国宝・姫路城の天守にはB29の焼夷弾が直撃していた…「日本一の城」が現存して世界遺産になった奇跡の物語

2024年5月18日(土)10時15分 プレジデント社

姫路城(2022年5月8日、兵庫県姫路市) - 写真=時事通信フォト

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日本では幕末の時点で300もの城があったが、現在まで天守が残るのはわずか12しかない。歴史評論家の香原斗志さんは「世界遺産となった姫路城も倒壊の危機に何度も瀕していた。いま、姫路城を見られるのは奇跡に等しい」という——。


写真=時事通信フォト
姫路城(2022年5月8日、兵庫県姫路市) - 写真=時事通信フォト

■江戸時代から日本一だった姫路城が遭遇した危機


平成5年(1993)12月、姫路城(兵庫県姫路市)は法隆寺とならび、日本ではじめてユネスコの世界文化遺産に登録された。日本の城の代名詞である姫路城は、一連の建築群が織りなす景観が比類なく美しい。とりわけ大天守は木造部分の高さが31.5メートルと、現存する12の天守のなかでも最大で、他を圧する存在感を放っている。


たまたま残った城のなかではここが美しい、という話ではない。江戸時代、全国に百数十の天守が存在したが、そのなかでも「姫路城は日本一」と、道中記などで讃えられてきた。


だから、今日まで残されたのも当然だ、と思うかもしれない。だが、実際にはそうではない。取り壊しの危機、倒壊の危機、焼失の危機に遭いながら、奇跡的に脱していまに伝えられているのである。


明治4年(1871)、廃藩置県が断行されると、城の母体である藩がなくなり、旧藩主は華族となって東京在住が義務づけられた。こうして全国の城が主を失ったところに、明治6年(1873)1月に出されたのが、いわゆる「廃城令」だった。


廃藩置県とともに全国の城は、兵部省陸軍部(改組後は陸軍省)の管轄となったが、事実上300前後もあった城のすべてを、兵部省は管轄しきれない。そこで、軍隊の基地として利用できる「存城」と、普通財産として大蔵省が処分する「廃城」に分けたのだ。


このとき姫路城は「存城」とされたが、それは文化財として保存する対象になったのではなく、軍隊が利用するために残すと決められたにすぎなかった。


姫路城三の丸に置かれている歩兵第十連隊跡の石碑(写真=Terumasa/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

翌明治7年(1874)、大坂鎮台の姫路営所が城内に置かれ、歩兵第十連隊が入営すると、三の丸に建ち並んでいた御殿群はすっかり取り壊されてしまう。また、その周辺も既存の建造物や石垣などが壊され、陸軍の施設が建ち並ぶことになった。


■彦根城を残した大隈重信のひと言


その時点では、現存する天守や櫓、門は残されたものの、保存すると決められたわけではなかった。明治10年(1877)、陸軍少佐の飛鳥井雅古が、天守の保存についての伺いを提出したが、影響をあたえるには至っていない。その後、保存が決まった背景には、彦根城天守をめぐる動きがあった。


現在、姫路城天守と並んで国宝に指定されている彦根城天守は、明治11年(1878)9月に解体される方針が決まり、翌10月には解体用の足場も架けられた。


ちょうどそのとき、東海北陸巡業を終えた明治天皇一行が彦根近郊に宿泊。随行していた大隈重信が城に立ち寄り、天守を見て惜しいと思い、保存できないかどうか天皇に奏上したところ、同意が得られ、費用が下賜されることになった。こうして天守以下何棟かの建造物の保存が決まったという。


大隈重信(写真=早稲田大学図書館/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

これに触発されたのが、陸軍省内で軍施設の営繕などを担当する第四局の局長代理、中村重遠大佐だった。明治11年12月、名古屋城と姫路城の保存を求める上申書を陸軍卿の山縣有朋に提出。これを受けて翌明治12年(1879)9月、陸軍省、内務省、大蔵省は、この2城を「全国中屈指の城」として、永久保存することを決めた。


■50年も放置されて倒壊寸前に


しかし、保存の方針が決まったところで、それに要する費用は、わずかな一時金が支給されたにすぎなかった。大天守地階の補強工事などが行われたものの、大規模な工事を行うためには、予算がまったく足りなかった。そうこうするうちに、明治15年(1861)には、天守のすぐ南側の備前丸が焼失している。


その後も、天守や櫓、門などは、荒れるにまかされることになった。明治中期に撮影された古写真を見ると、天守の屋根には雑草が生い茂り、瓦はずれ落ち、壁は剥落し、まるで廃屋のように荒れ果てている。大天守と東小天守を結ぶ「イの渡櫓」の西側など、壁も屋根も崩れ落ち、倒壊寸前のようでさえある。


あまりの惨状を受けて市民のあいだに運動が起き、明治41年(1908)に「白鷺城保存期成同盟会」が結成された。その参加者らが国に粘り強く働きかけると同時に、姫路藩士の六男だった時の陸軍次官、石本新六中将の尽力も加わり、ようやく明治43年(1910)から44年(1911)にかけて、陸軍省による保存のための修理が行われた。


■本格的な修理がすぐに行われなかったワケ


このとき大天守は、軸部の傾斜を防ぐ筋交い柱がはめられ、各階の梁の下が支柱で補強された。屋根の補修や壁面の塗り替えも行われた。姫路城でこの手の補修が行われたのは、記録にあるかぎり文久元年(1861)が最後だった。それから50年を経てやっと修理が施されたのだが、これ以上放置されれば、かなり危険な状況だったようだ。


ただし、歩兵第十連隊の管轄下にあった西の丸は修理の対象から外れたため、櫓や多門などは軒が崩れ、壁は破れ、倒壊の危険性が生じた。修理の請願が何度も出され、ようやく大正8年(1919)に修理されている。


しかし、保存に向けた本質的な動きは、昭和4年(1929)の国宝保存法を待たなければならなかった。それまで、文化財保護に関する法律は古社寺保存法があるだけで、対象も古社寺にかぎられていた。国宝保存法が施行され、保存対象が城郭などの世俗建築にも広がると、姫路城では昭和6年(1931)1月に天守が、続いて12月には74棟の現存建造物が、旧国宝に指定された。


その後、昭和9年(1934)6月に豪雨の影響で、西の丸の「タの渡櫓」から「ヲの櫓」にかけて石垣もろとも倒壊。翌年にも「ルの櫓」の下の石垣が崩れ、西の丸全体が国の直轄で修復されることになった。


■「米軍が城を標的から外した」はウソ


そして、西の丸の工事を進めながら、文部省保存課によって、大天守以下すべての建造物の破損調査が行われ、国宝指定建造物の詳細な現状記録がつくられた。その結果、姫路城全体が危険な状況にあることがわかった。こうして、いよいよ大修理が実施されることになったのである。


昭和の大修理は、昭和10年(1935)から33年(1958)にかけて、戦争による中断をはさんで実施された。じつは姫路城は、この修理が行われるのがあと一歩遅れれば、崩壊および倒壊してもおかしくないほど、危機にさらされていたという。


だが、その修理の最中に、空襲によって灰燼に帰する危険性があった。


姫路市は昭和20年(1945)6月22日、および7月3日深夜から4日未明にかけ、大規模な空襲に遭った。前者は、主として川西航空機姫路製作所がねらわれたが、後者では、飛来したB29爆撃機が約2時間にわたって姫路市全域に焼夷弾を落とし、総戸数の40%が焼失している。


姫路城は奇跡的に無傷で、市民のあいだでは「米軍が城を標的から外した」という逸話が語られもしたという。しかし、そんなことはなかったようだ。


テニアン島の飛行場から次々と出撃するB29(写真=米国政府/PD US Air Force/Wikimedia Commons

■偶然の連鎖で「日本一」の城が残された


神戸新聞などの報道では、大天守最上階南側の床板上から、窓を突き破って着弾した焼夷弾の不発弾が見つかったという。B29は姫路城天守に対し、なんら容赦をしていなかったことになる。


西の丸からも2つの焼夷弾が見つかった。また、現在、千姫ぼたん園になっている旧三の丸の本城跡にあった旧鷺城中学校は、校舎3棟がすべて焼夷弾攻撃で全焼している。姫路城に大小天守をはじめ多くの建造物が残ったのは、奇跡と呼ぶほかないような偶然が重なった結果であるとしか考えられないのである。


山陽道には姫路城のほかに、豊臣秀吉の五大老の一人、宇喜多秀家が建てた岡山城天守(岡山県岡山市)、毛利輝元が建てた広島城天守(広島県広島市)、そして、天守の完成形といわれ、北側の壁面には鉄板が張られた福山城天守(広島県福山市)が残っていた。いずれも五重天守で、姫路城に負けず劣らず歴史的価値が高い建造物だったが、昭和20年(1945)に、焼夷弾攻撃および原子爆弾によって失われてしまった。


そんななか偶然の連鎖によって、江戸時代から「日本一」と讃えられた城がいまに残されたことの価値を、あらためてかみしめたいと思う。


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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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