「鋼のメンタル」と「豆腐メンタル」の違いは何か…心理学博士「褒められて育った現代人が代わりに失った能力」
2025年4月17日(木)10時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fizkes
※本稿は、榎本博明『自己肯定感は高くないとダメなのか』(筑摩書房)の一部を抜粋・再編集したものです。
■自己肯定感は「ほめられて高まる」ものではない
ほめられればだれだって嬉しいし、気分が良いものだ。でも、良い気分にしてもらえば自己肯定感が高まるのだろうか。
ほめられればうれしくて気分は高揚するかもしれないが、そういった一過性の気分の高揚と自己肯定感を混同すべきではない。
自己肯定感というのは、ほめられれば高まり、叱られれば低下するというようなものではなく、もっと安定的なものとみなすべきだろう。
自己肯定感が低い者は、ほめられて一時的に気分が高揚しても、だからといって自己肯定感が高まるわけではなく、自分に対するネガティブな気持ちは変わらない。
一方、自己肯定感が高い者の場合は、叱られて一時的に気分が落ち込んでも、だからといって自己肯定感が低下するわけではなく、すぐに立ち直って、自分に対するポジティブな気持ちは変わらない。
自己肯定感というのは、そういうものなのではないか。
写真=iStock.com/fizkes
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■「ほめる」が逆効果になるケースも…
ここで、ほめても自己肯定感が高まるわけではないことの理由を四つあげておきたい。
第一に、ほめられることで守りの姿勢に入り、気持ちが萎縮するということがある。
ほめられることが自信になり、モチベーションも高まり、それが好循環をもたらすと考える人が多いようだが、ほめ方によっては逆効果になることもある。それを実証した実験もある。
心理学者のミューラーとドゥウェックは、10歳〜12歳の子どもたちを対象に、ほめ方によってどのような効果の違いがあるかを調べるための実験を行っている。
まずはじめに知能テストのようなパズル解きのテストを実施した。テスト終了後に、すべての子どもたちは、「優秀な成績だった、少なくとも80%は正解だった」と伝えられた。そのパズルは簡単なものだったので、子どもたちはそのコメントを信じることができた。
その際、子どもたちはつぎの三つの条件に振り分けられた。
①こんなに成績が良かったのは「まさに頭が良い証拠だ」と言われる
②とくに何も言われない
③こんなに成績が良かったのは「一所懸命に頑張ったからだ」と言われる
つまり、条件①の子どもたちと条件③の子どもたちは、それぞれ異なる理由で良い成績が取れたと思い込まされた。これが重要な意味をもつ。
■「能力」か「努力」か
そうしておいて、つぎに別のテストに取り組んでもらうといって、二つのタイプのパズルの特徴を説明し、どちらのタイプのパズルをやってみたいかを尋ねた。
一方は、難易度が低く、簡単に解けそうなものだった。これを選べば、容易に解けそうなので、良い成績を取って自分の頭の良さを示せる可能性が高い。でも、あまりに簡単すぎて面白みに欠けるパズルだった。
もう一方は、難易度が高く、簡単には解けそうにないものだった。これを選ぶと、良い成績を取って自分の頭の良さを示すことはできないかもしれない。でも、チャレンジのしがいがあるという意味では面白そうなパズルだった。
このどちらを選ぶかを調べたところ、振り分けられた条件によって、これから取り組みたいパズルのタイプが違っていることがわかった。つまり、どんなコメントを聞かされたかによって、選ぶパズルのタイプが異なっていたのだ。
条件①の「頭が良い」とほめられた子どもたちでは、67%と大半が簡単なパズルの方を選んだ。条件②のとくに何も言われなかった子どもたちでは、簡単なパズルを選ぶものと難しいパズルを選ぶものがほぼ半々となった。条件③の「頑張った」とほめられた子どもたちでは、簡単なパズルを選んだものはわずか8%しかおらず、92%とほとんどが難しいパズルの方を選んだ。
■「期待を裏切りたくない」という心理がはたらく
このように、能力の高さをほめられた子どもと、努力したことをほめられた子では、正反対の選択傾向を示したのだった。この結果から言えるのは、ほめることがモチベーションに与える影響は、ほめ方によって違ってくるということである。
「頭の良さ=能力」をほめられると、自分の能力の高さに対する期待を裏切りたくないといった思いに縛られ、もし期待を裏切ったらどうしようという不安に駆られて、確実に解けそうな易しい方の課題を選ぼうとする。
つまり、守りの姿勢に入り、チャレンジがしにくくなる。
それに対して、「頑張り=努力」をほめられると、自分は努力する人間だという期待を裏切りたくないといった思いに駆られ、つぎも頑張っている姿勢を見せなくてはということで、難しい方の課題を選ぼうとする。つまり、積極的にチャレンジしやすくなる。
このような結果から言えるのは、「頭の良さ」や「能力」をほめると守りの姿勢に入って気持ちが萎縮し、思い切ったチャレンジがしにくくなるということだ。
ほめるなら「頑張り」や「努力」といった姿勢をほめる方が好ましい。「頭の良さ」や「能力」をほめられると結果を出すことにこだわってしまうが、「頑張り」や「努力」は結果でなく姿勢なので、そこをほめられても気持ちが萎縮することはない。
出所=『自己肯定感は高くないとダメなのか』
■かえって自信をうばうケース
第二に、たいしたことをしていないのにほめられると、自分が軽くみられている、たいして期待されていないと感じ、かえって自信がなくなることがある。
頑張って壁を乗り越えたり、難しい課題を解決したり、何らかの成果を出したりしたときにほめられれば、単に嬉しくて気分が高揚するだけでなく自信になるだろう。たとえ成果につながらなくても、諦めずに頑張ったときにほめられれば、それも自信になるはずだ。
でも、とくに頑張ってないのにほめられたり、易しい課題を解決しただけでほめられたりしたら、「自分はあまり期待されていないんだ」とか「自分の実力はこんな程度だと思われてるんだ」などと感じて、かえって自信をなくすことにもなりかねない。これではほめられることで自己肯定感が高まるどころか、かえって低下してしまう。
あるいは、とくに頑張ってないのにほめられたり、易しい課題を解決しただけでほめられたりして、「こんなもんでいいんだ」と楽観することで、頑張る気持ちが薄れてしまうこともあるだろう。そうした適当な態度の自分に対してポジティブな気持ちをもつのは難しいはずだ。
■よこしまな心は見透かされる
第三に、ほめ方に操作性を感じると逆効果で、自己肯定感にはつながりにくいということがある。
操作性を感じるほめ方というのは、「ほめれば言うことを聞くはずだ」とか「ほめればこちらの印象が良くなるはずだ」「ほめればこちらに好意をもつはずだ」などといった利己的な動機が感じられるような、わざとらしいほめ方のことである。
第二の理由と多少重なるが、たいしたことをしていないのにほめられたりすると、「何か魂胆があるんじゃないか」といった疑念が生じたり、「気に入られようとしてもちあげてるんだな」「嫌われたくないだけじゃないか」などといった思いになり、ほめられても素直に受け止めることができない。
これではいくらほめられたところで、自信にならないし、自分に対してポジティブな気持ちをもつということにはなりにくい。
印象を良くしたいとか嫌われたくないといった利己的な動機でほめてくる操作性を感じるのは気持ちの良いものではない。
ほめることを求められがちな教育現場では、教師が無理やりにでもほめるということが行われている。そんな教師の姿勢に疑問を投げかける生徒もいる。それについては、項を改めて紹介することにしたい。
■「ネガティブに耐える力」が育たない
第四に、ほめる教育・ほめる子育てによって、常にポジティブな気分にさせられていると、ネガティブな状況に耐える力、いわゆるレジリエンスが鍛えられないということがある。
写真=iStock.com/photocheaper
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レジリエンスは、復元力と訳され、もともとは物理学用語で弾力を意味するが、心理学では「回復力」とか「立ち直る力」を意味する。
なかなか思い通りにならないとき、どうしたら打開できるかわからない困難な状況に追い込まれたとき、「どうしたらいいんだろう」と思い悩んだり、「もうダメだ、どうにもならない」と絶望的な気持ちになったりするかもしれない。
そこで問われるのがレジリエンスだ。困難な状況にあっても、心が折れずに適応していく力。挫折して落ち込むことがあっても、そこから回復し、立ち直る力。辛い状況でも、諦めずに頑張り続けられる力。それがレジリエンスである。
さまざまな定義を総合すると、レジリエンスは、強いストレス状況下に置かれても健康状態を維持できる性質、ストレスの悪影響を緩和できる性質、一時的にネガティブ・ライフイベントの影響を受けてもすぐに回復し立ち直れる性質をさすといってよいだろう。
このようなレジリエンスが欠けていると、困難な状況を耐え抜くことができない。そのようなときに口にするのが、「心が折れた」というセリフだ。レジリエンスの高い人は、どうにもならない厳しい状況に置かれ、気分が落ち込むことがあっても、心が折れるということはなく、必ず立ち直っていく。
■「頑張り屋さん」の心が突然ダウンする理由
どんなときも前向きに頑張ってきた人の心が突然折れることがある。
「心が折れる」という言葉が、いつの間にか広く使われるようになってきたのは、時代状況が厳しくなって、頑張り屋だったはずの人の心が突然ダウンするといったことが頻繁にみられるようになったからとも考えられるが、その心の強さには、いわば弾力が欠けていたのだ。
もっと幅のある生き方をしていたり、もっと柔軟な考え方ができたりすればよかったのだが、レジリエンスが鍛えられていないため、行き詰まったときに柔軟な対応ができず、心がポキッと折れてしまう。
そこで求められるのは弾力性や柔軟性、いわばしなやかさだ。
榎本博明『自己肯定感は高くないとダメなのか』(筑摩書房)
ストレスがかかったり、逆境に置かれたりして、一時的には落ち込んだり、情緒不安定になったりすることがあっても、わりと早く立ち直れる。そんなしなやかさをもった強さがレジリエンスである。レジリエンスが高ければ、心に強さだけでなく、しなやかさがあるため、どんなに大きなストレスがかかっても、心が折れるということがなく、タフに乗り越えていけるのである。
このようなレジリエンスは、困難を乗り越える経験や厳しい状況を持ち堪える経験を積み重ねることで鍛えられるものであるため、ほめられて常にポジティブな気分にさせられていてはけっして鍛えられない。
適度に傷つくことで傷つきにくい心がつくられていく。傷つかないように配慮され保護されるばかりでは、かえって傷つきやすくなってしまう。困難や厳しい状況に耐えられない弱い心を抱えているようでは、自己肯定感が高まることはないだろう。
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榎本 博明(えのもと・ ひろあき)
心理学博士
1955年東京生まれ。東京大学教育学部教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授などを経て、現在、MP人間科学研究所代表、産業能率大学兼任講師。おもな著書に『〈ほんとうの自分〉のつくり方』(講談社現代新書)、『「やりたい仕事」病』(日経プレミアシリーズ)、『「おもてなし」という残酷社会』『自己実現という罠』『教育現場は困ってる』『思考停止という病理』(以上、平凡社新書)など著書多数。
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(心理学博士 榎本 博明)