「お菓子屋さんは人の幸せのためにある」―創業60周年。京都銘菓「つぶあん入り生八つ橋 おたべ」「京ばあむ」など日本各地に展開する美十グループの歩みとお菓子作りの信念とは。
2025年3月5日(水)11時0分 PR TIMES STORY
「京都土産といえば」と聞かれて、真っ先に思いつくお菓子は何でしょうか。「つぶあん入り生八つ橋 おたべ」を想像してくださる方がいらっしゃると、非常にうれしく思います。
私たち株式会社美十は、「おたべ」「京ばあむ」といった京都土産として親しんでいただいているお菓子をはじめ、洋菓子ブランドなど幅広く菓子作りを展開している企業です。今回は、2025年に創業から60周年を迎える美十の誕生と軌跡、お菓子作りへの想いについてご紹介します。
純喫茶からお菓子屋へ。業界の後発が「おたべの会社」になるまで
「おたべ」1号店
美十のはじまりはお菓子屋ではなく、戦前に京都河原町に開いた「美十」という純喫茶でした。戦争中の物資規制の影響などから店を畳み、戦後に「八ッ橋」の卸を開始しました。その後、1950年代に入り、八ッ橋の製造にも取り組みはじめました。京都には八ッ橋の協同組合があり、35件ほどの会社が名を連ねるなか、その最後に加わったのです。そして1965年、株式会社「さか井屋」を設立。1966年に発売した「つぶあん入り生八つ橋 おたべ」が人気を博し、1969年には社名を株式会社「おたべ」に変更。その後も様々な商品開発や事業展開を行い、2015年に現在の株式会社「美十」に社名を変更しました。
そもそも八ッ橋には分類があり、従来売られてきた焼いた八ッ橋、焼く前の皮の生八つ橋、生八つ橋にあんこを挟んだつぶあん入り生八つ橋の3種類があります。
その中で、「つぶあん入り生八つ橋 おたべ」は、美十の起点となるお菓子です。誕生したのは1966年。その背景には、1964年に開催された東京オリンピックを契機に起こった「旅の変化」がありました。
お土産は、日本ならではの文化だということをご存知でしょうか。実は、「お土産」に相当する英単語はないのです。贈答の文化から生まれてきたもので、そのはじまりは参勤交代があった江戸時代。日本各地を旅行する文化が生まれたことで、お土産文化は生まれました。
ただ、当時は徒歩が主な移動手段だったため、お土産は工芸品がメイン。お菓子が贈答品やお土産に選ばれるようになったのは、鉄道が走り始めた明治時代に入ってからのこととなります。その頃京都では、八ッ橋や五色豆といったお菓子がお土産品として売られるようになりました。
そして1964年の東京オリンピック。全国のインフラ整備を一気に推し進め、人の移動が増加、また新幹線の開通により、それまで日持ちの観点からお土産品としての提供が難しかった生ものも販売できるようになりました。
この「大勢の観光客をお土産品販売のターゲットに、安定した供給を用意したい」という狙いと、「お土産品として生ものも提供できるようになった」という変化が組み合わさったことに加え、新店舗のオープンに際して新商品を出そうという機運が社内で高まったことが、「つぶあん入り生八つ橋 おたべ」誕生のきっかけとなります。
当時の生菓子は職人の技術が必要なものが多く量産化には向いていませんでしたが、生地を伸ばしてカットしたのち、あんこを入れてたたむだけという工程はお菓子職人でなくともできるため、量産化を可能とし、今ではなじみのある三角形のつぶあん入り生八つ橋として多くの人に届けられるお菓子となったのです。
発売当初の「つぶあん入り生八つ橋 おたべ」
1980年代までにかけて「おたべ」の認知度が非常に高くなるにつれ、同じような商品も多く発売されるようになり、三角形のお菓子は京都土産の定番として広がっていきます。それでも中には、つぶあん入り生八つ橋はすべて「おたべ」だと思われている方もいらっしゃいました。有名なお土産として京都全体で広がるのは良いことである一方、企業としては他にはない魅力を届ける施策が必要となります。多種多様な味のつぶあん入り生八つ橋が発売されるようになるなか、当社でも様々な趣向を凝らしたものを作ってきました。なかには、成功したものはもちろん、失敗の経験も多くあります。
その一つとして、今でも社内で語られることがあるのが京都・伏見の酒入り「酒おたべ」です。お酒好きの男性社員を中心に作った「酒おたべ」は、若年層や女性のお客様にとっては親しみづらいものとなってしまい、期待値を大幅に下回った結果、販売は長くは続きませんでした。
おたべ本館に展示されている「酒おたべ」。
「評判はイマイチの商品でした・・・。」の記載も。
趣向を凝らしながら成功と失敗を繰り返すなかで、1998年の秋には季節ならではの味わいを感じられる「秋のおたべ」を発売。当時お土産で季節商品は珍しく、大ヒットとなります。そして後を追うように似たような商品が他社からも多く発売されるようになりました。そうした競争を繰り返すなかで、次の手となったのが、和菓子が中心だった京都のお土産としては異色ともいえた、洋菓子のバームクーヘンである「京ばあむ」です。
ブランドの拡充とエリアの拡大。果敢な挑戦は「おたべ」から「美十」へ
「京ばあむ」開発の裏には、美十がもう1つの事業として取り組んできていたOEM事業で蓄積された経験がありました。関東の大型テーマパークのお土産品などの製造も行うなかで、技術や仕組みづくりの知見が貯まり、大企業の製造会社が持っておくべき基準値を満たせるお菓子づくりができるようになったのです。
その知見を京都に持ち帰り量産化をはじめたのが「京ばあむ」でした。和菓子が中心だった土産物市場に洋菓子のトレンドが訪れはじめていたなか、「京ばあむ」は洋菓子の京都土産として人気を博しました。そしてさらに、祇園の地で本物の洋菓子を届ける「洋菓子ぎをんさかい」ブランドなど、新たに複数のブランドを展開しながら成長を続けてきたのです。
創業50周年を迎えた2015年には、社名を「株式会社おたべ」から現在の「株式会社美十」に変更。次の100年を目指すために、創業原点(純喫茶「美十」)を大切にし、いつまでも忘れることのないようにと願いを込め、「美十」へ社名を変更しました。
そして現在では、美十グループとして、北は北海道から南は沖縄までブランドを展開しています。エリアを広げることは挑戦であり、社内でもいろいろな議論がありました。ただ、「新しいことに絶えずぶつかっていこう」というのが美十の考えで、原点となった「おたべ」の立ち上げや度重なる商品開発への挑戦と同じように、エリア拡大もまた会社としてのチャレンジなのです。
生産者の顔や名前がわかるお菓子づくりへのこだわり
美十のお菓子づくりは、素材に強いこだわりを持っています。たとえば、生八つ橋の原材料である米粉は、機械で乾燥させたものとゆっくり自然乾燥させたものとでは、仕上がりの味が異なります。そうした米粉へのこだわりはさらに強まり、玄米で仕入れ、自社で精米、製粉できるよう、福井県の若狭に自社工場を作りました。
2013年には「生産者の顔がわかる原料で商品を作りたい」という想いから、生産者からお客様までを一本の線で繋ぎ、 “ものづくりのよろこび” を分かり合うための取り組みとして「おたべ会」を発足。お米、小豆、抹茶など、契約農家が生産した素材を選別して使用することで、生産者の顔がわかるものづくりが実現しました。
おたべ会(2013年結成時)
また、「おたべ会」の原料を使用している商品は、お菓子の箱を開けると、原材料の生産者の名前や写真を入れた栞が入っています。今では農家の方たちにも「うちの小豆がこのお菓子に使われているんだよ」と非常に喜ばれている取り組みにもなっています。
生産地に足を運び、農家の方とお酒を飲み交わしてきたなかで築かれてきた信頼関係もあります。今も新入社員が入ると北海道・帯広に連れて行き、おたべ会の生産者の皆さんからどのような想いで小豆を作っているのか伺い、想いの共有を図る機会を作っています。生産者の仕事を知ることで、自分の言葉で語れるようにしています。
また製造過程にもこだわりがあり、特に「どこを機械化して効率化させるのか」は常に吟味しています。カットや個包装、箱詰めは機械を導入することで効率化を図っても良い工程としていますが、生地づくりや焼きといった味の本質に関わる工程の機械化はしていません。
例えば、抹茶と豆乳の京ばあむは各工程で手作業を大事にしており、最初から最後まで1人の職人が焼き上げています。そして出来上がった商品パッケージの一角にはその京ばあむを焼いた本人の名前が付けられています。これも「生産者の顔がわかるものづくり」への気持ちの表れです。
素材や製法へのこだわりはもちろん、生産者や職人の顔・名前を見えるようにすること、こうした取り組みが作り手やお客様、社員の共感にも繋がり、「美十」ブランドを育てているのです。
創業60周年。「ライフタイムカスタマー」の創造と、“世界一のお菓子屋さんになりたい”という想いの実現へ
2025年、美十は創業60周年を迎えます。これからもお菓子作りの職人となる社員はもちろん、生産者を含め、美十のお菓子作りに関わる全ての方とともに、 “世界一のお菓子屋さん”を目指して成長を続けてまいります。
2025年1月には、当社の製品開発部 シェフパティシエ 的場 勇志が、フランス・リヨンで行われた洋菓子の世界大会「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー2025」で日本代表チームの一員として出場し、優勝を成し遂げました。
一緒に夢を共有し、応援できたことを誇りに思います。
お菓子屋さんは人の幸せのためにある。その想いで、美十はさまざまな自社ブランドを作り続けてきました。
多くのお客様が、修学旅行で初めて京都に訪れた際に美十のお菓子と出会います。その後、お客様のライフステージが変わるごとに手にするお菓子が、実は美十のお菓子だった。そういった生涯を通じて顧客であり続けていただけるお客様の創造と、これからも共に成長を続けていきたいと考えています。
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