吉野家から「はやい」「やすい」が消える日…脱“牛丼一本足打法”とともに注力進める「あるメニュー」とは
2025年4月24日(木)12時0分 文春オンライン
飲食チェーンのキャッチコピーは、コンパクトかつ印象に残るフレーズでそれぞれの目指すものや立ち位置がまとまっており、眺めてみると面白い。中でも有名なものの一つといえば「うまい、やすい、はやい」だろう。言わずと知れた、牛丼チェーン・吉野家が掲げているキャッチコピーである。

もともとは「はやい、うまい」だけだった
このキャッチコピー、実は過去に数回順番が変わっている。もともとは1958年に掲げた「はやい、うまい」が発端とされる。当時はまだ牛肉が今よりも高級品だったことから、当初「やすい」は入っていなかったのだ。
そこに1968年から「やすい」が加わって「はやい、うまい、やすい」に。さらに1994年に「うまい、はやい、やすい」へと順番が入れ替わり、牛丼の価格を大幅に値下げした2001年から現在のキャッチコピー「うまい、やすい、はやい」となった。
かつて吉野家といえば、席に着いて、ものの数分で牛丼が出てくるのが当たり前だった。注文が入ってからのオペレーションは、大まかにはあらかじめ煮込んでいた牛丼の具をご飯にかけるのみだからだ。
吉野家はもともと、魚河岸で働く忙しい人々のために提供していた食事がルーツにあり、だからこそ当初のキャッチコピーの先頭に「はやい」という言葉が配置されたのだろう。時代が下っても、仕事合間のサラリーマンが急いで牛丼をかき込む店として人気を博した。
この、吉野家のアイデンティティともいえる「はやい」が末尾へと押しやられ、そう遠くない未来にキャッチコピーから消えてしまうのではないか、と筆者は考えている。
着々と増えている謎の「黒い吉野家」
理由の一つとして、着々と進めている店舗のリニューアルを挙げたい。
吉野家ホールディングスは全国の店舗を対象に「クッキング&コンフォート(C&C)」型店舗への改装を進めている。C&Cの店内はこれまでの吉野家と大きく異なる。
従来カウンターが多かった店内はテーブルが中心となり、広々したスペースには植栽も施している。店内にはドリンクバーもあり、通常の吉野家と違い黒い看板を掲げることから、ちまたでは「黒い吉野家」として時たま話題を呼んでいる。
同社はC&Cについて「お客様がゆっくり食事を楽しみ、くつろいで過ごせるように開放感のあるゆったりした客席としています」と説明している。忙しい合間にサクッと利用するという吉野家の姿はなく、「ゆっくり食べる」場所になろうという意図が感じられる。
近年注力している「から揚げ」メニューにも注目したい。吉野家ではから揚げを牛丼に次ぐ「第2の柱」と位置付け、「から揚げ丼」や「から揚げ定食」といった商品を充実させている。吉野家でから揚げ系メニューを頼んだことのある読者なら経験があるかもしれないが、これらは提供に5分以上かかる場合がある。作り置き的な面もある牛丼と違い、オーダーを受けてから揚げるからだ。
ここから分かるのは、吉野家が明確に「はやい」よりも「うまい」を重視している、ということだ。
「700円の壁」を突破し、1500円超メニューも……
ここまで吉野家における「はやい」の後退を見てきたが、実は「やすい」も徐々に存在感を失いつつある。普段吉野家を利用する人にとっては、こちらの方を実感している人が多いかもしれない。
直近では、4月10日の午後2時から牛丼の大盛を696円(店内飲食)から740円(同)に上げた。牛丼の小盛と並盛は価格を維持するものの、安さやデフレの象徴とされてきた牛丼で「700円の壁」を突破したことは話題を呼んだ。この他、から揚げ丼や牛カルビ丼の並盛でも値上げしている。
もちろん、値上げは吉野家だけで起こっていることではない。牛丼チェーン、ひいては外食業界全体でさまざまな品目の原材料費、人件費の上昇が起こるなか、仕方ない側面が大きい。特に価格高騰が止まらないコメ、トランプ関税の影響を受けやすい牛肉を使う牛丼の値上げは仕方ない。
ただ、こうした「不可抗力による値上げ」だけでなく、積極的に高付加価値な商品を拡充しているのも、近年の吉野家の特徴だ。
例えば、2024年に話題を呼んだダチョウ肉を用いた「オーストリッチ丼」は1683円(店内飲食のみ)。限定メニューかつ珍しいダチョウ肉を用いた実験的なメニューだったこともあるが「牛丼店」のイメージから大きく外れた価格帯であることは間違いない。
あるいは、先ほど紹介したC&C店舗で提供している「牛丼ON野菜」。牛丼とともにしっかり野菜を食べられる付加価値が売りで、並盛707円(店内飲食)である。牛丼としてみれば若干高めといえる。
——ここまで書いていて、ふと吉野家の公式ホームページを見てみると、「こだわり」ページで「やすい」「はやい」への言及がほとんどないことに気付いた。食材のこだわりや製法といった「うまい」を強調する構成になっているのだ。
「薄利多売」から「厚利少売」への転換が進んでいる
こうした背景には、先ほども述べたような食材のインフレや人件費の増加に伴って、これまで牛丼を含むファストフード各社が行ってきた「薄利多売」モデルが転換期を迎えている点を指摘できるだろう。
吉野家が進めているのは「厚利少売」、つまり高くても満足できる付加価値を提供し、客単価を上げていくモデルだ。吉野家ホールディングスの2025年2月期決算では、吉野家単体の既存店売上高は前年同期比で107.4%。既存店客数は100.7%と微増に対し、客単価が106.8%でけん引した。
まさに厚利少売モデルへの転換が進行中で、開店当初からのキャッチコピーとしてあった「はやい」および、デフレ下でプッシュしてきた「やすい」が少しずつ背後に退いている。
だが、ここでまた別の課題が見えてくる。厚利少売モデルと牛丼は相性が悪いのだ。
「1人で安くパッと食べる」というイメージがいまだに強い牛丼は、いくら付加価値を高めても、なかなか高価格だと受け入れられにくい。実際、吉野家ホールディングスの2025年2月期決算では、吉野家は前年比で3.0%の減益となった。C&C業態などの拡大路線がうまく進んでいるとはいいづらい。
吉野家が「第3の柱」として期待するメニューとは?
吉野家ホールディングスは5月、「はなまる」やカレーうどん専門店「千吉」の社長を歴任した成瀬哲也氏が新社長に就任する。成瀬氏は現社長の河村泰貴よりも1歳年上で「企業の若返り」というよりも「多角化の推進」が重視された人事になったといえそうだ。牛丼以外の業態を知っている成瀬氏の手腕で業態の多角化を進めるとみられる。
今後、吉野家ホールディングスがさらに力を入れようとしているのが「ラーメン」である。2024年、京都のラーメン店「キラメキノトリ」などを運営するキラメキノ未来を買収すると発表(2025年1月に完全子会社化)。同年にはラーメン関連の商品製造を行う宝産業も買収しており、旺盛に投資している。
中小ラーメン店は、物価高や人件費高騰のあおりを受けて倒産が相次いでおり、厳しい状況にある店も多い。これを追い風に、ラーメン店のM&Aを進めて「第3の柱」としてラーメン業態を完成させるのだろう。
ただ、ラーメン市場は他企業のM&Aも進んでおり、個人店の種類も多い。かなりのレッドオーシャンであることは間違いない。足元の吉野家で経営がふらつく中、こうした多角的な経営は成功するのか。「はやい」「やすい」を脱ぎ捨てて「うまい」に走る吉野家の今後に注目したい。
(谷頭 和希)