俺はいいけど、石丸伸二ならどうするかな? …安芸高田市長が「YAZAWA」に学んだ"理想を実現する方法"

2024年5月24日(金)9時15分 プレジデント社

2023年5月31日、石丸伸二 広島県安芸高田市長(安芸高田市役所) - 写真=時事通信フォト

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理想の自分に近づくにはどうすればいいのか。広島県安芸高田市の石丸伸二市長は「自分を客観視することが大切だ。たとえば『俺はいいけどYAZAWAがなんて言うかな?』という名言があるが、矢沢永吉さんにはロックミュージシャンとしての理想像が明確にあり、それを『YAZAWA』と表現しているのだろう」という——。

※本稿は、石丸伸二『覚悟の論理』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。


写真=時事通信フォト
2023年5月31日、石丸伸二 広島県安芸高田市長(安芸高田市役所) - 写真=時事通信フォト

■挑戦に必要なのは、意思と能力の両輪


自分はどうしたいか。何に自分を使うか。その目的が定まったなら、あとは目的達成のための効果的・効率的な手段を探せばいい。そこからは迷わずに合理的な選択をしていくだけです。


厳しい言い方をすれば、「自分ならできる」と道筋を描けないのだとしたら、それはただ根拠なく思い込んでいるだけです。


思い込み自体は悪いことではありませんが、思い込みだけの状態で何かに挑戦しようとしても、周りの人から「本当にできるの?」「こんなリスクもあるよ」と突っ込まれたり、ちょっとでも思う通りにならなかったりすると自分の気持ちが揺らいでしまい、「できないかも」と諦めてしまう可能性が高くなります。


何かに挑戦するときには、意思と能力の両輪が必要です。「こうなりたい」と「こうすればできる」のどちらをも備えて、動き出すのが正しい挑戦だと考えます


戦略とは、自分がどの方向に向かっていくかを示したものです。


私の場合なら「安芸高田市を何とかしたい」という思いで政治の世界を志しました。


政治家としては「自分の理想とする政治家像を実現したい」という戦略を、人口減少、少子・高齢化、そして厳しい財政状況の課題に直面している安芸高田市の市長としては「財政赤字を食い止め、生き残りを」という戦略を立てました。


■状況を読み、「勝てる」道筋を見通す


これに対して私は「私ならできる」という読みがありました。


たとえば選挙。理想の政治家像を実現するにも、当選しなければ始まりません。突然「市長に立候補します」と言って、20年ぶりに帰省した私。それまで地元の選挙活動に加わったこともなく、立候補した段階では後援会すらありませんでしたが、正直に言って「勝てるだろう」と予想していました。


というのも、河井夫妻選挙違反事件ののち、前市長が「託せる人」とした前副市長が立候補したわけですが、当時の議会にいた議員18人全員が前副市長を支持していたのです。議会と前市長・前副市長の間で典型的な「持ちつ持たれつ」の関係があることは当然推測できる状況でした。それに対して、市民がおかしいと思わないわけがない。


そこにこれまでのしがらみとは無縁の私が「新しい政治」を掲げ、政治腐敗の流れを断ち切る存在として現れれば、勝機はある。そう予想できたから、私は会社を辞めたのです。


また、地方都市が抱えている一番の問題が財政難です。その点、私は経済の専門家。前職での15年の経験は、必ず市長としての仕事に生かせるだろうと自信を持っていました。


一方で、万が一うまくいかなくても、代わりの仕事を探すのは難しくないと考えていました。つまり、個人の人生にとって損失は限定されていたのです。さらに言えば、社会においては一時的に失業者が一人増えるだけの現象です。


こうした論理の構築があってはじめて「私ならできる、やるべきだ」と覚悟することができたのです。


■覚悟とは、極めて冷静に決まるもの


覚悟。本来は困難なことや危険なことを予想した上で、それに対応できるような心構えをすることを指す言葉です。


しかし一般的には「意を決する」「やるぞと心に決める」のような精神論で使用されることが多いように思います。


でも「こうすればできる」という拠り所のない決断は、私にとっては覚悟ではなく「無謀」。もしくは「行き当たりばったり」です。


私にとっての覚悟とは、戦略立てて考えれば、おのずと決まっていくもの。リスクとリターンを冷静に分析し、それでもやったほうが得だと判断すること。


燃えたぎる情熱、パッションとはむしろ逆で、極めて醒めた状態でするもの。


覚悟を決めて、えいやっと動き出すのではいけないのです。むしろ落ち着いて論理的に答えを導けば、おのずと覚悟は決まるというのが私の考えです。


■気持ちを大切にするには、理性が必要


ここまで述べてきた通り、私の大元の目的は「こうありたい」という自分の感情に根源があります。安芸高田市を何とかしたい。やるからには自分のなりたい政治家像を実現したい……。


自分に芽生えた感情を軽んじず、願いを叶えていくためには何が必要でしょうか。


それは、逆説的ですが「感情に支配されないための理性」です。


簡単な例で説明します。たとえば私が、大のシュークリーム好きだとしましょう。だからといってシュークリームばかりを無制限に食べすぎてしまうと健康を害す可能性があります。「健康を維持しながら、シュークリームをおいしく食べたい」と思うのなら、どれくらいの頻度で、何個くらいまでなら食べていいのか、と頭で考えていく必要があります。


写真=iStock.com/linyuwei
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/linyuwei

大好きという気持ちを大切にするには、理性が必要です。感情に支配されてしまっては幸せになれません。


ただし言うのは簡単ですが、これを実行するのは思いの外、難しいものです。


往々にして、何でも自分の思い通りになるという状況はありません。時間や使えるお金、体力など、限られた条件下で、私たちは自分の欲望を満たす必要があります。しかし、感情に支配されてしまうと、冷静な優先順位がつけられなくなります。


またしても食べものの例ですが、バイキングに行くとき「絶対にデザートは食べたい」と思ったとします。胃袋には限りがあるのに、目の前の豪華な食事に魅了されるがまま、前菜、メインと食べまくっていては、デザートまで辿り着かなくなります。賢くバイキングを楽しみたいと思うなら、あらかじめ何を食べるかの優先順位をつけるはずです。


人生の選択でも同じことが必要です。「こうなりたい」という目標が定まったら、そこからは徹底的にロジカルに考え、何をやるか、やらないか、優先順位をつけていく。この優先順位が明確であればあるほど、目標を達成できる可能性は高まります。


■自分の「幸せ」が定義できていれば、優先順位がつけられる


こうした考え方をするようになったのは、学生時代に経済学を学んだことが影響しています。


経済学というとお金儲けのための学問というイメージがあるかもしれませんが、経済学の大目的は「幸せになること」。幸せになるために、どのように資源を振り分けるのが最良かと考えるのが経済学です。


写真=iStock.com/shironagasukujira
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shironagasukujira

幸せになりたい。しかし、多くの場合、幸せになるための資源には限りがあります。たとえばひと月に20万円というお金で、もっとも幸せになるためには、何にいくらお金を使うべきでしょうか。


この優先順位をつけるためにまず必要なのは、「幸せ」を明確に定義することです。住環境が充実していると幸せだと思う人は、家賃や家具などにお金を多く使うべきでしょう。家にはこだわりがなく、休みのたびに旅をすることが幸せだと感じる人は、住宅にかけるお金を減らして旅行費の割合を増やすべき。そうしたことを判断し選択していくのが経済学のアプローチです。


この経済学のアプローチは、お金や時間などあらゆるものに応用できます。その場合も大前提として同じことが言えます。


幸せになるためにまずすべきことは、自分の幸せを定義すること。自分にとっての幸せとはどういう状態かをわかっている人は、その状態を目指して具体的に動き出すことができます。


■私の幸福度は10段階のうち「2万」


余談ですが、市長として中学生に向けて話をすることがあります。


そのときも私は「幸せになるためには、まず自分の幸せとは何かを考えなければいけない」と話すのですが、その前段として「今の自分の幸福度はどれくらいか考えてみましょう。10段階でどれくらい幸せですか」と聞きます。だいたい今の中学生は「6」くらいのようです。


そこで私は「私が中学生の頃なら『8』と答えていたでしょう。では今の私の幸福度はどれくらいかというと……『2万』です」と話します。


だいたいの中学生が「10段階と言ったのに2万なんておかしいじゃないか」と納得のいかない表情をしますが。なぜそれほど私の幸福度が跳ね上がっているかというと、これまでの人生において都度、自分の幸せを定義し、それを手に入れるための行動をし、達成してきたからなのです。


■「自分の理想像」を冷静に見つめる


幸せやありたい姿を定義し、それを目指して物事に優先順位をつけ選択していく。そのためには、自分のことを客観的に見つめ、ありたい姿と比較していく必要があります。自分のことをそこまで冷静に見つめるのは、なかなか難しいと考える人もいるでしょう。そういうとき私は、「自分の考える理想の自分」と「今の自分」が対話しているようなイメージで考えることがあります。


たとえば矢沢永吉さんには「俺はいいけどYAZAWAがなんて言うかな?」という名言がありますよね。これは矢沢さんが泊まるホテルについて、手違いで小さな部屋を取ってしまったスタッフが謝罪したことに対する発言のようですが、実際の文脈はさておき、「俺」と「YAZAWA」の人格を分けているところが興味深いです。おそらく矢沢さんにはロックミュージシャンとしての理想像が明確にあり、それを「YAZAWA」と表現されているのでしょう。



石丸伸二『覚悟の論理』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

それと同じように……と言うのはおこがましいですが、自分の理想像を今の自分と切り離してみる。自分の名前をフルネームで呼ぶ機会はなかなかないですから、あえて「石丸伸二ならどうするかな?」といったように考えてみると、少し自分を客観視することができます。


自分を冷静に見つめ、ありたい方向に向かって合理的な選択をしていく。自分の感情を大切にし、幸せになる、そのためにまず必要なのが理性です。


銀行員を辞めて市長に立候補することも、議会を敵に回してもいいから居眠りを指摘することも、一見、思い切った決断のように見えるかもしれません。しかし、私の中では論理的に考え、結論を導いただけだったのです。


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石丸 伸二(いしまる・しんじ)
広島県安芸高田市長
1982年生まれ。広島県安芸高田市吉田町出身。吉田小学校、吉田中学校、広島県立祇園北高等学校を経て、京都大学経済学部を卒業。2006年に三菱UFJ銀行へ入行し、経済を分析・予測する専門家(アナリスト)として勤務。為替アナリストの初代ニューヨーク駐在となり、4年半にわたってアメリカ大陸の主要9カ国25都市で活動。2020年8月に安芸高田市長に就任。
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(広島県安芸高田市長 石丸 伸二)

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