「グラウンドでの仕草」で秘められた才能がわかる…ヤクルトのスカウトが考える「スターになる野球選手」の共通点

2025年3月17日(月)17時15分 プレジデント社

香川オリーブガイナーズ時代の平岡佑梧さん - 本人提供

野球選手は引退後、どんな仕事をしているのか。プロ野球ヤクルトスワローズでアマチュアスカウトとして働く平岡佑梧さんは、かつて大手企業の内定を断り、月給10万円台の四国アイランドリーグに入ってドラフト指名を待ち続けた過去がある。なぜスカウトを目指すようになったのか。スポーツライターの内田勝治さんが聞いた——。
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香川オリーブガイナーズ時代の平岡佑梧さん - 本人提供

■スピードガンでハートを撃ち抜かれた


安定の道を蹴り、ようやく憧れの世界へと足を踏み入れることができた。今年1月からヤクルト球団の編成部スカウト育成グループでアマチュアスカウトに就任した平岡佑梧さんは、スピードガンなどの商売道具が入ったリュックサックを背に、担当の中国・四国地方を隅々まで駆け回っている。高校やアマチュア球団の指導者との人間関係をしっかりと構築するために、まずは挨拶回りに追われる毎日だ。


「仕事内容は、中国地方、四国地方のアマチュア選手、独立リーグ選手のスカウティング全般です。いい選手がいたらヤクルトに話を上げて、ゼネラルマネジャーや編成部長、スカウト部長ら上司に見てもらい、編成部全体でドラフトの指名選手を決めていくことが、大まかな仕事内容になります」


プロのスカウトになりたいと思った瞬間を今でも鮮明に覚えている。香川大4年春のリーグ戦。ドラフト候補として登板している時のことだ。ある球団のスカウトからスピードガンを向けられ、ハートを撃ち抜かれた。


「バックネットが低い球場で、スピードガンをパッと向けられるのがはっきりと見えたんです。その瞬間に人生が変わったなと感じました。僕の人生の軸に『本気の人の人生の架け橋になりたい』というのがずっとあったので、『スカウトってピッタリ過ぎじゃない?』ってマウンド上で思っちゃいました(笑)」


■柔道の阿部詩選手と引き分ける実力者


兵庫県淡路市出身。小学生までは柔道少年だった。県大会で3位になった実績もあり、後に東京五輪金メダリストとなる阿部詩選手と試合をして引き分けたこともある。


「引き分けだったので、自分が負けた感じはありましたが、やっぱり当時から強いなと思っていました」


中学でも柔道を続けるつもりだったが、恩師が異動になったことで「もういいか」と競技から離れ、野球部に入部。柔道で培った体幹の強さとバランス感覚は投球時に生き、中2の冬から投手に専念すると、3年時にはエースを務めた。


「自分の住んでいた淡路地区はサンテレビが映り、小さい頃から阪神戦をよく見ていたので、野球のルール的なことは大丈夫でした。球速も最初から100キロぐらい出ていて、中3で124キロを投げていました」


高校は「淡路島から甲子園に出たかった」と地元の津名高に進学。難関の理系大学や文系の国公立大学を目指す総合学科コースに在籍しながら、文武両道の学校生活を送った。投手としても順調に成長し、3年時には最速143キロをマーク。複数の関西私大から誘いを受けた。同じサイド気味の変則右腕で、高校OBの村西良太投手(オリックス)が指標となり、プロ入りを意識し始めたのもこの頃だ。


■1日14時間勉強して国立大へ進学


「村西さんが近大時代のオフにグラウンドに来てくれて、ものすごいスライダーを投げるんです。これぐらい投げられたらプロに行けるんだろうなという気になっていましたね。『休むことも取り入れないと出力は上がらないから、寝ることが大事だよ』というアドバイスもいただいて、ずっと昼寝をしていました(笑)」


もちろん、プロに行くためには、有名私大でアピールすることが近道に違いないが、小中高と塾通いをしていたとあって、国立大への進学を決断。高3夏以降は1日14時間の猛勉強の末、香川大の合格を勝ち取った。


「私大で3年頃から試合に出るより、勉強で国立大に入って、1年生から投げたほうが、スカウト的には印象がいいかなと思い、香川大に進学しました」


四国六大学野球連盟に所属する香川大は、決して環境に恵まれているとは言えなかった。専用グラウンドもなく、もちろん授業最優先。平日練習は18時30分〜19時頃から始まり、21時にはナイター照明が完全消灯するため、実質2時間程度しかなかった。


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香川大時代は球速148キロをマーク。NPBのスカウトが視察に訪れるほどだったが、並行して就職活動と教員免許も取得。この社会人に向けた取り組みが後に実を結ぶことになった - 本人提供

■大手の内定と教員免許もゲットしたが…


ただ、平岡さんは1年春からデビューすると、「環境を言い訳にしたくない」と授業の合間に自主練を行い、不足分をカバーした。自炊や慣れない大学生活などで体重は78キロから68キロまで落ちたが、週1回、高松市からバスで片道3時間をかけて神戸市のジムに通うなど、精力的に体を鍛え抜き、80キロまでアップ。


体格の変化で出力も上がり、球速が148キロまで到達する頃には、プロ野球のNPB(日本野球機構)9球団のスカウトが視察に訪れるなど、一躍ドラフト候補選手となった。


ただ、3年秋から並行して就職活動も行い、関西の大手企業など2社から内定を獲得した後、社会の教員免許も取得。4年春のリーグ戦は、教育実習の真っ最中だった。


「スカウトの方が視察には来ていましたが、(ドラフト指名の意思表示でもある)調査書は1球団も来ておらず、指名されることはありませんでした。今、スカウトになってみて、実際に過去の自分のプレー動画を見た時に、これでは指名されないよなと思いました」


■月給10万円台でもやるつもりだったが…


あと1年、本気でプロを目指すために、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズへの入団を決め、内定2社に断りの連絡を入れた。サラリーマンとしては国内最高水準の給与を誇る一流企業への入社を辞退し、月十数万円の給与で、1年契約の独立リーグに進むことへの不安はなかったのだろうか。


「なかったですね。社会人チームからも声はかかっていたようですが、社会人で2年待つよりも、独立リーグで1年、勝負をかけてやる道を選びました」


ただ、ここで平岡さんを不運が襲う。1年目の2023年5月に肋骨を骨折。リハビリを重ね8月に復帰も、本来の投球とはほど遠かった。登板はわずか5試合。アピールが必要な時期に戦線離脱したこともあり、プロの夢は断念し、現役引退を決意した。


「ボールも大学の時のほうが全然よかったので、プロとか、もうそんなレベルではなかったです。野球に未練はなく、完全にやり切りましたね」


第2の人生を考える時、大学4年の春にマウンドから見たあの光景が思い浮かんだ。


「スカウトをやりたい」


香川のフロントに引退を報告した後、その熱意を伝えたところ、「独立リーグはスカウトの方も球場に来て接点がある。野球以外の営業の基盤も作ることができるよ」と、球団職員への転身を勧められ、快諾した。


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香川オリーブガイナーズ時代の平岡さん(左)。野球生活を終えて第2の人生を考えたとき、スピードガンを向けられたときの興奮を思い出したという - 本人提供

■プロ経験のない若者がスカウトになれた理由


「香川の球団職員は、間違いなく僕の土台になっています。営業の売り上げから、PL(損益計算書)やBS(貸借対照表)を見るところや、予算立て、球場の運営責任者など、全部やらせてもらって、会社や社会がこう回っているんだということを間近で見ることができました」


忙しく過ごす毎日の中でも、どうしたらスカウトになれるかを常にイメージしていた。NPBでプロ経験がないスカウトは珍しく、未経験者を採用する場合は、アマ時代のキャリアや実績が評価されるのが一般的だ。高校、大学、そして独立リーグで目立った戦績もなく、ましてや社会人なりたての若人が簡単に就ける職業ではない。


それでも平岡さんは積極的に行動を起こした。大学で心理学を学んだ経験から、メンタルが行動に及ぼす影響や、営業職での行動力など、思いつくアピールポイントを便箋5枚にしたため、12球団に送付。土日は高校野球などを観戦しながら、生光学園(徳島)の最速153キロ右腕・川勝空人投手(日本ハム育成1位)に関するレポートをA4用紙2枚にまとめ、視察に訪れたヤクルトのスカウトにメールで送った。


「『いいレポートだったよ』と言っていただいて、そのレポートを球団の上の方に回してくれました」


ひたむきな情熱はヤクルト球団にしっかりと届き、昨秋のドラフト後に採用が決まった。プロ野球選手にはなれなかったが、プロスカウトになりたいという「第2の夢」を後押しし、快く送り出してくれた香川球団に対しても「感謝しかありません」と思いを口にする。


■技術と同じくらい必要な「人間性」とは


ヤクルトのスカウトに就任してから2カ月が経過した。12球団のスカウトでは最年少となる24歳は、方々への挨拶回りで「まず若いことに驚かれます」と苦笑いを浮かべる。四国のある有名監督からは、「NPBを経験していない人がスカウトになることは本当に大事なこと。外の目から野球を見て、プロ野球選手を輩出してほしい」と激励されたことを励みに、原石を発掘する「目」を養っていく。


「その人の人生を変えることがスカウトの一番大きな仕事だと思っています。速い球が投げられる、遠くに飛ばす、足が速いなどの技術はもちろん見ますけど、それに紐付く人間性も重要で、ヤクルトだったら伸びる選手って多分いると思うんですよ。
 グラウンドの態度や、大人が見ている時と見ていない時でどう違うか、投手だったら打たれた後の表情やピンチの時の表情などを観察します。僕の感覚では、技術と人間性、半分半分ぐらいの割合です。それを見つけて『平岡が獲ってきた選手は育てやすいよ』と現場から言われるようなスカウトになりたいです」


まずは今秋のドラフトで、自分の推薦した選手が名前を呼ばれることが目標だ。異色の経歴を持つスカウトは、一人でも多くの選手をプロの舞台へと送り出すため、今日もグラウンドへと足を運ぶ。


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内田 勝治(うちだ・かつはる)
スポーツライター
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社ではプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツビジネス全般を行う。
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(スポーツライター 内田 勝治)

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