なぜテレビやネットは「くだらないニュース」ばかりなのか…「国民が知りたいこと」とのギャップが生まれる理由

2024年5月22日(水)9時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tero Vesalainen

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テレビ局は長年、視聴率の数字を追ってニュース番組を制作してきた。そして現在、ウェブにおいても分析データを基にしたニュースづくりが主流になっている。しかし、ここには大きな落とし穴があるという。アメリカ人ジャーナリスト2人の共著『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』(新潮社)より、一部を紹介する——。
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■注目を集め続けるにはどうすればいいか


ニュースメディアの文化に混乱が進行しているとき、常に話を大きく、センセーショナルにする圧力が高まる。「ストリップとギター」の原則とでも呼べるかもしれない。


もし注目を集めたければ、表通りへ出て裸になり、ストリップショーをすれば良い。おそらくすぐに人だかりができるだろう。問題は、それをどう維持するかだ。あなたの裸をいったん見たら、そこに居続ける理由があるだろうか。どうやれば集まった人が帰らないようにできるか。


違うやり方がある。同じ通りに行き、ギターを弾いたとしよう。最初の日、数人が聞いてくれるかもしれない。翌日、多分少し増えるだろう。あなたのギターがどれほどうまいか、レパートリーがどれほど多く、魅力的かによっては、聴衆が毎日増えるかもしれない。


もしうまければ、人を集め続けるために場所を変え続けたり、曲の繰り返しに飽きた人たちに代わる新たな聴衆を見つけたりする必要はない。逆に同じ場所に居続ける方がメリットがある。


■数字で人気のコンテンツがわかってしまう


これは、新たなテクノロジーによってメディアの数が増え、一つ一つの報道機関としては自分の読者・視聴者が減るのを目の当たりにする時に、実際に報道メディアが直面する選択だ。将来が不透明で、読者・視聴者を急速に増やさない限りこの仕事をいつまで維持できるか分からない時、あなたはどちらの手法を求めるだろうか。


ニュースメディアは常にある程度は、信念や哲学に基づいて事業を進めなければならない。経験に基づく過去のやり方では未来には役立たないかもしれないからだ。そこに出てくるのが、リアルタイム計測ができるという新しくややこしい問題だ。ある種のコンテンツがいかに即時に人を集めるかを見せてくれるのである。


報道機関の中には、かなり堅い伝統のあるところさえも、ストリップを選んだところがあった。新聞のウェブサイトが、トップページの目立つところに若手芸能人の写真のスライドショーを掲げているところを考えてみてほしい。これはニュースが量産品となり過剰供給だとの考えに動かされている面もある。


プルデンシャル証券のジェームズ・M・マーシュ・ジュニアはウォール街のアナリストとして、私たちとテレビについて議論したとき「現在、ニュース番組はだぶついており、需要を供給が優に上回る状態だ」と述べた。ストリップを選ぶ理由はまた、独自報道を多数出すには金がかかる、記者やカメラクルーを張り巡らせ、世界各地に支局を持つ必要があるという事実に動かされているところもある。


■ニュース番組が視聴者を引きつけるテクニック


読者・視聴者を引き込む力についての章(第8章)で述べたように、(ネットワーク)テレビのニュースはその独占をケーブルテレビに崩される中、視聴者を引きつけるために様々なテクニックを用いた。


朝のニュース番組は芸能、娯楽、ライフスタイル、クロスプロモーション(自社メディアで自社系列の製品・サービスを紹介する手法)に著しく重点を置いた。夜のニュース番組はある時期、娯楽や芸能の話題を増やすために市民としての問題に関する報道を減らした。


ただこの動きは2001年9月11日のテロ攻撃後、目に見えて減った。さらに最近、報道内容のバランスに同様の影響を与えたのがトランプ時代とコロナ禍だったが、トランプ後の世界でこれがどうなるか分かるのはまだ先だ。


別のテクニックは、視聴者がどう感じるべきかをテレビニュースの話し手が言うことにより、視聴者とつながりを作ろうとすることだ。報道の中に感情的な用語をちりばめるのだ。「衝撃の」「恐るべき」「悲惨な」などの言葉、「全ての親は聞くべき深刻な警告」などの語句だ。


ある朝を無作為に選び三大ネットワークテレビの番組を調べたところ、番組内の最初の5つの話題の説明だけでこれらの単語を30回使っていた。キャスターによる導入や締めの部分に多かったが、取材に話した人がこれらの単語を使った場面をサウンドバイト(印象的な短い発言紹介)として選んだ場合もあった。


■感情を爆発させたCNN司会者は大出世


感情や、あるいは怒りさえも、露わにすることが個々の記者にはキャリアアップの材料となり、パディ・チャイエフスキーの映画『ネットワーク』に出てくる架空のキャスター、ハワード・ビール——「絶対に許せない、もう我慢ならない」と放送で叫ぶようになってから人気が上がった——が示す感情のように読者・視聴者とのつながりを生み、人間味を示す。


こうした感情の爆発は最初は本心かもしれないが、利用している場合もあろう。CNN司会者アンダーソン・クーパーは2005年のハリケーン・カトリーナの問題をめぐる憤りとその被災者への共感という強烈な感覚をはっきり見せた後に、同局のメインのプライムタイム司会者に登用され、クーパーがニュースに感情的な反応を見せる場面は宣伝に使われた。


コロナ禍の間、彼は同局が全国各地で何度も開いた市民討論会のトップ司会者でもあり、政治家による討論の司会でもあったが、そこでの彼の感情的な在り方は政党色が強いとも受け止められた。


言論界に新しく生まれた情熱を、様々なウォッチャーたちが賞賛した。一方、感情を排して事実を伝えるというジャーナリズムの100年にわたる貢献は時代遅れなのかという疑問も出た。これもまた、私たちが第4章で論じた客観性の問題をめぐって起きた別の動き、あるいは誤解である。


■ジャーナリストは感情を表してもいいのか


トランプ大統領が在任中、報道機関を「人民の敵」、「フェイクニュース」、滅びゆく産業などと攻撃したことで、問題が深刻化した。ジャーナリストはどうやれば、自分たちのことを敵だと説明している人を、感情を排して報道することなどできるのか。存在の根幹を揺るがす難題だ。そして罠にもなり得る。トランプは報道機関に自分を憎悪してほしいのだ。自分が言っている通りだと示せるからだ。


この問題は、ジャーナリストであるという意味の核心を突く。この専門職では、確実に信用してもらうために私的利害は封印すると誓う。そこにおいて感情的な姿勢や憤りはどんなときに適切といえるか。ジャーナリストが人の苦難を目の当たりにして抱く感情も全て脇に置くべきだと主張するのは難しいだろう。感情を表すことが適切な場合とそうでない場合があるとすれば、区別はどこにあるのか。


報道人が最初に問うべきは、ジャーナリズムの取材と報道において人々が必要とするのは何か、ということだ。怒りか。無感情か。内容によるのか。それはどうすれば分かるか。


頭に入れておくべき比喩が二つある。医師と警察だ。もしあなたが外傷を負って病院に行ったとき、診てくれる医師にはどうあってほしいか。感情的になってくれることか、あなたのけがはひどいということで(つまり民主主義への脅威が深刻だということで)。それとも医師にはできる限りプロとして医療者としての姿勢を保ってほしいか。


あるいは、警察官があなたの車を止めたとしよう。あなたは、その警官がパニクって感情的でいてほしいか。それとも冷静で落ち着いていてほしいか。


■ケネディ暗殺に涙するのは自然な反応


区別はどこにあるのか。一つの経験則では、感情を露わにすべきなのは、他のどんな反応も無理をしているように見えるとき——感情を表すのが唯一自然な反応となるときだ。


ニュースキャスターのウォルター・クロンカイトが1963年にジョン・ケネディが暗殺されたときに涙を拭い、その数年後、ロケット打ち上げに畏敬を感じているのを見せたとき、米国人はもっともなことと受け止めた——偽物の振る舞いではないと。


もう一つの経験則は、問題を見つけた瞬間の後、その出来事についてより広く深い背景を知るための情報を探す間は、感情的な振る舞いは出さずにいるべきだということだ。


ジャーナリストは見たものにいったん人間的な反応をしたなら、そこからはそのテーマの答えを探るために心を落ち着かせなければならない。これにはプロフェッショナリズム、懐疑心、そして知的独立心が求められる。


人間らしい感情はニュースがニュースであるための核心だ。しかしひとたびそれを人工的に作ったり、それを自分へ注意を向けるために利用したりすれば、あなたは一線を越え、既に有り余っているものになる。リアリティ・エンターテインメントだ。このとき、感情的な振る舞いはニュースを悪用したベタな受け狙いであり、ニュースへの純粋で人に役立つ反応ではなくなる。


■ウェブの分析データは問題だらけ


ウェブはこれら全てを別の次元に変えたが、報道界の一部で思われているほど革新的なものではない。理論上は、ウェブによってメディアはある一個のコンテンツを何人が読んだか、あるいは見たり聞いたりしたか、ページ内のどこに進んだか、どの程度の時間そのページを見ていたか分かるようになった。


しかしウェブ分析の第一世代は問題だらけで、そのデータをメディアが業務の正確な分析のため使うことはできないものだった。


例えば、計測自体が混乱していた。何を計測するのが正しいのか。ユニーク訪問者数(読者・視聴者の数の全体を示す)か、ページ閲覧数(特定のコンテンツ内容に、いくつの目が向けられたかを示す)か。閲覧時間(ある記事を人々はどれくらい時間をかけて読むかという把握困難な数値)か、閲覧活動時間(人々が一つの記事に活動的に関わっている時間の長さ)か。


読者・視聴者による関わりは、サイトで過ごした時間、すなわち滞在時間で計る方が良いのか。もし、地元以外からサイトを見に来た人は広告主の関心外で、購読者にもならないとしても、そういう地元外の人も大切にすべきか。地元の、サイト愛ある読者・視聴者だけ気にすれば良いのか。


写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

■ページ閲覧数やユニーク訪問者数の“穴”


このような疑問が錯綜するのも、標準となる計測方法がないからだ。コムスコアのデータはニールセンやオムニチュア(現在はアドビの一部)、グーグル・アナリティクスのデータとは大きく異なることがある。


新しいデータによると、そこでページ閲覧数が多くても、人が見ているものとは全く限らず、ボット、つまり訪問者数を多く見せる自動クリックシステムによるものかもしれないという。


例えば、ある月にコムスコアでは「ワシントン・ポスト」のユニーク訪問者数が1700万人、ニールセンでは1000万人だった場合、あるいはある月のヤフーの読者実数に関するこれら2社の計測に3400万人、つまりカナダの人口くらいの差があったら、メディアはそこから何を理解すれば良いのだろうか。


■ニュースの「本当の価値」に比例しない


ページ閲覧数は不正な数値操作を受けやすいし、読者の浅薄な関わり方に親和性がある。見出しに「これら人気子役の現在の外見を、あなたは信じられないでしょう」とうたった箇条書き形式の記事、ユーザーはそれを何回かクリックして苛立ちと自己嫌悪の中で画面を閉じてしまう——そんな閲覧数も、3章にわたり構成された記事でユーザーがSNSでシェアしたり友人にメールで送ったり、後にこのメディアを購読しようという判断に結びついたりするものと価値は同じ、あるいはページ数によってはもっと価値が高いと計測される。


ページ閲覧数はウェブの初期、広告を売る際の何らかの指標にということで設計されたものだ。ジャーナリズムの経済モデルにおいて広告の占める位置が低くなる中、意味も乏しくなってきた。


数値自体に問題が多いこと、ボットによって簡単に数値を操作できることを除いても、ページ閲覧数はページに一時であろうと目をやったことがあるかもしれない人(や機械)の数を推定するものだ。そのページを読者が心の中でどう評価するかとは何ら関係ない。


■報道人たちが分析データを恐れる理由


この後、私たちはウェブ上で人々がニュースと情報にどう関わるか計測する、より良い方法について述べる。その前に、優れたデータであってもそれを解釈するとなると、報道部門内部には文化の壁が分厚く存在することは指摘しておく価値があろう。


報道人の多くは分析を恐れる。社会で今何が問題なのかという、自分たちが行うべき報道判断が、取って代わられるのではないかと心配するのだ。道徳や市民の在り方を巡って人間が行う判断を、機械が代わって行うという古典的な例だ。


最高のジャーナリストの中には、ページ閲覧数やユニーク訪問数にまつわる誤りを感じ取り、それに基づく方針に抵抗してきた人もいるが、それよりましな何かの開発に取り組んだということはまずない。多くの報道人は、ひどい幹部が分析数値を自分たちに対する「攻撃材料」として使うのを恐れた。収入減に直面したメディアは人員を削減し、中には閲覧数を重視し、担当分野のクリック数が不十分なら解雇するというところもあったのだ。


テレビは長年リアルタイムのデータを用いているが、その経験に基づくなら、報道業界がそうしたデータの意味を読み取るため苦心することになるだろうとの懸念にも理由はあった。


■ニュース番組がはまった「数字の呪縛」


テレビの報道局幹部は1分ごとの視聴率を用い、あるニュースのどの場面で他局に移られたかを把握できた。そこで、ニュース番組ではどのニュースも幅広い視聴者を確実につかむようなものに仕立てた。しかしこの戦略は視聴者減少を食い止めるにはほとんど役立たなかった。むしろ加速させたかも知れなかった。


「報道機関は自縄自縛になっている」と説明するのは、NBCはじめメディア向けの読者・視聴者調査をしてきたジョン・キャリーだ。「長年、こうした視聴率の数字を追い、高い数字を取れる題材をやり、そしてそのパターンにはまる」。


その結果、プライムタイムのニュース雑誌型番組は「古い視聴者を重視し、もっと感情的に、もっとセンセーショナルになる」一方で、多数の視聴者に見放される。「ある意味ネットワークテレビ局の人たちもそれは分かっているのだが、どうやってそこから脱出すればいいか分からないのだ」。キャリーはプライムタイムの雑誌型番組がブームだった時期にこう指摘していた。彼は正しかった。


写真=iStock.com/TommL
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■「愚かな視聴者は衝撃映像が好き」という神話


他方、地方テレビ局の報道幹部たちは、視聴者をどう増やすかについて古くからの考えに基づいて動きがちだった。視聴者は相当な愚か者で、こちらから仕掛ける必要があるというのだ。


こうした神話の一つが、番組の冒頭に衝撃的な映像を出せば視聴者をつかめ、見続けさせられるという考えだ。関連してもう一つ、そうした映像に目を向けることになる犯罪や公共安全のニュースは視聴率を取れるが、市民としての課題や、政策や政府についての情報が詰まったニュースでは視聴者が逃げるというものだ。


幹部たちはこうした思い込みが自分なりの視聴率データ解釈で追認されると考える。そしてテレビコンサルタントが作った安価な市場調査——昔ながらの業界の言い伝えを無意識に強調するものだ——によってもだ。しかし、精密な調査をすればこうした昔ながらの考えの多くは否定される。


そのもっとも詳細な取り組みは、何年にもわたる「ジャーナリズムの真髄プロジェクト」がハーバード大学ショレンスタイン・センター、ハワイ大学と協力して行っているものだ。


いくつもの段階に分かれている。個別の報道をテーマで単純分類せず、取材・報道の水準と質で分ける。視聴率は1分ごとには見ず、時間の経過と合わせて検討し、より深い傾向を把握する。そして視聴者が1つの局にどう反応したかを見るのでなく、コンテンツと長い目で見た視聴率との関係を多数の局を貫いて検討し、より精緻な資料を生み出す。


■詳細調査が明らかにした「ニュースの基本」


5年間にわたり150局、2419のニュース番組から3万3000の報道を分析し、判明したのは、どのようにしてそのニュースは取材され、報じられているか——取材した相手の人数、バランス、専門性、視聴者とのつながりや重要性がはっきりしているか、ニュースとしての完成度は高いか——が、テーマが何かよりも2倍重要ということだった。


この発見はデジタル時代にはとりわけ重要だ。情報の消費者が探し求めるものが、ニュース番組ごとではなく個々の報道内容単位になっていく時代なのである。


基本でありながら見逃されることが多いものをこの調査はあぶり出した。市民として考えるべき問題の報道は視聴者の反応が悪いと感じるテレビ局は、反応を取り違えていたのだ。人々は市民としての問題に興味がないことを示しているのではなかった。そうした問題を扱う報道には優れていないものが多すぎるという事実に反応していたのだ。そして、優れていない理由は、制作側が視聴者は興味を持たないだろうと考えたからだった。


■質問によって視聴者の興味は大きく変わる


同調査はこのことを予測し、少し強調するものとなった。(視聴者は興味を持たないだろうという)見通しを持ったがゆえに、実際にもその通りになってしまうという問題は、私たちがピュー・リサーチセンターと協力し、ある実験を行った時に判明した。有名なテレビ市場調査の質問文を、ピュー・リサーチセンターの調査担当者がより客観的になるように変更し、比べてみたのだ。


その質問というのは、政府に関するニュースへの興味を調べるものだった。テレビ市場調査では、州政府や地元役場についての報道をもっと見たいかと単純に聞いていた。そのような報道に大変興味を持つだろうと答えたのは29%にとどまった。


ピュー・リサーチセンターは政府や役所とだけ言う代わりに、それらが解決しようと重点を置く問題を付け加えたところ、数字は劇的に変わった。「地元の学校の成績を上げるため、政府・役所は何ができるかについての報道」に興味があるかを聞かれると、「とても興味がある」が59%に跳ね上がった。


公共の場所が確実にテロから守られ安全であるため政府は何ができるかについての報道に興味があるかを聞かれると、「とても興味がある」の数値はさらに上昇し67%となった。医療保健費削減に関する報道をめぐっても、興味の高さの数字は同様のものが得られた。これらのテーマは全て、学校から医療、公共安全まで、政治と政府に関係することばかりなのである。


■テレビの間違いを繰り返さない「混成指標」


テレビが計測の仕方で犯した間違いをウェブでは避けるなら、どうすればいいか。既に手は考えられつつある。


まず、ジャーナリズムは広告収入を離れ、消費者からの収入(購読、会員制、寄付、その他)に軸足を移しており、ページ閲覧数は他の、デジタルコンテンツへの読者・視聴者のより深い関わりを示す計測法に比べ、重要性が下がるだろう。一つの指標やデータポイントではどのようなものでも弱点がある。


アメリカ・プレス研究所で私たちはそれに対処する考えを編み出し、「混成指標」を用いることにした。これはいくつもの異なる数値を取り込んで混成し、指数にする。ちょうど経済学者が経済の健全性を図るため指数を使うようなものだ。


混成指標はニュースのコンテンツに読者・視聴者がいかに関わりを持ってくれたかをもっと全面的に示せる。何人が記事を読んだか(ページ閲覧数)、どれくらい長く読んだか(閲覧時間)、他人にシェアしたか(シェアデータ)、月何回来訪するか(常連度)、そして購読者になってくれそうか、あるいは既に支払ってくれている顧客か——を合わせたものが一つの指数の中にまとまっている。


さらに、記事を読んだ人がその後購読したか(そのまますぐ、週内に、月内に)、その記事を最近購読者になった人は読んだか(購読との関係性)をこれに付け加えることもできる。


■洗練された指標は報道の味方になる


API(複数のデジタルツールを組み合わせる仕組み)によって純粋にジャーナリズムの観点で他の面も加えられた。例えば、そもそもこの記事を出すのに進取の意識がどの程度必要だったか、これは論説記事かニュース報道か、記事中に引用されたのはどの機関、どんな人か、そして、より深いレベルでみれば何についての報道といえるか、などだ。



ビル・コバッチ、トム・ローゼンスティール、澤康臣(訳)『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』(新潮社)

より良い指標を編み出すことで、ニュースメディアはデジタル空間の人の動きをより良くつかむ情報を取り出せる。2、3カ月に1度訪問するかどうかの、しかも1種類のコンテンツだけが目当てという当てにならないユーザーを割り出す方法も生み出せる。


常連読者を引きつけている様々なコンテンツ——長編記事、市民の立場に立ったニュース、思い切った企画、地元の出来事に関する論説コラムなど——を知ることもできる。何が購読者を生み、どんなコミュニティには接触できていないかを知ることもできる。


クリック目当ての浅薄な釣り記事を増やすよう求めるデータと異なり、より洗練された指標は、購読者を増やすならもっと価値の高いコンテンツを作り出せと報道部門を励ましてくれる。恐ろしく見えるが欠陥のあるこれまでのデータをただ受け入れるのではなく、ビジネスモデルを転換し、自分の頭でデータ分析を行うことは、ジャーナリズムの責務を強めるのであり、脅かすものではない。


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ビル・コバッチ
ジャーナリスト
『ニューヨーク・タイムズ』ワシントン支局長、『アトランタ・ジャーナル・コンスティトゥーション』編集者、ハーバード大学ニーマン・フェローシップ運営代表を歴任。憂慮するジャーナリスト委員会の創設者・議長、「ジャーナリズムの真髄プロジェクト」上級顧問も務めた。米コルビー大学「勇気あるジャーナリズムのためのイライジャ・パリッシュ・ラブジョイ賞」、ミシガン大学ウォレスハウス・ジャーナリストセンター「メンターのためのリチャード・M・クラーマン賞」を受賞。『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』『ワシントン・ポスト』『ニュー・リパブリック』をはじめ米内外の新聞雑誌多数に寄稿する。トム・ローゼンスティールとの共著として『ワープの速度 混合メディア時代の米国』『
インテリジェンス・ジャーナリズム 確かなニュースを見極めるための考え方と実践
』(奥村信幸訳、ミネルヴァ書房)がある。
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トム・ローゼンスティール
ジャーナリスト
アメリカ・プレス研究所専務理事、「ジャーナリズムの真髄プロジェクト」の創設者・理事、憂慮するジャーナリスト委員会副議長を務めた。『ロサンゼルス・タイムズ』メディア批評担当、『ニューズウィーク』議会担当キャップを歴任。『ジャーナリズムの新しい倫理 21世紀に向けた原則』をケリー・マクブライドと共編、『明確に考える ジャーナリズムの判断事例』をエイミー・ミッチェルと共編したほか、著書に『おかしな相棒たち テレビと大統領候補が米政治をどう変えたか』『このニュース番組に一言 テレビニュースの質も視聴率も上げる方法』などがある。『エスクァイア』『ニュー・リパブリック』『ニューヨーク・タイムズ』『コロンビア・ジャーナリズム・レビュー』などに寄稿。MSNBC「ザ・ニュース・ウィズ・ブライアン・ウィリアムズ」のメディア批評も担当したほか、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌でコメント多数。ビル・コバッチとの共著として『ワープの速度 混合メディア時代の米国』『
インテリジェンス・ジャーナリズム 確かなニュースを見極めるための考え方と実践
』(奥村信幸訳、ミネルヴァ書房)がある。
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(ジャーナリスト ビル・コバッチ、ジャーナリスト トム・ローゼンスティール)

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