「30年以上前に一目惚れした妻は半身麻痺で失語症でもやっぱり可愛い」40代で倒れた妻を献身介護の夫の胸の内

2025年3月29日(土)10時16分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mr.suphachai praserdumrongchai

平穏な時間はあっけなく崩れた。看護師としてバリバリ働いていた40代母親が瀕死の急病で救急搬送された後、高3の息子の心は壊れ、行方をくらましてしまう。それでも、残された家族の懸命なケアにより、寝たきり状態だった母親は後遺症に苦しみながらも徐々に体の機能を回復させていく——。(後編/全2回)
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前編のあらすじ】関東地方在住の設楽完事さん(仮名・現在50代、当時44歳)は、一浪して入学した大学で、一目惚れした女性に猛アタックし、卒業と同時に入籍。氷河期世代の2人は、フリーターをしながら結婚生活をスタートし、妻は25歳の時に長女を、27歳の時に長男を出産。34歳の時に看護師の専門学校に通い始め、37歳の時に看護師になった。それからというもの、看護師の仕事で多忙すぎる毎日を送っていたが、43歳になった年に脳卒中(脳出血)で倒れ、救急搬送された——。

■絶叫


2018年1月のある日の深夜、脳卒中により左脳の深部血管が破れ、ドス黒い血が脳の3分の1を覆った妻(43歳)の手術は約7時間に及んだ。


その間、設楽完事さん(仮名・50代)は、術前に見せてもらったCT画像を思い出しては、「もう戻ることはないだろうな」と諦めてみたり、「助かってほしい」と願ったり、「妻が望まぬ形ならいっそ助からないでほしい」と考えたりしながら、寒くて狭い控え室で一度も座ることなく、ひたすら歩き回っていた。


「手術が終わりました。医師から説明がありますのでこちらへ」


朝6時頃、看護師に呼ばれ、医師と対面する。


「手術は無事に終わりました。奥様の命も大丈夫です。ただ、まだ分からないですが、重い障害が残ると想定されます」


それを聞いた瞬間、設楽さんは自分でも信じられないほどの喜びが全身から溢れ出すのを感じた。


「助かってよかった。本当によかった。妻が生きている。ただそれだけで良い。早く妻に会って話したい。ここまで本当に苦しくて、どんなに大変だったかを聞かせたい。この時は心からそう思っていました」


看護師に案内され、ICUに向かった。廊下を歩く間、「重い障害が残ると想定されます」という医師の言葉が繰り返し頭に浮かんでいた。


扉が開き、妻と思しき横たわる人を目にした瞬間、設楽さんは絶叫していた。


「一緒に夢見ようと言ったじゃないか! たくさん一緒にやりたい事あったんじゃないのか? 2人でここまで頑張ってきたのに、こんなとこで何やってんだよ? 一緒じゃなきゃ楽しくないんだよ! 一緒じゃなきゃ……。お願いだから、お願いだから頼むよ……」


頭には包帯やガーゼが幾重にも巻かれ、機械から出ている管が、口や鼻、腕など、妻の体の至るところに繋がれていた。


「それは直視することさえ戸惑うほど、私の想像をはるかに超えた残酷な姿だったのです」


■「俺ちょっと死んでくる」


翌日、入院に必要なものを取りに一度自宅に帰り、再び病院に戻った。


「何とか平静を取り戻した私は、『生きていれば何とでもなる。障害だって克服して、また一緒に生活できる。諦めるのはまだ早いだろ!』と自分を鼓舞し、目の前の現実を受け入れるように努めました」


医師から、


「壊れた脳細胞は戻らないですが、それを補うように別の神経が発達するので、脳には刺激を与えたほうがいいです」


と聞いてからは、ひたすら妻に話しかけたり、本を読み聞かせたり、音楽を聴かせたりし続けた。そして手術から3日後のこと。一度自宅に帰った設楽さんに、当時高3だった息子はこう言って外出した。


「俺ちょっと死んでくる」


設楽さんは息子が何を言っているのか理解できなかったが、すぐに妻の病院に戻るため、荷物をまとめて向かった。息子は手術から4日たっても病院にも表れず、自宅にも戻っていなかった。


「その時の私は、意識不明の妻のことしか頭にありませんでした。正直、高校卒業も近い息子のことまで気にかける余裕はなかったのです」


手術から5日後。息子の彼女から連絡があり、設楽さんは息子がしようとしていることをようやく理解する。息子はSNSで、一緒に自殺しようとしてくれる人を募集していたのだ。


写真=iStock.com/miniseries
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/miniseries

設楽さんは生まれて初めて全身の血が逆流するような感覚を覚えながら、警察に捜索願を出した。


まもなく自宅に警察官が3人来て、状況を聞かれ、家の中を調べられた。設楽さんは妻が倒れたばかりであることを話した。


「本当に大変でしたね。我々も息子さんを探します。ただ、お父さんが倒れたら奥さんが大変ですから、しっかりしてください」


警官たちは帰っていった。設楽さんはリビングのソファに沈み込んだ。


「息子はなぜ連絡もよこさないんだ?」「この寒い中、お金もないのに一体どうやって過ごしてるんだ?」「妻の意識が戻ったら何と報告しようか」などと1人問答を繰り返し、病院に戻ったが、妻は意識不明のまま。


「この頃が、私にとっては死ぬよりもつらく苦しい時でした……」


■限界


手術から7日。妻を担当する理学療法士から、


「奥様の体、右側の反応がないですね」


と声をかけられ、背筋が凍りつく。そのことには設楽さんも気づいていた。


一方、息子が消息を絶ってから10日。設楽さんは何百回も電話をかけ、メッセージを残し、メールやLINEも送った。息子はスマホの充電はしてあるようだったが、警察は息子の居場所を特定することはできずにいた。


「妻が倒れた時、第一発見者となった息子は、崩壊した母親を目の当たりにしながら、救急車を呼び、全て一人で対応していました。母親好きで、気は優しく、環境の変化を嫌う性格でもありました。小3の時には転校した学校に馴染めず、半年ほど通えなくなったこともありました。そんな息子が、目の前で起こる母親の惨劇を目にし、どんな心境だったのか。ただ一つ言えることは、妻のことをきっかけに、息子の何かが確実に壊れたということだけでした」


しかしその頃、設楽さん自身も、精神的にも身体的にも限界を迎えようとしていた。


「有名な精神科に診てもらいましたが、『あなたは病まないから大丈夫です』と診断され、医者もいい加減なもんだと気が立ったりもしていました」


ろくに眠れない。食べられない状況が続く。限界を感じていた設楽さんは、最後のつもりで息子にメールを送った。


「もうこれ以上は連絡しないから、安心していい。ただお前がいないと知ったら、ママは何て思うだろうか。ママの看病すら、まともにできない状況をお前は望むのか? 頼むから普通に看病させてくれないか。もう帰ってこなくてもいい。ただ安否ぐらい教えてほしいかな。死んでたら無理だろうが」


するとしばらく経ったあと、返信があった。


「(父親である設楽さんが)ママの看病ができないなら、帰るよ」


戻ってきた息子に、心配していた娘(20歳)は思わず吐き捨てるように言った。


「死ぬなら1人で死ねよ!」


設楽家が崩壊しかけていた。


■激減する収入


設楽さんは、仕事は有給休暇を使ったが、その日数には限りがある。妻の障害が固定されるまでは、医療費がどのくらいかかるかも見通しが立たない。


「私が37歳の頃に一戸建てを建て、ローンもありました。私の営業手当や日当、インセンティブなどと、妻の夜勤手当や残業手当が入ってこなくなれば、収入が激減します。還付されるとはいえ、一時的に入院関連の持ち出しの出費が増え、また時期的に学費や確定申告、納税の時期でもあり、支出は一気に跳ね上がりました」


設楽家の家計は妻が握っていた。そしてメインバンクはネットバンクだった。


「私は家に一体いくらあるのかすらわかりませんでした。ネットバンクは通帳もないので、預金口座がどこにあるか確認できず、妻のiPhoneを開けられない限り探すこともできません。缶コーヒーすら買うのをためらう状況でした」


手持ちの現金が底を尽きる前に何とかせねばと、設楽さんは妻のiPhoneを開こうと試みる。iPhoneはパスコードを10回間違えると完全にデータが消えてしまう。手に汗握りながら何度も入力しては阻まれ、6回目失敗し、7回目も失敗、ついに8回目で心あたりのある数字を入力すると奇跡的に開くことに成功した。


写真=iStock.com/Wachiwit
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wachiwit

「2018年1月〜4月までで、(収支は)170万円の赤字でした。その後の見通しが立たず、預金残高も少ないことから、その年の10月には債務超過に陥る計算でした。実際、ソーシャルワーカーに自己破産や生活保護の相談をしています。結果的にはその後は保険や還付があって持ち直し、たまたましていた株式投資がうまくいき、生計を立て直すことができました」


手術から2週間後、想定外のことが起こる。妻が目を覚ましたのだ。設楽さんは待っていましたとばかりに話しかける。しかし妻は、ただひたすら赤子のように涙を流し続けるだけ。


「当時の妻は、私のことはおろか、子どもたちのことさえ理解することができませんでした。変わり果てた妻の姿を目にするのは、つらく耐えがたいものでした。当時の私は感情が溢れ出ることを我慢できずに、場所を問わずよく泣いていました」


■一筋の光


2018年1月下旬。妻はICUから急性期病棟に移った。


「左脳皮質下出血による右側上下肢の完全麻痺、及び失語症状を伴う高次脳機能障害あり。残念ながら重い障害のため、奥様が元のお体に戻るのは難しいと思います」


医師は妻の脳のCT画像を示しながら説明した。


「右半身が麻痺により、自発的に全く動かすことができない。言葉はほとんど話せない。あらゆる物事を理解することが困難(記憶や認知する力がかなり弱い)ということでした」


写真=iStock.com/utah778
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/utah778

その後、本格的なリハビリが始まった。


「一般に回復期と言われる期間は、入院期間中に医療保険で、治療(失われた機能の回復を目指す)を目的としたリハビリを6カ月間程度受けることができます。つまりこの期間は、リハビリそのものが治療であり、その後は医療保険から介護保険に切り替わることで治療ではなく、介護(身体機能の維持)がスタートすることになります」


やる気に火がついた設楽さんは、毎日朝から晩まで妻のリハビリに付き合い、そばで応援した。


「この治療(リハビリ)が終わる前に、介護がスタートする前に、ほんの少しでもいいから、元の妻に近づいてほしい一心でした」


その頃、「アー、アー」という言葉にならない声を発することができるようになっていた妻だったが、周囲からの呼びかけに対しては、反応できているのかどうかよくわからない状態だった。


2月上旬。見回りに来た看護師が、


「ご気分はいかがでしゅか?」


と声をかけた。


「どうやら看護師は噛んだようでした。看護師が去ったあと、すぐさま妻に『いかがでしゅか?』と声をかけたところ、なんと妻が大きな声をあげてゲラゲラと笑い出したのです。私はうれしくて、何度も何度も『いかがでしゅか?』と言い、その度に妻は大笑いしました」


■捨てる神あれば拾う神あり


笑ってからというもの、妻は積極的に話そうとするようになった。それまでは「アー、アー」というだけだったが、否定したいときには「ううん」、同意したいときには「しょしょ」と、表現できることが増えていく。


設楽さんがつきっきりで会話し続けたことが功を奏し、妻が何を言っているのか、おおよそはわかるようになった。


もともと頑張り屋だった妻は、リハビリを頑張った。結果、少しなら歩けるようになり、たどたどしいながらも話せるようになった。食事も、流動食から普通食になった。


2018年8月、退院が決まる。しかし、退院後に入所する公共の介護施設には空きがなく、民間の介護施設は頭金や毎月の費用が高額なところばかり。


「当時の私は、働きながら在宅で介護する自信がなく、施設に入れようにも、妻の収入(傷病手当)の終わりも見えており、私の収入だけではやっていけないことがわかっていたため、八方塞がりな状況でした」


そんなとき、公共の施設に偶然空きが出たため、入所できることに。


さらに、妻が倒れたとき、実は単身赴任中だった設楽さんは、会社の社長、部門長、人事に妻のことを相談。その結果、自宅から通える担当先へ配置転換となり、翌年には設楽さんのケースをベースに、私傷病休暇10日、介護休暇10日、介護休業93日×3回の制度が新設された。


「日本に進出したばかり外資系企業で、介護に関する福利厚生は当時会社にはありませんでした。妻をモデルケースとして、新たに会社に制度を作ってもらうことができ、今の会社には感謝しています。最大限の配慮をいただいたと思います」


妻が入院してから半年後、仕事に復帰してからは、朝病院へ行ってから仕事をし、昼にも病院に顔を出してから仕事。夜にも病院に寄り、買い物をしてから帰宅し、夕食を作り、家事をして就寝。退院後は1日も休まず施設に通った。


■「妻より1日でも長く生きる」


障害者手帳1級である妻が入所した施設は、障害者支援施設だった。そのため入所期間は通常1年間。しかしちょうど制度の変更と重なったため、半年延長することが可能となり、2020年10月で退所。


11月から、在宅介護が始まった。


設楽さんは、平日は朝6時頃起きて朝食を用意し、妻に食べさせ、デイサービスに送り出したあと出勤。帰りは19〜20時頃、買い物をして帰宅。夕食を用意し、妻に食べさせ、入浴をサポート。妻を寝かしたあと、洗濯・掃除などの家事をして、1時頃就寝した。


2021年4月。設楽さんの会社の協力もあり、経済的に安定してきたことから、食事や入浴をヘルパーに任せ、設楽さんは仕事やそのほかの家事に専念することに。


「妻は現在、障害者1級、要介護2です。右半身完全麻痺、高次脳機能障害、失語症残存でIQは70台ですが、以前の妻の3〜4割程度は戻っていると思います。意思疎通は私とはほぼ100%できますが、聞くことはできても、話すことはまだたどたどしく、初めての人にはよくわからないことも多いと思います。また認知や記憶に障害が残り、やり方や言ったこと、したことを忘れたりします。今は杖があれば少しの距離なら歩けますし、着替え、トイレ、食事も1人でできます。ただ、脳卒中によるてんかんで、年に1〜2回は救急搬送することがあるため、24時間の見守りが必要です」


2018年1月に妻が倒れてから、今年で7年目に入った。


「毎日が大変でしたが、思えば結婚してから、入院中の半年間が、もっとも妻と一緒に過ごし、もっとも会話をした日々でした。おかげで夫婦関係もこれまでにないほど良好なものになりました。それが病気のくれた一番のご褒美だったと思っています」


しかしきれい事だけでは済まされない。


「高次脳機能障害の妻は、その障害の一つでこだわりや疑念が強く、何度説明しても理解しようとしません。また、もともと自分にも他人にも厳しい性格の妻は、人に完璧を求めることがあり、人が自分の思ったようにできないと、ひたすら文句を言い続けます。私も仕事で疲れている時は聞くに耐えず、我慢できずに声を荒らげることがありました」


そんな時は距離を置き、時間をおいた。そして息子は2022年2月、2度目の自殺騒ぎを起こした。


「息子とはたくさん話しました。息子は『自分が生きていることが迷惑になるから。生きているのがつらく苦しく、生きづらいから』と言います。死にたい人間をとめることはできません。私も過労とストレスで心臓を患い、もう無理は効かず、その余裕がないことも伝えました」


設楽さんは3年ほど前、毎朝胸の痛みで目が覚めるようになり、病院へ行くと、


「不安定狭心症です。原因はストレスと過労だと思われます。できる限りストレス溜めない、頑張り過ぎないようにしてください」


と診断され、現在も通院・服薬している。


「不安定狭心症は、突然死が多い病気です。当時の私は家事を全てこなし、仕事をしながら妻のことをしていたため、体が悲鳴を上げたのだと思います。妻が倒れてから、子どもたちには『1ミリもママのことをしなくていい』と言っていましたが、診断されてからは、娘には洗濯、息子には時間がある時に母親の料理をつくるようにお願いしました」


妻が倒れた時から、自分に万が一のことがあった時のために、設楽さんは資産運用をしていると話す。


「私は結婚以来、料理や洗濯などしたことはありませんでしたが、今では何でもできるようになりました。また、妻の介護は夫婦仲を確実に良くしました。以前はお互い会話すらしない日も多々ありましたが、今は今日あったことや体調など、いろいろなことを話すようになりました。結婚30年経って、お互いを必要とする関係を構築できたのは、介護なくしてはありえないことだと思います」


一昨年は、妻と2人きりで沖縄や九州旅行に出かけることができた。


写真=iStock.com/cf2
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/cf2

「今の私の目標は『妻より1日でも長く生きる』です。30年以上も前に私が一目惚れした妻は、半身麻痺だろうが失語症だろうが関係なく、やっぱり今も可愛いと思えます。介護によりできないことはありますが、介護があるから見られる夢もあります」


家庭の数だけ物語がある。「老老介護」「若若介護(20〜40代の家族が50〜60代の身内を介護すること、また、40代〜50代の夫婦が同年代の配偶者を介護すること)」と一口で言っても、介護の仕方も十人十色。だがひとつ共通して言えることは、後悔しないためには、納得のプロセスを踏むことだ。


設楽さん自身、介護のおかげで夫婦関係が改善したと言っているように、介護を通して家族関係が修復されるケースも少なくない。誰かのためではなく、自分のために、後悔しない道を選ぶことが大事なのだろう。


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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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