愛子さまには結婚後も皇室にとどまる覚悟がある…では佳子さまは? 皇室研究家が指摘「政府の残酷な仕打ち」
2025年2月28日(金)9時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke
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■安定的な皇位継承への取り組みはさらに先延ばしに
皇室の将来を左右する「立法府の総意」の取りまとめに向けた国会を構成する全政党・会派による協議が再開された。
本来なら安定的な皇位継承を可能にするために、古いルールを抜本的に見直さなければならないはずだった。現在の皇室典範では、一夫一婦制で少子化が進んでいるのに、皇位継承資格を「男系男子」に限定する明治以来の“縛り”を、うっかりそのまま維持している。
しかし、代々必ず嫡出の男子に恵まれることは、もちろん期待しにくい。そうであれば、このようなミスマッチな構造的欠陥を抱えるルールを維持するかぎり、皇位継承の安定化は望めない。
天皇皇后両陛下にお子さまがおられて、誰よりも両陛下のお気持ちを受け継いでおられることが明らかなのに、その方が“女性なら”皇位継承のラインから“除外される”、というルールは、もはや時代錯誤と言うしかないだろう。
にもかかわらず、政府・与党はそこに手をつけるつもりはない。安定的な皇位継承への取り組みを、この期に及んでさらに先延ばしして、とりあえず皇族数の減少に目先だけの歯止めをかける方策が検討されている。
それも深刻な問題点を抱えたプランばかり。なので、昨年やっとスタートした協議は、たちまち暗礁に乗り上げてしまった。それなのに性懲りもなく、今回も同じ案をもとに議論を進めようとしている。
■旧宮家プランをめぐる“都市伝説”
協議での検討対象とされている2つのプランのうち、1つは一般国民の中からいわゆる旧宮家系子孫の男性だけを特別扱いして、他の国民には禁止されている皇族との養子縁組を可能にする。それによって結婚を介することなく、例外的・特権的に皇族の身分を取得できるようにするという、長い皇室の歴史でもまったく前例がない新奇な制度だ。
これについては、「国民平等」の原則に反し、家柄・血筋=門地(もんち)による差別に当たり、憲法(第14条)違反の疑いが指摘されている。また養子になろうとする国民も、その養子を受け入れて養親になっていただける皇族も、果たして実在するのかどうか、疑問視する声が強い。
ところが、驚いたことに政界の一部では、この旧宮家プランこそが皇室の望んでおられる制度ではないか、という“都市伝説”がまことしやかに語られているらしい。その根拠は何か。
旧宮家プランを推し進めようとしているように見える自民党最高顧問の麻生太郎・元首相が三笠宮家の信子妃殿下の兄に当たる、というそれだけのこと。しかし、そんなことが根拠になるとは考えにくい。
■愛子さまを詠んだ信子さまの和歌
三笠宮家は、失礼ながら皇室の中では傍流に過ぎない。しかも、皇族の中で例外的に旧宮家プランに関心が深かったのは、信子妃殿下ではなくその夫の今は亡き寛仁(ともひと)親王だった。
信子妃殿下と寛仁親王との関係は、残念ながら必ずしも良好だったとは言いにくい。信子妃殿下が宮邸を出て、元は宮内庁長官公邸であった宮内庁分庁舎で暮らし続けておられる事実が、そのことを雄弁に物語っている(分庁舎の老朽化対策やバリアフリー化のための改修工事中は高輪皇族邸に住まわれる)。
しかも、信子妃殿下は敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下がご成年を迎えられた際には、「ご成年を迎えられた敬宮殿下が、お車で颯爽と大学に通っておられるお姿を窓越しに拝見すると、まぶしく輝いておられるように見える」という趣旨のお歌を歌会始に提出されていた(令和4年[2022年]、お題は「窓」)。
成人を 姫宮(ひめみや)迎へ 通学に 通ふ車窓の 姿まぶしむ
宮内庁のホームページの解説によると、信子妃殿下は「ご幼少時より敬宮殿下に深い敬意と愛情を持って見守ってこられ」たという。
これらの事実から、少なくとも信子妃殿下が旧宮家プランに共感しておられることは、確認できない。
■「女性宮家」創設は皇室の願い
いずれにしても、皇室の意思が旧宮家プランを支持しておられるなどという憶測には、何の根拠もない。
旧宮家系の人々はすでに80年近くも前に皇族の身分を離れている。それら元皇族の孫以下の世代で血縁がはるかに遠い男子を、結婚という心情的・生命的なつながりもなく皇室に迎え入れるプランには、皇室の方々はむしろ違和感を抱いておられると考えるのが自然だろう。それを窺わせる事実もいくつか知られている。
元皇族との交流を図る菊栄親睦大会が開かれたのは、最も近くで平成26年(2014年)5月18日だった。それからすでに10年以上の歳月が流れている。今後もし開催されても、このような開催間隔の遠さは、今の皇室と旧宮家系との距離感を映し出している。
皇室が願っておられるのは、旧宮家系男子との養子縁組ではなく、もう1つの方策だろう。未婚の女性皇族がご結婚後も皇族の身分を保持し続けることを可能にする「女性宮家」プランだ。
その場合、政府が提案している配偶者とお子さまを国民とする、近代以来前代未聞の「皇族と国民」という異なる身分の家族によって構成される世帯などは、とても女性宮家とは言えず、およそ論外だろう。
■羽毛田宮内庁長官の行動の背景
皇室が女性宮家を望んでおられることを裏付ける1つは、笠原英彦氏の近刊『皇室典範—明治の起草の攻防から現代の皇位継承問題まで』(中公新書)で紹介されている事実だ。
「羽毛田信吾宮内庁長官は2011(平成23)年10月5日、就任早々の野田(佳彦)首相を官邸に訪ねた。席上、長官は首相に対して、今後皇族の減少により皇室の活動に支障をきたす旨を『火急の案件』として伝えた」
「野田元首相によれば、『当時の羽毛田信吾・宮内庁長官から、皇族数の減少に対する危機感が伝えられたのがきっかけだ。宮内庁サイドには女性宮家創設に期待する向きがあった』という」
■「天皇の意思」「陛下の思い」
同じ著書から引き続き引用する。
「毎日新聞のベテラン皇室記者、大久保和夫氏は『上御一人(かみごいちにん)』というように、皇室においては天皇が最高位にあり、天皇の意思ですべて動くとしたうえで、『陛下が、やはり、何とかできないだろうかという思いがあったからこそ、羽毛田さんが一生懸命、野田内閣に働きかけて。女性、女系天皇というと、いろいろ賛否両論、国論が2つに割れかねないから、皇族の減少を防止する、それを少なくとも、これ以上、減らさないようにするために女性宮家の創設ということで、やったらどうかということを野田内閣のほうに言って』と経緯を説明する。大久保氏によれば、長官退任後の取材に、羽毛田氏は暗に真意が皇位継承問題にあったことを認める含みのある表現を使ったという」
羽毛田長官の行動は「天皇の意思」「陛下の思い」を受けたものだった。しかも女性宮家の創設は、その先に「皇位継承問題」の解決、つまり女性天皇、女系天皇の可能性も見据えたものだった。
このことは、昨年に行われた同氏の講演の中で、次のように危機感を訴えていた事実からも明らかだろう(令和6年[2024年]3月15日開催、「毎日・世論フォーラム」毎日新聞社主催)。
「(皇室制度の)改正に向かって具体的な動きを起こすことは待ったなしだ」
「皇室に女性がいなくなれば、女系に広げる選択肢はそもそもなくなる」
■渡邉元侍従長の訴え
このような重大な案件について、皇室をお支えすべき立場にある宮内庁の長官が、当時の天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下のお考えと無関係に、勝手に政府に働きかけるような動きをするはずがないことは、普通に考えたら当たり前だろう。つまり、女性宮家の創設は何よりも皇室ご自身の強い願いだった。
そのことを補強する事実がほかにもある。それは平成8年(1996年)12月から同19年6月まで10年半にもおよぶ長期にわたり、上皇陛下のおそばにお仕えした元侍従長の渡邉允(まこと)氏の発言だ。
同氏の著書『天皇家の執事 侍従長の十年半』が文庫化される時(文春文庫、平成23年[2011年]12月)に書き加えた「後書き」では、とくに女性宮家の必要性について次のように強調していた。
「皇室は国民との関係で成り立つものです。天皇皇后両陛下を中心に、何人かの皇族の方が、両陛下をお助けになる形で手分けをして国民との接点を持たれ、国民のために働いてくださる必要があります。そうでなければ、皇室が国民と遠く離れた存在になってしまうことが恐れられます。
そこで、例えば、内親王さまが結婚されても、新しい宮家を立てて皇室に残られることが可能になるように、皇室典範の手直しをする必要があると思います。……これは1日も早く解決すべき課題ではないでしょうか」
ここまで踏み込んだ発言を、元侍従長という立場の人が、まったく独断で対外的に公表できるはずがない。そうであれば、先の推測はより一層、確かな事実と受け取ることができるはずだ。
しかし、皇室からの切なる願いを真剣に受け止めて、女性宮家の創設への検討を始めた野田内閣は、具体的な制度改正にたどりつく前に退陣した。その後をうけて、新たに発足した第2次安倍晋三内閣では早々に、女性宮家の検討を「白紙」に戻してしまった。これに対して、皇室の方々はどのように受け止められただろうか。
■意味深長だった天皇陛下のお答え
これまでの経緯を振り返ると、少なくとも天皇皇后両陛下のお子さまでいらっしゃる敬宮殿下は、ご結婚後も皇族の身分にとどまられる可能性も織り込んで、現在まで過ごしてこられたと考えられる。
この点について、いくつか基本的な事実を取り上げてみよう。
まず、天皇陛下は敬宮殿下がまだ3歳だった頃に、養育方針について次のように答えておられた(平成17年[2005年]のお誕生日に際しての記者会見)。
「愛子の養育方針ですが、愛子にはどのような立場に将来なるにせよ、1人の人間として立派に育ってほしいと願っております」
これは意味深長なお答えだった。皇室典範のルールのままなら、ご結婚とともに国民の仲間入りをされる。だから、わざわざ「どのような立場に将来なるにせよ」という不確定性を含む回答をする必要はない。
しかし、制度改正のゆくえ次第でそうではない可能性もあるとあらかじめ見越しておられたからこそ、このようなお答えになったと考えるべきだろう。
■令和の皇室で唯一の皇女として
また、敬宮殿下がご成年を迎えられた時の記者会見で、殿下から両陛下に伝えたい言葉を尋ねられた際に、ほかの言葉とともに「これからも長く一緒に時間を過ごせますように」という言葉を付け加えておられた。もしご結婚とともに皇室から離れられるおつもりなら、もう少し違った言い回しになったのではないか。
あるいは昨年、過去の天皇が亡くなられてから節目の年ごとの「式年祭」に際して、事前に各天皇のご事蹟について専門学者のご進講が行われた時にも、注目すべき出来事があった。
ご進講に際しては、天皇皇后両陛下だけがそれをお受けになるのが通例だ。ところが、最初の「後亀山天皇六百年式年祭」(5月19日)に先立つご進講の時は両陛下のみだったが、その後の「後宇多天皇七百年式年祭」(7月24日)、「平城天皇千二百年式年祭」(8月9日)、「懿徳(いとく)天皇二千五百年式年祭」(10月1日)それぞれの事前のご進講には、両陛下のほかに敬宮殿下も陪席された事実がある。
これは明らかに異例であって、天皇陛下がとくに敬宮殿下もお誘いになったのか、それとも敬宮殿下が自ら希望されたのか。いずれにしても、敬宮殿下ご自身に皇室の将来を担おうとされるお気持ちがなければ、このようなことはなかったのではないか。
あるいは、今年の1月24日に行われた皇宮警察本部の「年頭視閲式」には、両陛下のほかに初めて敬宮殿下もご一緒に出席された。これは今後も恒例化される可能性がある。こうしたことも、皇籍離脱を予想していればおそらく控えられたのではあるまいか。
今の欠陥を抱えた皇位継承ルールで皇位継承順位が第1位とされる皇嗣の秋篠宮殿下であっても参加できない特別な場に、令和の皇室で唯一の皇女として敬宮殿下が普通に加わっておられる。この事実が持つ意味は、決して軽くないだろう。
このように見てくると、女性宮家の創設は皇室ご自身の願いであることが分かるとともに、少なくとも敬宮殿下はご結婚後も皇室にとどまるご覚悟をお持ちではないか、と拝察できる。
写真提供=共同通信社
宮内庁新浜鴨場でカモの放鳥に臨まれる天皇、皇后両陛下の長女愛子さまと、秋篠宮家の次女佳子さま=2025年2月14日正午ごろ、千葉県市川市 - 写真提供=共同通信社
■佳子さまのお気持ちは?
ただし、ほかの女性皇族については、一律に判断するわけにはいかない。
たとえば、秋篠宮家の次女でいらっしゃる佳子内親王殿下の場合はどうか。
秋篠宮殿下と最も近い関係にあるとされるジャーナリストの江森敬治氏は、次のように述べている(「週刊女性PRIME」令和7年[2025年]1月12日公開)。
「佳子さまは生まれてから30年もの長い間、『あなたは、結婚したら一般国民になります。皇族でなくなります』などと、ずっと言われて育ってきた。本人もそのようにしっかり自覚している。それがどうだろう。『皇室制度が変わりました。結婚してからも皇室に残ってください』といきなり政府から言われても、佳子さまは大変、困るであろう」
「姉がすでに結婚して一般国民となっているのに、佳子さまが結婚しても1人、皇室にとどまるだろうか。あれほど、姉のことを慕っている佳子さまにすれば、姉妹の情として、皇室に残ることは考えにくい」
あるいは、野田内閣で女性宮家の議論が開始された頃のこととして、次のような報道があった(『文藝春秋』令和5年[2023年]9月号)。「秋篠宮家には動揺が走った。秋篠宮は『今さら言われても遅いよね』と周囲に不満を漏らしたという」と。
制度の改正にあたり、これまでのルールのもとで育ってこられた方々について、当事者のお気持ちに配慮すべきことは、当然ながら政府も国会も一致しているようだ。
■「私に選択権はございません」
三笠宮家の彬子女王殿下、瑤子女王殿下のご姉妹は以前、それぞれ次のように述べておられた(『文藝春秋』平成21年[2006年]12月号)。
まず彬子女王殿下。
「(皇室典範の)改正次第で(結婚後も皇室に)残ることになるかもしれないと言われたときは、やはり自分の中で戸惑いがありました。私に選択権はございませんし、決まった状況に従うしかないと思います。
ただ、一言申し上げることが許されるのでしたら、私たちは子どもの頃から、『お前たちは結婚したら民間に行く身だから』と父(寛仁親王)に言われて参りました。電車に乗って学校に行ったり……小遣い帳をつけてやり繰りしたりという教育をされてまいりました。……皇族として残るのであれば、子どもの頃からそう教育されるべきだと思います」
次に瑤子女王殿下。
「皇族に残るということについて、父から『それでもお前はいいのか』と訊かれたこともあります。『そうしなければならないのなら、しょうがないんじゃないの』と答えましたところ、『お前は強いな』と言われました。
今まで、嫁いで一般の身になるんだと思って育ってきましたので、苗字が欲しい、結婚して普通の家庭で生活していきたいという思いは、もちろんあります。でも法律が変更されて皇族を続けることになれば、それは私が反対することではありません」
■政府・国会の残酷な仕打ち
政府・国会の無為無策と怠慢によって、当事者の方々の人生が不確定で宙ぶらりんな状態のまま、すでに長い歳月が流れてしまった。それがどれだけ残酷な仕打ちであるか、政治家は自覚する必要があるだろう。
もちろん、政治の責任放棄は制度的な不安定さを増すことにもつながる。皇室典範の改正は国会の議決によってのみ可能となるし、政府にはそれを主導すべき責任があるはずだ。
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高森 明勅(たかもり・あきのり)
神道学者、皇室研究者
1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録」
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(神道学者、皇室研究者 高森 明勅)