「不登校→生徒会長」と大変身…都会から島の県立高校に移った僕が自分らしさを取り戻せた理由

2024年3月28日(木)10時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/paylessimages

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わが子が「不登校」になったら、どうすればいいのだろうか。関東の公立中学に通っていた坂木健斗くん(仮名)は、中学2年のとき、突然学校に行けなくなった。本人も両親も戸惑ったが、離島の県立高校に「留学」したところ、生徒会長になるほど学校になじんだ。いまジワジワと広がる「地域みらい留学」という取り組みについてリポートする——。(第1回/全4回)
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■進路に迷っていた時に出会った「地域みらい留学」


坂木健斗くん(仮名)は、関東の公立中学に通う、ごく普通の中学生だった。部活は陸上部に所属。勉強もがんばっていた。それが中学2年生のある日、突然学校に行けなくなってしまった。


「いじめられたり、嫌なことがあったわけではなくて、なんとなくクラスになじめなかったというか……。ある朝、急に起きられなくなってしまったんです。体に力が入らなくて、いままで普通にできていたことが何もできなくなって、一日中寝ていることしかできなくなってしまいました」


学校に行きたい気持ちはある。勉強も部活もしたい。でも、体がついてこない。「なんで学校に行けないんだろう」。自分を責めることで、さらに体が重くなっていった。


不登校といっても、理由や状況は人それぞれ。彼のように原因がはっきりしない場合、本人も周囲も余計に戸惑い、苦しむことになる。


健斗くんの両親は最初、「さぼりたいだけなんじゃないか」と疑い、むりやり学校へ行かせようとしたという。でも、本人はどうしても起き上がれない。親子でもがけばもがくほど、事態は悪化していった。


「家族とか友達からもいろいろ言われるし、自分でもわかっているんだけど、動けない。本当にあのときは地獄でした」


両親が医師に相談したところ、「これ以上、子どもを追い詰めて、来年まで生きていてくれるでしょうか?」と言われたという。それを機に無理に学校へ通わせようとすることはやめ、健斗くんの心の回復を待つことにした。


結局、3年生になっても不登校は続き、高校をどうするか考えなければいけない時期になった。しかし、授業に出ていないため内申点が悪く、地元で入れそうな学校はほとんどない。選択肢が狭く、ピンと来る学校はなかった。


どうするか困っていたとき、親子が出会ったのが「地域みらい留学」だった。


■始まりは過疎地域の生き残り策


「地域みらい留学」とは、子どもたちが親元を離れ、地方の公立高校に越境入学するのを手助けする制度のことだ。


越境入学というと、スポーツ強豪校が全国から優秀な選手を集めるケースや、全寮制の私立の進学校などのイメージが強いかもしれない。しかし、地域みらい留学では、スポーツや学業で優秀な成績をあげている必要はない。多くの場合、ごく普通の子が、普通の公立高校に進学する。


特殊な点があるとすれば、受け入れ先の高校の多くが過疎地域にあり、生徒数の減少に悩んでいることだ。


運営するのは、一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォームという組織。その代表理事である岩本悠さんが、島根県の隠岐島前高校の「島留学」に携わったのが事の始まりだった。詳しい経緯は連載後半で紹介するが、背景にあったのは離島における少子高齢化、過疎化の現実である。


都市部ではまだ実感しにくいが、日本全体の人口はすでに減少に転じている。それに加えて、地方から都市へ人口が流出し、全国1741の市区町村の半数が2040年には消滅するという予測もある。


住民が減れば、その地域の学校の存続も難しくなる。実際、過去20年の間に公立の小学校・中学校・高校合わせて8580校が廃校となっている。学校がなくなれば、子どもは地域の外に出ざるをえない。そうすると、ますます過疎化が進み、地域は衰退するという悪循環に陥る。


その解決法のひとつとして考えられたのが、都市部の子どもたちの地方への“留学”だった。人流を逆にすることで、過疎地域の高校の生徒数を維持し、地域の活性化をはかろうというわけだ。


2019年に34校からスタートしたこの地域みらい留学という制度。いまでは北海道から沖縄まで全国110校に拡大し、注目を集めている。


写真提供=地域・教育魅力化プラットフォーム
全国の地域みらい留学参画高校が一堂に会する「合同学校説明会」 - 写真提供=地域・教育魅力化プラットフォーム

留学した子どもたちは寮や下宿で生活し、豊かな自然のなかで、全国から集まってきた生徒、地域の大人たちとふれあい、実践的な学びを経験する。公立高校なので授業料は安く、一カ月の生活費も寮費込みで3〜6万円程度と、都市部で暮らすよりむしろローコストな点も魅力だ。


■都市部で課題を抱える親子のニーズにマッチした


この仕組みが優れているのは、地域側の課題と、都市部の子どもたちが抱える問題、双方のニーズを結びつけたところにある。


文部科学省の調査によると、不登校の小中学生やいじめの認知件数は、2022年度過去最多を記録した。不登校の小中学生はおよそ30万人。いじめの件数は小・中・高、特別支援学校を合わせて約68万件に上った。小中学生の生徒数は全国で約923万人だから、3%以上が不登校ということになる。もはや不登校はけっして特殊な例ではなくなっているのだ。


一方、地球温暖化、コロナ禍、戦争、AIの発達など、不安を感じさせる事態が相次ぐなか、「子どもには、社会の変化に対応して生き抜く力を身につけてもらいたい」と考える親も多い。それに応えるように、教育現場でもアクティブラーニングや探究学習、あるいはインターンシップなどが取り入れられつつある。


ある意味、少子高齢化・過疎化が進む地方は“課題先進地”とも言える。そこでリアルな社会問題に接し、体験しながら学ぶことは、これからの時代を生きる子どもたちにとって大きな意味がある。


つまり、地域、子ども、親、それぞれにとってメリットのある“三方よし”の仕組みが地域みらい留学ということになる。


■「なぜだかわからないけどピンときた」


とはいえ、地方の高校に留学しただけで本当に子どもは変わるのか? という疑問も湧くだろう。それに対する解答の一例が、健斗くんのケースである。


不登校が続いていた中学3年生のとき、健斗くんは親のすすめもあって、地方の高校に進学する道を模索し始める。夏には親子で名古屋の学校へ見学に行った。


「でも、あまりピンと来ませんでした。その帰り道、お母さんが『こういうイベントもやっているよ』と言って連れていってくれたのが、地域みらい留学の説明会だったんです」


地域みらい留学では、参加する各校がブースを設ける合同学校説明会や、個別の相談会などを随時開いている。健斗くんが行ったのは、「地域みらい留学フェスタ2019」。約50の高校が出展していた。会場内を回り、十数校の説明を聞いてみたが、なかなか興味を持てる高校が見つからなかった。


「そんなとき、校長先生がポツンとひとりで座っている学校があったんですよ。生徒が来てキラキラ楽しそうに話している高校が多いなかで、なぜかその校長先生の雰囲気にひかれて、話を聞いてみることにしたんです。それが僕が留学することになったA高校でした。初めて聞く学校だし、学校がある島のことも知りませんでした。


でも、なぜかわからないけどピンと来るものがあったんです。校長先生から『A高校がすべての生徒に向いているかはわからないけど、きみには合う気がする』と言われて、ここならきっと自分は輝けると感じました。いま思うと、運命の出会いだったのかもしれません」


帰り道、健斗くんは母親に「A高校に行く!」と宣言。2週間後には実際に島を訪問し、町や高校を見学した。


写真提供=地域・教育魅力化プラットフォーム
合同学校説明会のブース。学校ごとに特色がある(※本文で紹介しているケースとは関係ありません) - 写真提供=地域・教育魅力化プラットフォーム

■ここは僕を受け入れてくれる場所


島に渡って最初に驚いたのが“挨拶”だった。


「道ですれ違った中学生の集団に、いきなり『こんにちは!』と挨拶されたんですよ。都会で知らない人に挨拶したら『えっ、だれ?』となるじゃないですか。でも、島の人たちは外から来た知らない人にも必ず挨拶するんです。そのとき、ここは僕を受け入れてくれる場所なんじゃないかって思えたんです」


現地で島の人々の温かさに触れ、「ここならいい3年間を過ごせそうだ」という思いを深めた健斗くんは、進学の準備を始める。


受験には推薦制度を利用することになったが、健斗くんの場合、出席日数と内申点の問題がある。そこで彼は中学の校長に直談判することにした。面談の場で、健斗くんはA高校へ行きたいと思った動機を必死でプレゼン。その結果、校長から「応援するよ」と言ってもらい、推薦を出してもらえることになった。


2020年の春、生まれ育った関東を離れ、島での新生活が始まった。


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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SAND555

■なぜか床にニシンが落ちている


A高校のある島は、人口2300人ほどの小さな島だ。島に渡った健斗くんは、海と山に囲まれた島の雄大な自然に圧倒された。


「コンビニが島に一軒しかないぐらいの過疎地、地方のなかの地方なんです。逆に言うと自然が豊かで、しばらく過ごすうちに『毎日同じ景色ってないんだなあ』ということに気づきました。自然って本当に一日一日変わっていくんです。今日の海は昨日と色が違う、今日は空気が澄んで山がきれいに見える。そういうことを感じるようになりました。


都会で過ごしていると、季節の変わり目を感じる機会ってあんまりないですよね。でも、島では『今日は雪が50センチ積もった』とか『寒すぎて涙が出てきた』とか『床にニシンが落ちてた』とか(笑)。そういう経験から季節の変化を身近に感じられる。いま思うと、そういう経験を15歳から18歳という一番多感な時期にできたのは、すごくよかったなと思います」


写真=iStock.com/Emilija Milenkovic
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■「世界は広い」と感じられた


知らない土地、初めて会う同級生たち。緊張感がなかったわけではない。でも、心を開いて、自分がどういう人間なのか、積極的にアピールした。「中学のときは不登校だった」と打ち明けるのは勇気がいった。でも、クラスメートは「大変だったね」と自然体で受け入れてくれた。


自然や人との触れ合いが、硬く縮こまっていた彼の心を解きほぐしていった。もともとまじめな性格。不登校になる前は、勉強も部活もがんばり、どこか心が疲れていたことにも気がついた。


「いま思えば無理していたのかもしれません。自然のなかで過ごすうちにもっとゆるくていいのかもって思えるようになりました。小学校や中学校って、教室内で全部完結しちゃうというか、狭い世界じゃないですか。初めて自分の知らない土地に来て、世界ってこんなに広いんだと思った。島に来て、僕は本当の自分に会えたような気がするんです。必ずしも生まれた場所で過ごす必要はないし、無理してがんばるより、自分がいきいきできる場所で、本当の自分を見つけるのが大事なんじゃないかなと思います」


■人数が少ないから一人ひとりが大切にされる


A高校は島で唯一の高校で、健斗くんは第一期の留学生だった。同級生は18人。そのうち島外からの留学生が8人だった。以前のA高校は入学者が減り、存続の危機にあった。それが留学生の受け入れ以降、入学者がほぼ倍増したことになる。


ただ、人数が増えたとはいっても、健斗くんが3年生になった時点で全校生徒は58人。都市部の学校に比べると圧倒的に少人数だ。じつは、そこにポイントがある。


「初めてA高校へ見学に行ったとき、2年生の先輩たちがバレーボールをやっていたんですよ。でも、8人しかいないから、4対4でやっていたんです。そうすると、一人ひとりが普通よりがんばらなきゃいけないじゃないですか。たとえ下手な人がいても、試合を成立させるために、他の3人でフォローする。そういう姿を見て、『過疎地域の学校ってそういうことか!』と気づいたんですね。人数が少ないからこそ、一人ひとりの存在が大切。みんなががんばらないとクラスも部活も回っていかない。ここなら自分が必要とされるし、輝けるんじゃないかなって思えたんです」


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1学年18人しかいなければ、クラスメートとの付き合いは必然的に深くなる。教師の目も生徒一人ひとりに届く。少子化や過疎化というと、負の側面ばかりが語られるが、子どもたち一人ひとりが尊重され、活躍のチャンスが増えるというプラスの側面もあるのだ。


■島のアナウンサーとして大活躍


「自分は必要とされている」。その感覚が健斗くんを積極的にさせた。学校ではバスケ部と放送局に所属し、新しい自分を発見した。


「初めて人前でしゃべるのが楽しいと感じるようになったんです。そういう自分に気づけたのも、人が少なくて、たくさん“打席”が回ってきたからだと思います。チャレンジする機会が多ければ、それだけ可能性も広がりますよね」


校内放送や、朗読大会に出場するなどの活動を続けるうち、健斗くんは声優やアナウンサーの仕事に興味を持ち始める。それを知った町の担当者のはからいで、健斗くんは島内放送のアナウンスも任されることになった。それ以来、町の至るところで「放送よかったよ」と声をかけられるようになった。


高校生が学校の外に出て、大人と関わりながらさまざまな活動をし、学び、成長していく——まさに地域みらい留学ならではの経験である。


健斗くんは、3年生になると生徒会長にも自ら立候補した。全校生徒を前に堂々と話す姿には、不登校で苦しんでいた中学時代の影はもうなかった。


「不登校時代は過酷な旅でした。つらい思いをしたし、まわりにも迷惑をかけたけれど、その経験があったからこそ島に行って、いろんな人と出会い、自分のことを深く見つめられるようにもなった。いまは、不登校も自分にとってはいい経験だったのかなと思っています」


■いまの環境が苦しい子に「越境」という進路選択もある


大学受験をゴールとする画一的な価値観。偏差値によって序列化された学校。人のつながりが希薄な都市部での暮らし。そのなかで閉塞(へいそく)感や生きづらさを感じている子どもは多い。


でも、少し視野を広げれば、日本各地にはまだ地域コミュニティが残っている土地がある。健斗くんのように、そこで自分らしさを取り戻せる子もいる。地域みらい留学には、都市で問題を抱える子どもを救う可能性がある。


ただ、必ずしも問題を抱えている子どものための制度というわけではなく、留学すればすべてが解決するわけでもない。なかには適応できずドロップアウトする生徒もいる。また、親としては「地方の公立校で過ごしたあと、大学進学は大丈夫なのか?」という点も気になるところだろう。


地域みらい留学には、中学時代から社会問題に関心を持ち、あえて地方へ行くことを選ぶ生徒もいる。そこでの活動経験を生かして、東京大学や慶應義塾大学など、日本のトップ大学に進む卒業生も現れているという。


次回は東京大学に合格した生徒のケースを紹介しながら、地域みらい留学の学びと進路について紹介する。


(第2回に続く)


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柳橋 閑(やなぎばし・かん)
ルポライター
1971年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋に入社。『週刊文春』『スポーツ・グラフィック・ナンバー』編集部を経て、フリーランスに。近年はスタジオジブリを取材。鈴木敏夫プロデューサーの著書『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』(文藝春秋)、『読書道楽』(筑摩書房)などの構成を手がける。
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(ルポライター 柳橋 閑)

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