TSMC日本進出の背景、次世代半導体の量産を目指すラピダスの課題とは?
2024年8月9日(金)4時0分 JBpress
スマホやパソコン、家電、自動車など、生活に密着した機器の製造に不可欠な半導体。生成AI時代の到来でその重要性は増しており、米中覇権争いが熾烈(しれつ)を極める中、経済安全保障における最も重要な戦略物質と目されている。一方で、製品はメモリ、CPU(MPU)、センサーなど多種多様、多数のメーカーが製造工程ごとに世界中に点在しており、産業構造はあまり知られていないのが実態だろう。そこで本連載では、日本電気で一貫して半導体事業に携わった菊地正典氏の著書『教養としての「半導体」』(菊地正典著/日本実業出版社)から、内容の一部を抜粋・再編集。
第5回は、巻き返しを目論む日本の半導体産業の今後と課題を読み解く。
<連載ラインアップ>
■第1回 インテル、サムスン、キオクシアだけでない、約530兆円の「半導体巨大市場」を構成しているのはどのような企業か?
■第2回 ソニー、キオクシア、三菱電機、東芝…日本勢はどんな製品で世界と戦っているのか?
■第3回 先端露光装置の分野で日系企業を追い抜いた、覚えておくべきオランダのメーカーとは?
■第4回 世界が注目するエヌビディアとTSMCは、なぜライバル関係にないのか?
■第5回 TSMC日本進出の背景、次世代半導体の量産を目指すラピダスの課題とは?(本稿)
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新たな動きと日本半導体産業のゆくえ
■ やはり、それでも「TSMC進出をチャンス!」として捉えよ
「TSMCが日本に新工場をつくる」というニュースの一報とその内容に接したとき、筆者の偽らざる第一印象は、「えっ! 今さらなぜ?」でした。
なぜなら最先端分野では、すでに5ナノメートル(ナノメートル=10-9ⅿ)だ、3ナノだ、2ナノだと騒がれているときに、2822ナノレベルのノード、つまり10年以上前に開発されたミドルレンジのレガシープロセスの工場と知ったからです。
TSMCは、利益率が高く、また中国との地政学的関係で有事に備え、半導体生産における台湾の立ち位置を維持・強化し、他社の追随を許すまいとする姿勢と同時にビジネスとしてはミドルレンジ半導体を必要とする既存ユーザーを無視するわけにもいかず…しかし、今さら古いプロセスの工場を新たにつくることも躊躇するという事情を抱えていたことは明らかです。
すなわち、TSMCとしては、今後膨大な投資が見込まれる2ナノ以降のハイエンド・プロセス開発と先端ロジック生産にリソースを集中したいと考えるのは当然でしょう。そのような状況下で、日本の国の支援と日本国内メーカーの参加のもと、本来必要な投資の半分で工場を新設できるというのは決して悪い話ではなかったでしょう。まして日本政府の熱い要望と期待を受け、アメリカの後押し(圧力?)もあったかもしれません。
それでも、TSMCなどの事情はさておき、半導体関係者の多くにとって思いもしなかった一石が投じられたことは確かで、その意味で筆者は「喜ぶべきこと」と考えるに至りました。
TSMCは第1工場と同じ場所に、さらにトヨタも新たな出資に加わり、第2工場を2024年から建設する(総投資額約2兆円に対し日本政府が7300億円を補助)ことが発表されました。TSMCの日本への新工場進出に関しては、雇用の拡大、税収の増加などのメリット以上に、日本の半導体関係者が学ぶべきところは学び、利用すべきところは利用しながらも、将来の日本半導体産業の隆盛に繋がるような長期ビジョンに基づいた戦略と対応を始めるためのカンフル剤となってくれることを願わずにはいられません。
■ラピダス——ファウンドリーのライバルに勝算はあるのか?
ラピダスのIIM-1ラインでは短期間での製品仕上げ(TAT:turn-around-time)を狙って、以前、トレセンティテクノロジーズで構想されていた全枚葉式Q-TATライン(Quick TATの略)を踏襲するのでしょうか。もしそうであれば、通常のバッチ式+枚葉式のラインとのTAT、コスト、処理能力、変更に対するフレキシビリティー、緊急事態における回復力や復元力(レジリエンス)などを総合的に示してほしいと思います。
ラインが順調に稼働しているときのTATを優先するあまり、他の要素がおろそかになる心配はないでしょうか。また、ある程度コストを度外視した試作レベルではOKであっても、ファウンドリービジネスに展開する場合、TSMCやサムスン、さらにはインテルなどに対して競争力を保てるかどうかも大きな懸念材料です。また青函トンネルはクルマが通れず、薬液などの運搬ができないことから、船による輸送に頼らざるを得ず、コスト面などでも然るべき対応が求められるでしょう。
■ ラピダス——ASMLレベルの露光技術を操作できるか?
技術レベルで見ると、課題の一つとして露光技術があげられます。具体的にいうと、2ナノメートル以降のノード対応に必須の露光技術として、オランダのASMLが完全に独占しているEUVや高NA-EUVの技術を短期間でマスターし、2025年のライン立ち上げまでに使いこなせるようになるのだろうか、という点が懸念されます。
2ナノのノード先端ロジックの量産立ち上げに先行しているTSMCやサムスンでさえ、現状ではてこずっている模様で、彼らでさえ生産開始時期を2024年から1年ないし2年、先送りにするという情報も流れています。
最近、「ASMLが北海道に技術支援拠点を設け、ラピダス支援に乗り出す」とのニュースもあり、もしそれが本当であれば心強い限りですが、EUV露光装置を生産現場で安定的に稼働させるには、技術陣のみならず高いスキルをもったオペレータ、さらに優れた管理体制が求められます。そのような人材の育成・確保の課題をどう乗り切るか? 大きな課題です。
■ ラピダス——2ナノの先を狙って虎視眈々のアメリカ、ヨーロッパ
2ナノ・ノード以降の先端ロジックICの開発にあたって、ラピダスがIBMから提供を受けるとされるキーテクノロジーとしての新たなトランジスタについては、残念ながら詳細が明らかではありません。しかし、常識的に考えると、IBMが2021年5月に発表した線幅2ナノの「ナノシート技術≒GAA」であろうと考えられます。
ところで、トランジスタの発展形として、すでに量産化されている最先端の構造はFINFET(フィンフェット)ですが、次の候補として有力視されているのはすでに述べてきたGAA(Gate All Around)、さらにはCFET(Complementary FET:シーフェット)であることは、多くの関係者が認めるところです。
IBMのナノシートトランジスタは、いわばGAAの別名です。GAAに比べて特に変わった点はないと考えられます。したがって、当然ながら2ナノ以降の技術開発を進めているTSMCやサムスン、さらにインテルも基本的には同様の考えをしているはずです。
新構造トランジスタの試作のみならず、「量産に向けての開発レベル」という意味では、むしろTSMCやサムスンのほうが間違いなく先行していると考えられます。
これらの状況を考えると、たとえラピダスがIBMの技術導入に成功して2025年からの試作、それに続く2027年からのファウンドリービジネス(大量生産)にこぎつけたとしても、はたしてその時点でTSMCやサムスンに対し優位性を保てるか、あるいは同等レベルで競合できるか。それが大きな課題になるでしょう。
今回のラピダスの話は、IBMにとっては非常に好都合なケースと考えられます。なぜなら生産ラインをもたないIBMにとっては、自分たちが開発した技術を他の会社が引き取り、それを生産ラインに載せてくれるなら、技術的プライドも満足させられるし、ライセンス料を受け取ることもできます。ビジネス的には成功となるからです。まして、技術移転に際し、ニューヨーク州アルバニー研究所などでラピダスのエンジニアを教育・訓練するための費用も、日本政府の補助金が利用できるからです。
IBMだけでなく、アメリカ政府にとっても好都合でしょう。アメリカが半導体生産の国内回帰を図る一環として、インテルの存在があります。現在、アメリカではTSMCやサムスンの先端ファブ(工場設備)のアメリカ国内への誘致とならんで、最もテコ入れすべきはインテルが最先端ロジック半導体の巨大サプライヤーとしてのファウンドリービジネスを確立することです(IFS:Intel Foundry Services構想)。そのためには、競争相手のTSMCやサムスンと対抗しなければならず、その際の保険として、IBMの指導によってラピダスが確立すべき2ナノ以降のテクノロジーが参考になると考えられるからです。
また、ヨーロッパのIMECは、少なくともアイデアレベルでは1ナノ・ノードのトランジスタも提案していて(CFET)、世界で最も進んでいるといわれますが、ラピダスが2ナノの次の技術に挑戦する際には、自分たちの出番が回ってくると読んでいることでしょう。関係者はこのような事情もありうることを念頭に置いておくべきだと思うのです。
<連載ラインアップ>
■第1回 インテル、サムスン、キオクシアだけでない、約530兆円の「半導体巨大市場」を構成しているのはどのような企業か?
■第2回 ソニー、キオクシア、三菱電機、東芝…日本勢はどんな製品で世界と戦っているのか?
■第3回 先端露光装置の分野で日系企業を追い抜いた、覚えておくべきオランダのメーカーとは?
■第4回 世界が注目するエヌビディアとTSMCは、なぜライバル関係にないのか?
■第5回 TSMC日本進出の背景、次世代半導体の量産を目指すラピダスの課題とは?(本稿)
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筆者:菊地 正典