんですが……生まれてすぐ亡くしまして……」と言ってやろうかと思ったこともあります。ケンカの方法を学んだのは、別に学びたくて学んだんじゃなくて、降りかかる火の粉を払うために、余儀なく学ばざるをえなかったのです。


そういう場面に何度も遭遇して、うまく言い返せなくて「クソ! あのヤロー、あのときこう言い返せばよかった」と、あとでジワッと腹がたつこともよくありました。これまでの経験でわかったのは、差別発言は、たいていパターンが決まっているということ。だから事前に対策ができます。「これで来たらこれで返そう」と。予想がはずれることは滅多にありません。差別者は想像力が乏しく、凡庸なことしか言いませんから、たまにははずしてくれよと思うくらいです。こう来たらああ返すとか、こんなふうにフェイントをかけるとか、いろんなやり方を想定して、予想どおりの展開になると「ああ、来た来たー! 待ってましたあ」みたいなものです。


そうやって場数を踏んできたので、言い返せるようになりました。「上野千鶴子」が一日でできあがったわけではありません。打たれ強くなったのは、わたしがそういう場面にたくさん直面してきたからです。誰が好きで打たれ強くなりますかいな。


写真=iStock.com/AH86
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AH86

■エネルギーになったのは邪気


言われっぱなしにしないで、次はこうしようと思えたのは、やっぱり怒りがあったからです。それといくらかの邪気、つまり邪な気持ちです。オヤジ転がしがおもしろかったというのもいくらかはあります。


ネット界では「論破」が流行っているそうですが、いくら論破しても相手が納得するとは限りません。たとえば、仏教徒とキリスト教徒が教理問答をしてどちらかがどちらかを論破したとしても、相手の信仰はゆらぎません。わたしは「日本で一番論争に強い女」と呼ばれましたが、論争というのは論敵に対してではなく、聴衆に対してするものです。


だから相手にとどめを刺す必要はないんです。聴衆に相手の論旨の破綻や愚かさが見える化するように、もてあそぶ。イヤなやつかもしれませんね。でも勝負を決めるのは聴衆ですから。ただしそういう目に遭ったオッサンたちからはあとで怨まれました。彼らは面と向かって批判されるより、コケにされるほうが(とりわけ若い女に)ずっとプライドが傷つきますから。そのオッサンたちからは二度とお呼びがかからなくなります。


■「男は論理的、女は感情的」のウソ


でも、いいんです。大丈夫、捨てる神あれば拾う神ありで、呼んでくれる人たちもいます。別のマーケットがあるからです。



上野千鶴子『こんな世の中に誰がした?』(光文社)

よく男は論理的、女は感情的と言いますが、わたしは男が論理で動くなんて思ったことがありません。もし論理で動くなら、世の中にもっと正論が通っているはずです。彼らが何で動くかですって? 利害です。


女も利害で動くけれど、損得勘定は相対的に男のほうがはっきりしています。利害をちらつかせたら、彼らはかんたんに落ちます。政治家を見ているとわかるでしょう。


歳を取ったら邪気が減ってきて無邪気になりました。加齢の効果です。若いときは邪気満々。昔はオヤジ転がしが楽しくて仕方なかったけれど、今はどんどん無邪気になりました。無邪気になるほうが人生はずっと楽ですが、邪気は人間のエネルギーにもなります。


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上野 千鶴子(うえの・ちづこ)
社会学者
1948年富山県生まれ。京都大学大学院修了、社会学博士。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で40年間、教育と研究に従事。女性学・ジェンダー研究のパイオニア。
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(社会学者 上野 千鶴子)

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