あの笑福亭鶴瓶も激怒した新規事業「三遊亭トムヤムクン」を丸く収めた笑点メンバー・好楽師匠のひと言

2024年3月25日(月)14時15分 プレジデント社

落語家 錦笑亭満堂(画像=PARCO出版提供)

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バラエティ番組『笑点』(日テレ系)のピンクの紋付でお馴染み三遊亭好楽さんは、どんな人物なのか。弟子の錦笑亭満堂による新著『ウチの師匠がつまらない』(PARCO出版)より、好楽さんの人柄を描いたエピソードの一部を紹介する——。

■落語家がコロナ禍で始めた「三遊亭トムヤムクン」


何度、師匠に救われたことだろう。


ここ10年でもっとも大きな世界的危機といえば、やはりコロナウイルスだ。緊急事態宣言が発令され、外出することもままならなくなった。誰もが感染の恐怖におびえ、実際にお世話になった人も亡くなった。世界経済が停滞する中で、何よりも影響を受けたのが私たちの業界だった。


落語家 錦笑亭満堂(画像=PARCO出版提供)

エンタメに従事する芸人、関係者はその食い扶持の多くを失った。それでなくてもその日暮らしをしていた芸人たちはアルバイトを増やして糊口をしのいだ。


そんな折、コロナ禍で脚光を浴びたのがフードデリバリーサービスだった。空いた時間にできるとあって、芸人たちは配達員として収入を得るようになっていた。当然高座もなくなったし、落語家も皆が路頭に迷う寸前だった。師匠に頼めばきっと経済的な援助をしてくれるだろうが、すべてを頼るのも後輩たちに格好がつかないと思っていた。


自分でもなにか収入を確保できないか。そんな軽い気持ちで始めたのが、フードデリバリーのプロデュースだった。


「今この業界がアツい」という情報を得た私は、知人にそそのかされ鼻息荒く参入することにしたのだ。店舗は持たず、デリバリーに特化することで固定費や人件費を削減できるからリスクも高くない、という触れ込みだった。


■大師匠の逆鱗に触れた


オープンは2022年1月。今思えば緊急事態宣言から2年が経ち、デリバリー業界も飽和していて頭打ちの時期であった。そんな折、タイ料理に特化した「三遊亭トムヤムクン」(現在は閉業)はオープンした。


写真=iStock.com/GMVozd
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GMVozd

ラーメン、牛丼といった、ありきたりなデリバリーに辟易としていた層に訴求できると見込んだのだが、思わぬところから待ったがかかった。


「お前、三遊亭の名前を利用する気か!」


顔を真っ赤にして怒っているのはラジオで何年も共演している笑福亭鶴瓶師匠だった。


昨今は温和なタレントとしてのイメージが強いかもしれないが、もともとは新進気鋭の落語家で、周りに何を言われても頑としてアフロにオーバーオールというスタイルを変えなかったという逸話を持つ。それもすべては落語の持つ古いイメージを変えたかったから。落語に深い愛を持っている偉大な師匠である。


その鶴瓶師匠が怒っている。コロナ禍で苦しんでいるのは誰だって同じこと。目先の利益に囚われた自分のことが許せなかったのだろう。確かにその通りだ。


■すべてを解決したウチの師匠のひと言


怒られたのはラジオの本番前だった。だが、その後のラジオの本番中にも思い出し怒りというか、やはり私の所業が許せなかったらしく、公共の電波を使って私の糾弾を始めた。


「なんやねん三遊亭トムヤムクンって」「落語をなめとんのか」「いいかげんにせい」と怒りは収まらない。


師匠の怒りは落語を冒涜(ぼうとく)されたという点にある。正直、このまま番組を降板させられてもおかしくないくらいの怒り方だった。


「お前の師匠はどう言ってんねん。さぞかし、怒ってたやろ」


お前の師匠も腹を立てているに決まっている。そう思ったのだろう。


ウチの師匠は店をオープンすることを報告するとこう言った。


「そうか。これからはタイ料理の時代だね」


共演者やスタッフさんはもちろんのこと、鶴瓶師匠も思わず「グフフ……」と笑った。この世界は笑わせたもん勝ち。笑ってしまったら負けである。


「……だったら、ええ。いい加減な一門やで、ホンマ」こうして師匠のおかげで、レギュラー剥奪の危機を逃れたのであった。


写真=時事通信フォト
2018年7月2日に亡くなった落語家の桂歌丸さんをしのび、記者会見する演芸番組「笑点」大喜利メンバーの三遊亭好楽さん=2018年7月7日、東京都文京区 - 写真=時事通信フォト

■酒が飲めれば入門できる


何度、師匠と酒を飲んだことだろう。


師匠は酒が大好きだ。ご自身も酒のしくじりで23回も師匠から破門されている折り紙付きの“飲兵衛”である。現在77歳。前より弱くはなったのだろうけど、それでも毎日飲み歩いているから、弟子が言うのもなんだが、たいしたものだと思う。


師匠の行く先は大体決まっている。自宅近くの居酒屋から、カラオケスナック、朝までやっているイタリアン。なんだ、朝までやっているイタリアンって……。そして上野のフィリピンパブ。ここのママがおかみさんにどことなく似ているのはナイショである。


行きつけの店には足繁く通うから、店の覚えもめでたい。みんながチヤホヤしてくれるから師匠も上機嫌でグラスを空にしていく。お供する弟子はその日によって違うが、翌日仕事があったり、先約があるものは参加しない。1年中やっているラジオ体操みたいなものだから、1日くらい休んでも文句を言われることはない。


最初に「酒が飲めれば入門」と言われたが、あながち間違いではない。とにかく宴会ばかりである。用もないのに一年中集まっている一門は絶対にない。落語会の終わりはもちろんのこと、何かにつけて宴会。先日は近所に美味しい割烹がオープンしたからと、師匠の家にみんなで集まり宴会したのは意味がわからなかった。


■弟子に落花生をむいてくれる


飲み会を誰よりも楽しみにしているのは師匠だ。自ら近くのスーパーに買い出しに行き、台所でフライパンを振ってつまみをつくり、弟子に落花生をむいてくれる師匠は他にはいないだろう。


弟子たちの酒癖も十人十色である。適度に水を飲みながら酔わないようにするもの、好きな酒をチビチビと楽しむもの、とにかく量を胃に流し込んでアホみたいに酔う者。もちろん私はいちばん後者である。


先日は末弟で十番弟子の正真正銘のスウェーデン人落語家、三遊亭好青年が久々に地元北欧に行ったからとお土産に持ってきたシュナップスという強いお酒を師匠に何杯も飲ませようとしていたが「死んじゃうから」とみんなに止められていた。


師匠の孫と恋バナをするものもいる。あまり芸談はしない。ただただ、バカ話が続く。よくも毎日飽きないものである。


■酒席でつぶやいた名言


先日の地方公演後では、主催者との打ち上げが解散したものの、師匠はまだ飲み足りない様子だった。だが、夜11時を過ぎた地方都市の繁華街はどこの店もシャッターが閉まっている。すると、師匠が「部屋飲みしよう」と提案をしてきた。大学生ではない、77歳の“師匠”と呼ばれる人の発言である。


弟子の一人が「どの部屋で集まります?」と尋ねる。師匠は間髪入れずに言う。「私の部屋でいいじゃない」部屋に大勢が集まると部屋は汚れるし、掃除も面倒だ。しかし、師匠は「一番広い部屋だから」と自分の部屋を提供してくれたのだろう。いかに快適に飲み会をするか。それだけを考えている師匠に感動したのは私だけだろうか。


そんな師匠だが、酒の席で、ときどき考えさせられるようなことをさらりと言う。先日のビアホールでの打ち上げ中のこと。酒で気分が良くなった師匠は、ふとつぶやいた。


「居酒屋ってさ、愚痴ばかりじゃない。でも、ビアホールって、なぜかみーんな笑顔なんだよ。不思議だよね」



錦笑亭満堂『ウチの師匠がつまらない』(PARCO出版)

あたりを見渡すと確かにそうだ。みんなが笑顔で、真っ赤な顔をしてビールで乾杯している。馬鹿騒ぎする若者もいない。私より少し上、そして師匠くらいの年代の方が、みんな楽しそうにジョッキを傾けている。ビアホールは心と懐にゆとりがある時に行くところなのかもな。そう思ったら、突然素敵な場所に思えてきた。


注文を記入する私の字が汚いと笑われたときも、さらっと師匠はこう言った。


「そりゃ達筆は素晴らしいけど、字が汚い方が胸を打つこともあるんだよ。結婚式の新郎の父親のスピーチと同じで、ヘタクソなほど思い出に残るってあるじゃない」


酒に酔った時の師匠の言葉を書き残しておこうと思うのだが、いつも師匠と同じペースで飲んでいると忘れてしまうのだ。


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錦笑亭満堂(きんしょうていまんどう)
落語家
1983年生まれ。三遊亭好楽一門の落語家。1999年に本名「末高斗夢(すえたかとむ)」の名でお笑い芸人としてデビュー。2011年に落語への可能性を見いだし、三遊亭好楽の元に弟子入り。同時にお笑いでも2013年「R-1ぐらんぷり」決勝進出。三遊亭こうもり、三遊亭とむを経て、2023年7月1日に真打昇進し「錦笑亭満堂」となる。2024年1月21日に真打昇進披露興行「満堂フェスin日本武道館」の開催など、注目を集めている落語界期待の新星。
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(落語家 錦笑亭満堂)

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