島根県松江市の和菓子舗「彩雲堂」、明治から続く創業150年の歩みと和菓子への変わらぬ思い

2024年5月14日(火)15時0分 PR TIMES STORY

2024年、和菓子舗「彩雲堂」は創業150年に

株式会社彩雲堂は2024年に創業150年目を迎えました。島根県松江市で四季折々のお菓子を作りお届けしてきた彩雲堂のこれまでの歩みと、これからについてご紹介します。

松江市八束町にある工場屋上にて

初代・山口善右衛門が松江で創業、不昧公の茶席和菓子「若草」を復活

松江の和菓子文化と切っても切れないのが、松江藩7代目藩主・松平治郷(まつだいらはるさと)の存在です。治郷公は号を不昧とし、今でも松江では不昧公(ふまいこう)と親しみを持って呼ばれています。松平治郷は藩の財政改革を行い中興の祖として知られる一方、幼少より茶道を学び、貴重な茶道具を蒐集し目録帳を残しました。参勤交代の折、松江の町に当時最高の和菓子文化を伝え、松江の和菓子文化は花開くこととなります。

明治7年、1874年、初代山口善右衛門は松江で彩雲堂を創業します。書物としての記録は残っていませんが、飴屋として商いをはじめたと言われています。山口善右衛門は職人として技術を磨く傍ら、明治40年代、不昧公の春の茶席和菓子「若草」を復活させます。当時の松江には、呉服問屋や宿場主、古着商等で作る茶飲仲間の会「どうだら会」がありました。会員はお茶を飲みながら世相を語り、さまざまな情報交換を行なっていたようです。そこで「不昧公没後100年に不昧の茶菓子を復活させてはどうか」という話が持ち上がり、市内の和菓子屋に声がかかりました。その期待に見事に応えたのが初代善右衛門です。残っていた文献や当時を聞き知る古老などを県外問わず訪ね歩き研究を重ね「若草」を復活させたのです。

初代山口善右衛門

代表銘菓「若草」

戦中・戦後の歩みとともに誕生した、銘菓「伯耆坊」

商売を続けていく中、2代目3代目の時代に第二次世界大戦が起こりました。砂糖も配給制となり、松江の菓子屋同士で砂糖を貸し借りし、お客様の注文に応えたといいます(3代目の妻・山口育子談)。

戦後シベリア抑留から帰国した3代目山口恒雄は、戦後の国内観光旅行の波に乗り、松江駅に出来た鉄道弘済会(現キヨスク会)の売り場にて「若草」を松江の土産菓子として販売し、昭和25年、1950年に株式会社彩雲堂を設立しました。

昭和40年代には隣県である鳥取県米子市に店舗展開を広げます。米子の人にも愛される和菓子を、という思いで作られたのが「伯耆坊(ほうきぼう)」です。鳥取県の名峰「大山(だいせん)」は伯耆富士として知られており、そこの山に棲まうと言われる天狗「伯耆坊」の団扇を模した形となっています。現在でも米子東山店では、多くのお客様に和菓子をお届けしています。

昭和10年頃の初荷 2代目山口善之助と社員たち

銘菓「伯耆坊」

米子市にある米子東山店

そして昭和58年、1983年、島根県八束町(大根島)に工場を建設しました。松江と米子を結ぶ中海を臨む、自然豊かな地で彩雲堂の和菓子は作られています。

八束工場 工場裏には中海が広がり、遠くに名峰・大山が見えます。

和菓子の製造に向かい合う職人たち

菓子処・松江が全国に知れ渡った、第21回全国菓子大博覧会

松江の和菓子が全国で知られるようになった契機として、平成元年、1989年に開催された第21回全国菓子大博覧会(通称「菓子博」)があります。和菓子や洋菓子、スナック菓子なども含めた日本最大級の菓子業界の展示会です。

当時、回を重ねるごとに来場者数が減少していた菓子博ですが、松江の開催では官民一体で取り組み大成功を収めました。これをきっかけに松江は菓子処であると全国的に知られるようになりました。

松江菓子博 写真中央に彩雲堂が製作した工芸菓子「出雲神話ヤマタノオロチ」が見えます。

平成15年・文化交流の思いを込めて改装した彩雲堂本店

4代目山口研二は、本店を新しい店へ建て替えました。松江駅から宍道湖の道路拡幅工事が行われ、狭かった店前も広がり、店内もゆっくり滞在できるお店へと生まれ変わりました。また、文化交流の場でありたい、という思いを込め、2階に茶室とイベントスペースを設けました。現在でも社員の茶道勉強会の他、地元幼稚園の茶道発表会や陶芸家の展示即売会などが行われています。

昭和30年頃の本店

平成元年頃の本店

平成15年改装時の本店 昔からの丸看板も残しています。

職人の技術研鑽を支援する取り組み、「選・和菓子職」合格者を多数輩出

松江には製菓技術の発展のための研究団体「松和会」があり、松江市内の菓子店の職人が所属しています。県外から講師を招く活動を続け、年に1度工芸菓子等の品評会を実施し、技術の研鑽を続けています。

彩雲堂では職人の国家資格を取得するための支援体制を構築しています。職人としてステップアップを志す社員は、社内研修を受けながら、菓子製造技能士の資格取得に励みます。

現在、全国和菓子協会が主催する「選・和菓子職」の合格者を8名輩出しています。

そして、卓越した技能者表彰制度に基づき、厚生労働大臣によって表彰された卓越した技能者、通称「現代の名工」を2名を輩出いたしました。(2024年現在、選・和菓子職6名、現代の名工1名在籍)

練切をつくる様子と、牡丹の工芸菓子

近年の取り組みと、創業150年の感謝を伝える2024年の取り組み

和菓子離れという言葉も聞かれる昨今ですが、彩雲堂では様々な取り組みをしてまいりました。

2015年、和菓子をより身近に感じて欲しいと願い、出雲大社の神門通りに「あんぱん専門店」Ael(アエル)店を開きました。職人が炊く餡のおいしさを伝える為に毎朝焼き立てのあんぱんをお届けしております。近年は県外催事でも販売しており、ご好評いただいております。

出雲大社の神門通りAel(アエル)店 と店内で作る「出雲あんパン」。

2023年、松江市の職人商店街構想に賛同し、天神町本店に職人の手仕事が見られるブースを設置しました。茶寮で召し上がっていただくデザートプレートや、特製の生菓子をお作りしています。

職人ブースに立つ現代の名工・大江克之 とデザートプレート※季節により茶寮メニューは変更します。

2024年、150年を迎える今年は、お客様、お取引先様、そして社員に向けて感謝を伝える1年とし、5月19日の「工場まつり」を皮切りに、6月1日から「ノベルティグッズ」販売、そして9月1日から島根県産蓬を使った「よもぎ若草」の販売をいたします。

新銘菓「よもぎ若草」 よもぎの香りがやさしく豊かに広がります。

彩雲堂の目指す先、これからも「笑顔と笑顔をつなぐ和菓子」を

彩雲堂では「和菓子は人と人をつなぐもの」と捉えています。

昔から、お祝いのときに、悲しみのときに、和菓子は共にありました。

不昧公は「客の心になりて亭主せよ、亭主の心になりて客いたせ」と、茶の湯の心を伝えていました。松江の町では10時と3時のお茶の時間を大切にし、語らうそばには和菓子があります。

人と人、時代と時代、そして笑顔と笑顔をつなぐ、そんな和菓子をこれからもお客様へ届けていきたいと考えております。

公式ウェブサイト:https://www.saiundo.co.jp/

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