ウクライナ戦争が教える、「核軍縮と核抑止」対立論の誤謬

2023年5月25日(木)6時0分 JBpress


1 はじめに

 被爆地広島においてG7首脳会議が行われ、核軍縮に関するG7首脳広島ビジョンが発出された。

 このビジョンには、「我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている」と記されている。

 このことをもって、この会議では核抑止が肯定され核軍縮が蔑ろにされたと批判的に捉える論評も見られる。

 しかし核軍縮核抑止も、その目的は、戦争において核兵器が使用されたり、威嚇の手段として用いられたりしないようにすることであるのは明らかである。

 それにもかかわらず、この両者が両立しない対立的なものとして論じられるのは、(核に限らず)軍事力による抑止の重要性を説く側にも、これに反発する側にも、抑止に関する十分な認識が不足しているからではないかと思われる。

 特に、抑止が国家安全保障に不可欠だと説く側は、抑止のために十分な量の兵器が必要だという側面だけを強調することが多く、これが誤解を生む原因にもなっている。

 戦争が発生することを未然に防止できるよう抑止力を強化するということは、単に軍事力を増強することと同意義ではない。

 抑止を効果的に働かせるためには、相対的な軍事力の比較だけではなく、そのための条件を整備していくことが不可欠である。

 それは軍縮という考え方と対立するものではなく、むしろ互いに補完し合うものである。

 なぜそう言えるのか。以下その考え方について説明してみたい。


2 抑止の信憑性と安定性のジレンマ

 俗に核の傘と呼ばれる拡大抑止の研究でも名高い米国の国際政治学者ポール・ヒュース氏らも指摘するように、抑止には信憑性(credibility)安定性(stability)のジレンマが存在する。

 抑止の信憑性とは、例えば核攻撃を受けた場合に、核による報復が行われることの確からしさである。

 報復するための能力と意思があることが、明確に相手に認識されなくては、抑止は成り立たない。

 これは懲罰的な報復の例であるが、別の例として、離島への通常戦力での侵略に対して、「もし侵攻したならばこれを撃退して逆に多大な損害を与えるぞ」という態勢をとって抑止するいわゆる拒否的抑止の場合も同じことが言える。

 撃退するための能力を持ち、たとえ小さな離島であっても断固戦力を投入して守り抜くという意思を示しておかない限り、抑止は成立しない。

 抑止力として軍事力を増強していくべきだとの主張は、この信憑性を高めることに注目していると言える。

 しかし抑止には、もう一つの重要な側面である安定性が不可欠である。

 信憑性を高めようと強力な兵器を揃え、また強固な意思を示すために危機に際して即応態勢を取ることは、こちらから先に攻撃するとの疑念を相手国に抱かせることにもなり得る。

 相手国は、いずれ攻撃されるのであれば、じり貧にならぬ今のうちに、先に攻撃を仕掛けた方が有利だと考えるかもしれない。

 このような疑心暗鬼の状況を生まぬよう、双方の間に信頼が成り立っているかどうかの度合いが、抑止の安定性と呼ばれる。

 攻撃したら報復あるいは撃退されると思わせると同時に、自分から攻撃しなければ相手から攻撃されることはないという、安心を抱かせることも大切なのである。

 信憑性を高めるために能力を強化することや、軍事力使用の断固たる意思を示すことは、安定性という面からはマイナスに働くことも多い。

 これが抑止における信憑性と安定性のジレンマである。

 このジレンマを解消するためには、信憑性を高める措置を取る際に、並行して安定性を高める方策を取ることが必要になる。

 冷戦間、米ソ両国がそれぞれ核兵器の増強を図るのと並行して、1972年に調印に至った第1次戦略兵器削減交渉(SALTⅠ)以降、数々の軍備管理条約を結んできたのは、相互の能力面で抑止の安定性を図るためだった。

 また相互の意思確認という面では、同じく冷戦時代の1972年から全欧安全保障協力会議(CSCE)において東・西欧間の信頼強化の取組みが行われた。

 さらに冷戦終結後は世界各国間で、様々な軍事交流などの信頼醸成措置が活発となった。

 これらの軍備管理や信頼醸成のための各種の枠組みは、信憑性と安定性のバランスを取って、抑止を盤石にするために必要不可欠だと考えられてきたのである。

 国家の安全保障を考える場合に、このように抑止の信憑性と安定性の両面を考えることは極めて重要である。

 したがって、抑止力の強化を論じる際に、軍事的能力の増強のみを語るのは片手落ちだと言わざるを得ない。

 軍事の分野であっても安定性の強化策が並行的に講じられなくては、戦争を未然に防止することはできない。


3 ウクライナ情勢からの教訓

 以上述べてきたようなことを考慮した場合、今のウクライナの状況から何を学ぶことができるだろうか。

 ロシアによる侵略によって、ウクライナが現在のような苦境に置かれるに至った経緯を、抑止の信憑性と安定性という観点から分析することは極めて重要である。

 ただしその際、ロシアが大規模な軍事侵攻を行おうとしていたのを、ウクライナ側が抑止できなかったという単純な構図で見るのでは、的を射た分析はできない。

 なぜなら、これまでに明らかになったところ、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が当初狙っていたのは、長期にわたるウクライナとの本格的軍事戦争ではなく、短期間でウクライナの政権転覆を図るいわゆるグレーゾーンでのハイブリッド戦争だったと思われるからである。

 したがって、結果として今の本格的戦争状態に至るまでの間で、まずロシア側の当初の狙いであるハイブリッド戦争をなぜ抑止できなかったのか、そして次に、ハイブリッド戦争に失敗したロシアが本格的軍事戦争に移行することをなぜ抑止できなかったのか、2段階に分けて考える必要がある。

 ところが、この1段階目にあたる「グレーゾーンにおいて軍事と非軍事の手段を併用して行われるハイブリッド戦争をどうすれば抑止できるか」については、理論的にいまだ十分な解明が行われていないのが実情である。

(この問題に関心がある方は、拙稿「ハイブリッド脅威をどう抑止するか」を参照していただきたい)

 そこで以下では、米英等の支援を受けたウクライナ側の適切な対応によってハイブリッド戦争に失敗してキーウ正面から撤退したロシアが、そこで諦めずに2022年4月以降、本格的軍事戦争に移行して侵略を継続することを、なぜ抑止できなかったのかについて、教訓になる事項を考えてみたい。

 まず核のレベルにおいては、安定と不安定のパラドックスということが言われている。

 米国とロシアがそれぞれ大規模な戦略核兵器を持ち、互いに相手国を核攻撃できる状況の中では、両国が大規模な戦争状態に陥ることは双方の破滅につながるので、どちらも直接対決は避けようとする。

 しかし、そのような戦略的な安定の下でも、あるいは安定状態があるからこそ、直接対決に至らない限りにおいて、局所的な紛争は起こるし、むしろ起こりやすいとも言える。

 これが安定と不安定のパラドックスである。

 今、米国をはじめとするNATO(北大西洋条約機構)加盟国が、ウクライナへのロシアの侵略に直接介入しないのは、この安定を崩さないためである。

 この状況は核戦争を抑止すると同時に、双方がウクライナ国外に戦線を拡大することも抑止する役割を果たしている。

 この状況によって、ロシア側とウクライナ・NATO側の双方が、戦略的な次元では相互に抑止されているのである。

 ただし、この態勢でロシアによる核兵器の使用を抑止し続けることができるかどうかには、不安が残る。

 ロシアの核使用に対して、米国がロシアの都市等に報復するという信憑性はかなり低い。

 平時に言われていた報復戦力による懲罰的な核抑止は、世界戦略レベルでは引き続き有効であっても、局地の戦術レベルでは必ずしも有効ではない。

 ロシアが核兵器を使っても、何ら得るものはなく、むしろ失うものが多いという状況を作って、拒否的な抑止力を働かせることが必要となる。

 いったん危機になってしまった後では、核による懲罰的抑止力は十分機能せず、軍事手段に政治・経済手段なども加えた総合的な拒否的抑止力が重要になってくると言えよう。

 次に通常戦力の面では、ロシアがハイブリッド戦争に失敗した後に、本格的軍事戦争として通常戦力を大規模に使用するのを、なぜ抑止できなかったのかが問題となる。

 抑止の信憑性という面では、ウクライナの防衛能力とNATO加盟国が断固ウクライナを支援するという覚悟について、ロシア側に過小評価させてしまったことが問題であった。

 米英などの西側各国は、ウクライナに対してハイブリッド戦争への抵抗力という面で多大の支援を行っており、それが功を奏してロシアのハイブリッド脅威にうまく対応することはできた。

 しかし、その中でロシアがこれだけ大規模な軍事力を、実際に国境を越えて威嚇手段として利用することまでは想定していなかった。

 ロシア側も、当初はハイブリッド戦争における威嚇手段としてであっても、実際に国境を越えて軍隊を侵入させてしまった以上、状況が不利だからと言ってすぐに撤退させては、将来にわたって軍事的威嚇の効果をなくしてしまう恐れがあり、そのまま本格的軍事戦争に突き進むしかなかったのであろう。

 このような事態を抑止するためには、グレーゾーンの事態において、大規模な軍事力を威嚇の手段として使おうとした相手に対し、「武力による威嚇」は許さないというメッセージを明確に発し、すみやかに政治・経済等幅広い分野で対抗手段を取るべきであった。

 現代における抑止の信憑性を確保するためには、軍事力のみならず、政治・経済も含めた多様な対応策を準備し、武力による威嚇の段階から断固とした対応を取るというメッセージを的確に発信することが必要となる。

 またそのためには、軍事機密としての情報収集とは別に、広く公開することを前提とした国際的な監視体制を構築し、各国の軍事活動の透明化を図ることも有用であろう。

 次に、抑止の安定性という面では、今次ロシアによるウクライナ侵略の経緯から何を学ぶべきであろうか。

 NATOの東方拡大が、ロシアにとっての安全保障上の脅威となり、戦略的安定が損なわれたことが背景にあると指摘する論調もある。

 しかし、NATOがロシアに対して軍事的な攻撃をする意図はないということはロシア側も明確に認識していたはずである。

 実際、NATOメンバーであるバルト3国との国境で、ロシアが強固な防衛態勢を取っていたわけではない。

 それでもウクライナについては強引に政権転覆を図って親ロ派政権の樹立を目指したのは、軍事的脅威認識に基づくものというよりも、民主国家としてのウクライナの成功が、ロシア国内でプーチン体制を脅かすものだと映ったからだと考えられる。

 プーチン大統領は、かねて旧ソ連諸国のカラー革命や中東のアラブの春を米国による陰謀であると捉えて、ロシア周辺での同様の動きに神経を尖らせてきた。

 これは、民主的な香港の発展が共産党支配の脅威になると捉えて徹底的な弾圧を行った習近平国家主席の発想と相通ずるところがある。

 今後、台湾問題を考えていく上でも重要なポイントであろう。

 安全保障をこのような視点から見るプーチン大統領や習近平国家主席に対して、抑止の安定性を確保するためには、軍事的な信頼醸成措置等だけでは対応できない。

 もちろん軍備管理や信頼醸成などを通じて安定性を確保することは必要であるが、その前提として民主化が決して米国による陰謀などではなく、相互依存が増大する世界の中で諸国民が共存していく上で利益をもたらすということを、ロシアや中国の国民にも訴えていく必要がある。

 プーチン氏や習近平氏という個人の考えを変えることは困難であっても、IT技術が加速度的に進化するとともに、人の移動もますます活発化していく現代において、国民間の意思疎通に壁を作ることは急速に困難になっていくであろう。


4 日本が学ぶべきこと

 以上みてきたように、核軍縮核抑止があたかも対立概念であるかのような議論は、抑止の本質を理解していないが故に起きる誤解である。

  抑止力の強化軍事力の強化ではないし、軍事ではなく外交でという二元論も、本質を見誤っている。

 本当に抑止力を強化するためには、能力と意図の両面で信憑性を高めるのと並行して、双方が軍事力に訴えないための安定性を確保する努力をしていかなくてはならない。

 そしてウクライナ情勢の教訓からも分かる通り、軍事と非軍事がますます緊密化する現代においては、信憑性安定性も軍事的措置だけで達成できるものではなく、政治(外交)や経済的手段も含めて考えていく必要がある。

 そのような総合的な対策を講じて国家安全保障上の抑止力を高めていくことは、その中で軍事力が果たしている役割を減じていくことにも繋がり、それは軍縮という理念と矛盾するものではない。

 日本は、核軍縮核抑止か、軍事か外交か、という不毛な議論から一日も早く決別し、国家安全保障のため、抑止の本質を踏まえた真剣な議論を始めていくべき時を迎えている。

筆者:松村 五郎

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