創業者・井深大が語っていた驚きの予言 ソニーの「未来を描く力」の源泉とは

2024年4月4日(木)6時0分 JBpress

 今から60年以上前、「AIによる自動運転」の仕組みを予言し、未来を正確に言い当てた人物がいる。ソニー創業者の井深大(いぶか・まさる)氏だ。井深氏はなぜ、テクノロジーがもたらす革新を見通すことができたのか。そして、その偉人から私たちは何を学ぶべきなのか。2023年12月、書籍『ソニ−AI技術 井深大とホンダジェット 本田宗一郎の遺訓』(ごま書房新社)を出版した豊島文雄氏に、テクノロジーで世界を変えた名経営者から現代のリーダーが学ぶべきことを聞いた。

■【前編】創業者・井深大が語っていた驚きの予言 ソニーの「未来を描く力」の源泉とは(今回)
■【後編】意気投合した井深大と本田宗一郎、ソニー・ホンダ「アフィーラ」誕生の必然
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60年前にAI社会の到来を見抜いた「井深氏の慧眼」


──著書『ソニーAI技術 井深大とホンダジェット 本田宗一郎の遺訓』は、今から六十数年前にソニー創業者の井深氏が語った「エレクトロニクスの夢」という肉声の講演テープが発見され、それが現代のAI研究者やエンジニアに衝撃を与えた、というエピソードから始まっています。井深氏はそこで何を語り、現代のAI研究者や起業家にどのような衝撃を与えたのでしょうか。

豊島文雄氏(以下敬称略) 発見されたテープは、1961年7月に国際基督教大学(ICU)で「エレクトロニクスの夢」と題された講演の記録です。当時は、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれていた時代です。そこで井深氏は、当時、まだコンピュータが「電子計算機」と呼ばれていた時代に、21世紀のAIによるパラダイムシフトを次のように洞察しています。

「これからの自動車は、ステアリングやブレーキをエレクトロニクスでやれるようになる。前の車との間もレーダーのようなもので距離を測って、速度の調整を自動的にやれるようになる」「医療でも経営でも教育でも良いデータばかりを蓄積して、そのデータの中から正しいものを選び出して次の推理をしていくということは、電子頭脳の非常に得意なところだ」

 2023年4月に公開された週刊文春の記事によると、講演内容の文字起こしを読んだAI研究の第一人者、東京大学大学院の松尾豊教授は「すごいの一言ですね。まさに未来を正確に読んでいる。今の人工知能の状況が、ほとんどそのまま当てはまる気がします。すごい、すごいと聞いたことはありましたが、こんなすごい方だったんだと衝撃を受けました」と語っています。

 この講演から六十数年後の2020年4月、ソニーはAIやロボットの基礎的な研究開発を行う「ソニーAI」を設立しています。また、2022年9月には、井深氏の盟友であった本田宗一郎氏が創業したホンダとの間で、合弁会社「ソニー・ホンダモビリティ」が設立されています。同社は次世代自動運転EVを開発し2025年に販売することを目指しています。まさに井深氏が予言した未来が現実になろうとしているのです。

 井深氏の講演から60年後に起こった動きは、決して偶然ではないでしょう。なぜなら、ソニーAIには井深氏の経営思想や人生哲学が「タテ糸」として脈々と流れているからです。2020年4月に設立されたソニーAIは、ソニーのファウンダーである井深氏のスピリットを継承したものであると、ソニーコーポレートブログ「現在、そして未来に受け継がれるソニースピリット」に記載されています。


なぜ、井深大氏は「自動運転車の到来」を予言できたのか?

──「タテ糸」として継がれた井深氏の経営哲学は、どのようなものだったのでしょうか。

豊島 私は1973年にソニーに入社し、企画業務室長やマーケット分析の仕事などを務めながら、多くの経営幹部に仕えてきました。その間、多くの組織の立て直しや再編、事業の成功や失敗の現場に携わり、そこで井深氏の経営手法やリーダーシップ、人生哲学に触れてきました。

 井深氏の経営哲学であり、生き方の思想の核にあったのは「望むところを確信して、未だ見ぬものを真実にする」というものです。これは、何らかの課題に直面した場合、まずは自ら「望ましい姿」を描き出し、とにかく信じて実現に向けた行動を起こす、ということを意味します。そのことにより、誰も実現できなかったことを真に実現する、という考え方です。

 井深氏の示す「望ましい姿」は「北極星」と呼ばれています。井深氏が創業したソニーは、世の中の人々が望むパラダイムシフトを「究極の北極星」に掲げ、それを目指して開発陣が総力を挙げて行動し、人びとに新しいライフスタイルを体験させるような新製品・新サービスを次々と世に送り出してきました。同社は、まさに井深氏の生き方を体現していたといえるでしょう。

──井深氏は技術者であると同時に、日本初・世界初の製品の開発を主導して次々と成功させた卓越したリーダーでもありました。同氏はリーダーとして、どのような考え方を重視していたのでしょうか。

豊島 井深氏は「時代の変化の兆しは、現場の末端にある。末端で起きている小さな兆しを掴んだ上で、それが最後にどうなるのかを見抜く想像力が重要だ」と語っていました。そして、「トップの最大の役割は、想像力に基づいて具体的な究極の未来の絵を描くことだ」と話しました。リーダーには、こうした「嗅覚」が非常に重要になるのです。

 1958年、ホンダ創業者の本田宗一郎氏が「自動車のエンジンの点火を、メカ(機械式)ではなく、トランジスタ(電子式)を使って制御できないか」と相談に来たときのことです。機械式の制御が当たり前の時代にトランジスタ式の制御を思いついた本田氏のひらめきに感心した井深氏は、早速、社内に検討チームをつくり、研究を始めました。

 ここで注目すべきは、井深氏が「エンジンを電子で制御できるならば、ハンドルもアクセルもブレーキも、自動車の全てを電子で制御できるのではないか」と想像したことです。そして、それが60年後の人工知能による自動車の自動運転につながるわけです。


リーダーの想像力を生んでいるのは「気配りの心」

──リーダーにとって重要な要素となる「究極の未来を描く大胆な想像力」は、どこから生まれてくるものなのでしょうか。

豊島 それは、井深氏の人間に対する「気配りの心」にあったのではないか、と思います。井深氏がよく話していたのは、「世の中が変わろうとする変化は、ある日突然起こるのではない。顧客と接点のある現場の人が、顧客の不満や嗜好(しこう)の変化を体感している。だから、末端の現場の小さな兆しに気を配り、イノベーションのテーマを見出せ」ということでした。

 例えば、1970年代に画像の明るさで世界を席巻した「トリニトロンカラーテレビ」の開発にあたって井深氏が重視したことは、「夕食を食べながら一家だんらんでカラーを楽しむ」という新しいライフスタイルでした。当時のカラーテレビ(シャドウマスク方式)は映画館のように部屋を暗くしなければ見ることができませんでした。井深氏は、夜の食卓を家族で楽しめるものにして、一家だんらんの時間をつくろうとしたのです。そうした人々に寄り添った気配りの思いこそが、世界的なイノベーションにつながったのだと思います。

 また、世界的大ヒットとなったウォークマンの開発に当たっても、井深氏が最も重視したことは「自分自身の好みを主体に置いて、自分が感動するものを商品化する」です。当時の旅客機には、音楽設備がありませんでした。そこで井深氏は欧米に出張する際、好きな音楽を移動中でも聞けるように、極限まで軽量化させた再生テープレコーダーとヘッドホンの試作品を機内に持ち込んで確認していました。その後、同じく創業者の盛田昭夫氏に商品化を依頼して、ウォークマンが出来上がったのです。

 1997年、89歳で永眠された井深氏は、次のように言っています。

「モノと心は表裏一体であり、これを考慮に入れることが、近代科学のパラダイムシフトを打ち破る一番大きなキーだ。ハードウェアであるモノにソフトウェア(AI)を一体化して、人間の心を満足させることを考えていかないと、21世紀の世界に通用しない」

 そして、IT技術が支配するであろう21世紀に、日本が引き続き世界の人々に貢献し続けるためには、「合理主義や物質中心の欧米に対して、日本古来の気配り、という日本の心を商品やサービスと一体化するパラダイムシフトを世界にもたらすこと」が大切だと語りました。21世紀の日本の繁栄と国際協調をするためにも、井深氏の話す「日本古来の気配り」こそが求められていると思います。

【後編に続く】意気投合した井深大と本田宗一郎、ソニー・ホンダ「アフィーラ」誕生の必然

■【前編】創業者・井深大が語っていた驚きの予言 ソニーの「未来を描く力」の源泉とは(今回)
■【後編】意気投合した井深大と本田宗一郎、ソニー・ホンダ「アフィーラ」誕生の必然
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筆者:三上 佳大

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