ベル研究所、ヤマハが導入するアーティスティック・インターベンションとは?

2023年11月9日(木)4時0分 JBpress

 GAFAMをはじめとする欧米企業が、今、盛んに現代アートのアーティストと協業している。イノベーション創出の起爆剤となっているようだが、その背景にはどのような秘密があるのか。当連載は、アーティストの作品制作時の思考をビジネスに応用する手法を解説した『「アート思考」の技術 イノベーション創出を実現する』(長谷川一英著/同文舘出版)より、一部を抜粋・再編集してお届けする。アートとビジネスは無縁と思っている方にこそ、ぜひ本編を読んでいただきたい。
 第5回目は、米国のベル研究所とヤマハの新製品開発の事例を紹介。組織にアーティストを迎え、ともにプロジェクトに取り組むことで生まれる思考の飛躍や組織変革へのインパクトなどに迫る。

<連載ラインアップ>
■第1回 GAFAMが熱視線を送る「アーティスティック・インターベンション」とは何か?
■第2回 仏ビジネススクールで誕生したアートとビジネスを融合する方法とは?
■第3回 チキンラーメンとウォークマン誕生に見るイノベーション創出の秘訣
■第4回 グーグル、3Dプリンター、SNS、アメリカ発のイノベーションの威力とは
■第5回 ベル研究所、ヤマハが導入するアーティスティック・インターベンションとは?(本稿)

<著者フォロー機能のご案内>
●無料会員に登録すれば、本記事の下部にある著者プロフィール欄から著者フォローできます。
●フォローした著者の記事は、マイページから簡単に確認できるようになります。
●会員登録(無料)はこちらから


アーティストと企業の協業が変革を生む「アーティスティック・インターベンション」

 第3章では、ビジネスパーソン一人ひとりがアーティストの思考を体験して、革新的なコンセプトを創るワークを行なっていただきました。実践してみて、いかがだったでしょうか。

 アーティストの思考によりイノベーションを起こす方法として、もうひとつ行なわれていることがあります。組織のプロジェクトにアーティストを迎えて、ともにプロジェクトに取り組むことで組織全体として思考の飛躍を促し、新規事業を開発したり、組織を変革したりする「アーティスティック・インターベンション」です。

 この言葉は、WZBベルリン社会科学センターのアリアン・ベルトイン・アンタル(Ariane Berthoin Antal)によって提唱されました。アーティストと協業することで、企業組織に根付いたものの見方や常識に、干渉や介入(インターベンション)が起こることに由来します。

「アーティスティック・インターベンション」の議論は、2010年以降に高まってきました。その背景には、多くの企業が「デザイン思考」を取り入れてきたなかで、企業組織に根付いたものの見方や常識を根本から覆すという目的に適しているのか、疑問が出てきたためといわれています(※29)

※29 八重樫文、後藤智「アーティスティック・インターベンション研究に関する現状と課題の検討」『立命館経営学』第53巻 第6号 p.41-59(2015)
 第1章での「アート思考」の説明でも示しましたが、アーティストは、自分の関心・興味を起点にリサーチを重ね、根本から考えることで、革新的なコンセプトを創っています。アーティストが企業などの組織に入ると、その企業の人たちには当たり前のことにも疑問を呈することで、組織変革を引き起こす可能性があります。また、アーティストの介入によって生まれた革新的なコンセプトがイノベーション創出につながると期待できます。

 アーティスティック・インターベンションは欧米で盛んに行なわれています。すべてのケースで画期的な成果が出ているわけではないようですが、ここでは、成果が得られたケースを中心に紹介します。また、私が、令和2年度文化庁文化戦略推進事業として実施した、コニカミノルタ株式会社の事例も紹介します。

 これらの事例から、アーティスティク・インターベンションを成功させるために必要となる考え方についてもまとめています。イノベーション創出や企業変革を目指している経営企画や新規事業部などの皆さんには、このような試みもあることに気づいていただければと思います。


アーティスティック・インターベンションを生み出したベル研究所

 アーティストが企業組織の中に入って、イノベーティブな活動を行なった初期の事例は、1925年、米国ニュージャージー州にAT&Tが設立したベル研究所にあります。ベル研究所は設立以来、最先端の技術開発を行なっており、代表的なものに電波望遠鏡、トランジスタ、レーザー、情報理論、UNIXオペレーティングシステム、C言語などがあります。このベル研究所で、1931年から1932年にかけて、「音の魔術師」の異名をもつ指揮者レオポルド・ストコフスキー(Leopold Antoni Stanislaw Boleslawowioz Stokowski)とともに録音技術の実験を行ない、世界初のステレオ録音を実現したという記録が残っています(※30)

※30 InSight「Engineering and Pop Culture: Leopold Stokowski and Bell Labs, a Sound Collaboration」Sheldon Hochheiser

 1950〜1960年代には、アーティストがベル研究所に滞在するようになります。1968年にベル研究所を訪れたアーティストのリリアン・F・シュワルツ(Lillian F. Schwartz)はエンジニアと協力し、コンピュータアニメーション映画を制作しました(※)。この時期にコンピュータグラフィックス、コンピュータサウンドなども開発されています。

※参照 Computer History Museum「LILLIAN F. SCHWARTZ」

 1960年代半ば、ベル研究所の2人のエンジニアと著名なアーティストたち、ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Raushenberg)、ジョン・ケージ(John Milton Cage Jr.)、ロバート・ホイットマン(Robert Whitman)らが協力して芸術と工学の実験を行なうようになりました。1966年には「九つの夕べ—演劇とエンジニアリング」というイベントを開催し、これを機に、「E.A.T. (Experiments in Art and Technology)」が結成されました。

 この目的は、テクノロジーを通じて芸術活動を支援すること、芸術生産を通じて科学技術のもつ本来的な性質や方向性を検証し、従来の科学的なシステムの批判・脱領域化を図るというものでした。E.A.T. の活動は1980年代まで続き、テクノロジーを芸術と融合させようとするアーティストたちに影響を与えてきました。1940年代から1960年代にかけて、ベル研究所で発明された技術や理論は、実用化まで時間がかかるものではありましたが、現在のコンピュータや通信技術すべての基盤となる壮大なものでした。1970年代になると、ITベンチャーがシリコンバレーを中心に誕生してきますが、これらのベンチャーをはじめ、多くの企業が、ベル研究所の発明による基盤技術を活用して製品やサービスを開発しました。

 1990年代に、AT&Tは、ベル研究所を含む研究部門をルーセント・テクノロジー社として独立させ、2006年にはアルカテル社と合併、基礎部門を廃止し、収益に結びつきやすい分野に特化するようになってしまいました。2015年に、ノキア社がアルカテル・ルーセント社を買収し、現在、ベル研究所はノキア社の研究所となっています。そしてE.A.T. プログラムが再開され、世界中のアーティストと長期的、短期的なコラボレーションを多数行なっています。

 その目的は、基本的な話し言葉や書き言葉を超えた高次のコミュニケーションを可能にするという非常にイノベーティブなもので、これにより人/人種/文化/宗教の間に存在する障壁を取り除くことを目指しています。1960年代に起きたような、アートとテクノロジーが融合する壮大なビジョンが、今こそ必要だと考えているのではないでしょうか。

 ベル研究所に滞在しているアーティストたちには、スタジオスペース、科学者やテクノロジーへのアクセスが提供されます。アーティストは、関心があるプロジェクトのメンバーとなって会議に参加できます。

※参照 
Nokia“ Bell Labs”
artscape ”Artwords” 
ジョン・ガートナー『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』文藝春秋

■アーティスティック・インターベンションの広がり

 現在、欧米では、このようなアーティスティック・インターベンションが多数行なわれています。マイクロソフト社では、2012年から「アーティスト・イン・レジデンスプログラム」を行なっており、企業内の文化に影響を与えるようなプログラムを設計しているといいます。芸術と最先端の科学研究を融合させて、科学技術への理解と対話を促進することを目的としています。コラボレーションの内容、結果、制作されたプロトタイプなどがマイクロソフト社のホームページに掲載されています(※31)

※31 Microsoft “Artist in Residence” 


事例① ヤマハ「T E N O R I - O N」——感覚的に演奏できる楽器

 2007年に発売された電子楽器「TENORI-ON」は、ヤマハ株式会社とメディアアーティストの岩井俊雄氏(1962-)とのコラボレーションによって開発されました。25×25センチメートルのアルミフレームの中に並んだ256個のLEDボタンを自由に押すだけで、さまざまな音楽を演奏/記録することができる次世代音楽インターフェイスです(現在は生産終了)。

 ヤマハ(当時)の西堀佑氏(1978-)は、「ネットワークを使うことで、音楽はどのような新しい面白みをもつのか」という研究をしていました。そして、作成したアプリケーションを岩井氏に見せに行ったことから交流が始まります。岩井氏は、作曲のできるソフトウェア「テノリオン」を作っていましたが、実際に手に収まり、ポータブルで楽しめる新しい楽器「TENORI-ON」を作ろうということりました。そして2003年の秋、楽器「TENORI-ON」の1次プロトタイプが完成しました。

※参照
ASCII「6年間の開発魂! 楽器NG でも作曲家にさせるヤマハ『TENORI-ON』」
電通 美術回廊編 『アート・イン・ビジネス』有斐閣(2019)

 岩井氏がソフトウェアを、ヤマハがハードウェアの開発を担当しました。デザインの検討も行なった2次プロトタイプができた段階で、ヤマハのソフトウェア開発部隊が参画し、商品化が加速します。岩井氏が感覚で、音や光がこんなスピードで広がると気持ちがいいと提案しました。感覚で作ったものなので仕様がありません。ヤマハの開発部隊が、岩井氏の感覚を数値化して、仕様を作っていきました。感覚を数値化するのは大変な作業だと思いますが、このような工程をたどることで、オリジナルな電子楽器を創ることができたのです。

「TENORI-ON」は、音が鳴るとともにボタンが光るので、音の広がりを可視化できるのが大きな特徴です。そのため、プロのミュージシャンたちも「光で演奏を見せられる楽器」として支持してくれて、コンサートなどで使われました。通常、楽器は弾けるようになるまで、かなり練習をしなければなりませんが、「TENORI-ON」は、楽器を弾く技術や素養は全く必要なく、自由に作曲できるので、楽器に縁のなかった人にも楽しんでもらうことができます。

 このプロジェクトの特徴は、アーティストのアイデアを全面的に受け入れて、企業は、自分がもつ技術で製品化を推進したところだと思います。飛躍したコンセプトはアーティストから出てきて、それを実現させるのは企業側という役割をお互いに理解できていたことを感じさせます。

 6年というかなり長い開発期間でしたが、途中で打ち切りにすることなく製品化までこぎつけました。これまでにない楽器、誰もが作曲を楽しめる楽器、演奏を可視化できる楽器を創りたいという意志をアーティストと企業とで共有できていたことで、製品化まで到達できたのだと思います。

<連載ラインアップ>
■第1回 GAFAMが熱視線を送る「アーティスティック・インターベンション」とは何か?
■第2回 仏ビジネススクールで誕生したアートとビジネスを融合する方法とは?
■第3回 チキンラーメンとウォークマン誕生に見るイノベーション創出の秘訣
■第4回 グーグル、3Dプリンター、SNS、アメリカ発のイノベーションの威力とは
■第5回 ベル研究所、ヤマハが導入するアーティスティック・インターベンションとは?(本稿)

<著者フォロー機能のご案内>
●無料会員に登録すれば、本記事の下部にある著者プロフィール欄から著者フォローできます。
●フォローした著者の記事は、マイページから簡単に確認できるようになります。
●会員登録(無料)はこちらから

筆者:長谷川 一英

JBpress

「ヤマハ」をもっと詳しく

「ヤマハ」のニュース

「ヤマハ」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ