絵本動画をエンターテインメントの一つに。スマートフォンアプリ「うごく音えほん」開発ストーリー

2023年12月13日(水)11時40分 PR TIMES STORY

YUKOGARDENは夫婦2人だけで設立した会社です。起業の時の年齢はどちらもシニアと呼ばれる世代になってからでした。代表を務める私、神崎ゆう子はちょうど昭和から平成へと元号が移った時にNHKの「おかあさんといっしょ」のうたのおねえさんでした。一定の時期ごとに日本に一人しか存在しない立場になることが私の最初の就職体験でした。そしてその時から30年以上の時を経て、今度は思ってもみなかった株式会社の代表という肩書きを持つことになりました。これも職に就く、ということなのでしょうか。

最初の就職は憧れを形にできるチャンスが突然訪れて、あれよあれよという間にことが進み、経験を積むうちにジタバタ足掻きながらもいつの間にか自分なりのうたのおねえさん像は作れたかも、という感覚はありました。でも、それは求められることに応えていくという仕事の仕方であったなと、今では振り返っています。しかし今回の起業においては、明確に私の果たすべき役割と時代のニーズを十分に意識して行動を起こしています。今だから、私だからできることを。この年齢になったからこそできることを。

(神崎)ゆう子の庭に来て遊びながら育っていってほしい、教育とエンターテイメントの架け橋になりたい、という理念のもと起ち上げた会社にYUKOGARDENという名を付けました。昭和から平成、そして令和という時代をつないで、生まれてきたこの会社のここまでのSTORYをお伝えします。

「ゆうこせんせいといっしょ!」を始めたきっかけ

現代は大きな変革の時を迎えようとしています。もしかすると、私たちが積み上げてきたつもりの経験や歴史とはまったく違うストーリーが始まろうとしているのかもしれません。そんな時代を生きてゆくことになる、私から見れば「孫」にあたる世代の子どもたちへ向けて、自分が伝えられることは何だろうか。自分の子供たちが巣立って行った時に私が考えていたのはそのことばかりでした。

折しもコロナ禍で、子どもたちの暮らしも大きく変わり始めていました。私の高校時代の同級生が幼稚園の園長に就いていて、登園が停止されて通うはずだった園で遊ぶこともないまま年次だけ上がっていく子供達の生活を憂いており、なにかできることはないかと考えました。その上で、配信で幼稚園通信のようなプログラムを作って家庭で見てもらいたいので、力を貸して欲しいと依頼されました。私も同じように心を痛めていたので一も二もなく賛同して「ゆうこせんせいといっしょ!」という名前での番組(動画)作りがスタートしました。

◾️「ゆうこせんせいといっしょ!」初回の撮影風景

内容としては、その園の理事長が音楽家でもありオリジナル曲をいくつも作曲していて、もちろん園児たちと歌う曲もたくさんありました。ですので、まずその理事長のピアノで私が歌うパートを中心にしました。次に私が若い先生から手遊びを教えてもらうコーナー、そして私が絵本を朗読するコーナーで構成することにし、時間は子どもたちが集中して見ていられる15分ほどにしました。場所は園内の入園式などに使うホールや子どもたちがいつも遊ぶ遊戯室、図書室を中心に使い、飾り付けや背景、小道具までを先生方の手作りにしようとアイディアは広がりました。

制作方法も身内だけでスタッフが集まりそうでした。園長関係でカメラマンがいて、私の夫がテレビ番組の音響効果をしていたこともあって、撮影以降の編集から動画にするまでをカバーできそうだったのです。そのため、思ったことをダイレクトに伝えられるし、現場での小回りも効きそうな気がしました。

◾️はじめのプランでは私が図書室で絵本を朗読する、というコーナーでした

それから内容の構成を練るうちに、私は絵本の朗読のコーナーについて、少し試してみたいことがありました。それは夫が担当していた番組の中に、NHKのEテレで放送されている『てれび絵本』という番組があります。あのようなイメージで絵本の絵の中のキャラクターや背景がゆっくり動く映像に、私がナレーションをつける内容の映像は作れないものか、夫に相談しました。彼はもともと映像の編集も好きで趣味的にやっていましたが、話をすると大変興味を持ってくれました。映像のイメージはてれび絵本で見ていたのでよくわかっており、自分だったらこうするのにな、と番組に音響効果として関わっている時から思っていたそうです。その念願を思い切りぶつけてもらうことにしました。

子どもたちの通っていた、そして遊ぶはずだった園庭やホールで私が歌い、遊戯室で先生と手遊びをし、そして図書室にいる私のガイドから絵本の動画がスタートする「番組」は、手作り感満載ながらもプロの手も加わった内容の濃い15分になったな、という実感がありました。

配信が始まると、それは大変好評に迎えられたと聞きました。アンケートを全世帯から集めてくれたものを読みましたが、

「ここはいつも〇〇ちゃんがずっと座っているところだよ」

「この木は〇〇先生がかくれんぼのときいっつも隠れるとこなんだよ」

「家ではこれまで聞くことのできなかった会話が生まれるきっかけにもなった」、

「あまり喋ったことのなかった先生の歌う声や遊ぶ様子を、見ることができて人柄に触れた思いがした」

といった予想を超えるような反響があって驚きました。作ってよかったと本当に思いました。

そのなかでも、私が手応えを感じたのが絵本の動画のコーナーでした。趣味の延長という感じで作ってもらった作品は思いのほかクオリティーが高かったのです。画像は元の絵本の中からしか使っていないのですが、見せたい部分へのズームや切り替わりのタイミングなどで、紙で読む時とは全く違う楽しさがあるように思いました。そして音に関しても、夫がミュージシャンではないので簡単な打楽器を使ったアクセント、いわば効果音と楽器音の間くらいの音で構成されていたのが良かったのだと分かりました。音楽という形の部分は、本当にエンディングのところだけだったように思いますがそれで十分でした。隙間の多い音空間が意外にも、映像の中では大事な緊張感を生むのだと気づきました。

絵本を動画にする時に一番大事なことは「音」だと思いました。それも音楽というより朗読の声、環境を作る効果音、それに楽器で演奏された音楽がうまく混ざり合って「音」として構成されていることだと気づかされたのです。

◾️私も声の出演だけでなく音作りにも参加します

この「ゆうこせんせいといっしょ!」という作品作りに関わったことが後に、起業しようという思いにつながりました。

このような業者主導の配信プログラム作りではない、手作りに近いけれども制作の最終工程にはしっかりプロの手が入る、思いのこもった動画制作は他の幼稚園やこども園でも需要があるのではないか、そして私がやっていたうたのおねえさん、という立場の人材も育成してみたい、あるいは現場の先生方に私のノウハウを伝える場を作りたいというのが初期の起業意図でした。

そのうち新型コロナも沈静化するだろう、リアルな触れ合いが中心に戻った幼稚園での生活を想像した時に、配信のプログラムが必要とする内容はきっと違うものになるだろうと予想がつきました。ということで起業はするがその事業の中心は、「ゆうこせんせいといっしょ!」で私が手応えを感じた絵本の動画、にすることにしました。

企業の理念としては「教育とエンターテイメントの架け橋に」とうたいました。まじめと遊び、のように区別されがちなこの2つも本来は垣根の無いものでお互いに行き来のあるものだと考えています。それをもっと意識してもらうためにまず橋渡しをしながらやがて地続きになって橋が必要なくなる世界が理想、ということです。

そしてこれからの未来を生きる、私からすれば「孫」の世代には「やわらかくしなやかな心」を持って欲しいなと思っています。強い嵐の中でも、降り荒ぶ雨の中でも、折れずにまたしっかりと背筋を伸ばせる時をじっくりと待てる強さが、これから訪れるかもしれない激動の時代に必要なことではないかと感じているからです。そのためにまず幼い頃からたっぷりと触れて吸収しておいてほしいものとして私が今強くお勧めしているのが、「えほん」と「うた」なのです。

この2つは教育のコンテンツとしてもエンターテイメントのコンテンツとしても大変強力なものです。YUKOGARDENはそのふたつのちからを最大限に引き出すことを目標にしていきます。

◾️2023年から新たにスタートした「えほんシネマ」プランと「声育」の実習講演プログラムについての紹介パンフレット〜えほんとうたの力〜より

うたのおねえさん、夫との出会い、そして母となりコロナ禍まで

◾️3歳?くらいの私(神崎ゆう子)ピアノ椅子の上で歌ってます

子供の頃から歌を歌うことが好きでした。それも人がいる前でその声を聞いてもらうことが大好きだった私は、8歳の頃にNHK東京放送児童合唱団に参加しました。その後合唱団の卒業年齢の20歳まで、そこが生活の中心でした。この時期に学んでいたことがどれ程貴重なものであったのかを、本当に実感するのは令和という時代が始まってからになりました。それくらい当たり前に音楽が周りに満ちていて、声を合わせてその響きを感じることが息をするように自然なことだったのでしょう。

 そもそも「うたのおねえさん」に憧れるきっかけになったのも、NHKの合唱団に在籍していたからです。当時たくさん放送されていた歌番組で、その時おかあさんといっしょの初代のうたのおねえさんだった真里ヨシコさんと合唱として共演したことがありました。その際に、うっとりするような幅の広い表現力や、語りかけるように訴えてくる声の使い方に感動して、自分もあんな風に歌える人になりたいと思った体験が大きかったのです。

◾️10年以上在籍した合唱団の仲間たちとヨーロッパへの演奏旅行で

そして歌が好きで音楽大学まで進み、声楽を学んでいた3年生の時、その憧れへの道が突然に開けます。

NHKおかあさんといっしょの、うたのおねえさんの「募集」が大学内で掲示されたのでした。うたのおねえさんという職業は常に募集しているものではありません。ふつうは5、6年に一度、もっと長い間隔になることもあります。ですから今か今かと待っていたわけではありません。憧れは憧れのまま、夢は夢、と思っていたところに本当に突然その夢を叶えるチャンスがやってきたのです。

応募は迷いませんでした。希望者が多かった為に、学内でまず選考会がありました。そこは通過することができNHKでのオーディションへと進めることになりました。NHKでは書類審査から歌や動きなどの2次審査を経て、とうとう最後にカメラ前での最終審査まで繋がりました。

最後の審査は本番時にも使用するスタジオで、番組に携わる技術スタッフも加わった中で、照明やカメラも収録の時と同じ配置で行われます。番組の進行の中の一部を予め指導されたように演じます。取り囲むディレクターを出演する子どもに見立ててのやり取りののちに、きっかけの台詞でカラオケが再生されてそれに合わせて歌う、という進行でした。

その時にスタジオの2階部分にある副調整室という場所で、準備されていたカラオケを再生するテープレコーダーを操作していたのがYUKOGARDENのもう1人の取締役で、夫でもある稲村でした。

大学在学中から誘われて見学に行き、そのまま大学を辞めテレビ番組の音響効果を制作する会社へ入社していた稲村は、NHKの教育番組を担当して2年目でそこにいました。

彼は大学生の頃から学内でのダンスパーティーで音出し、選曲をしていて音楽に関係した仕事に就けたらいいな、とは思っていましたが、それは具体的にこの仕事でという方向性もない漠然としたものでした。それが先に映像制作の会社に就職を決めていた友人の紹介であれよあれよと話が進み、あっという間に「音響効果マン」と当時は呼ばれていた仕事を得ることになりました。思えばYUKOGARDENの私たちは、2人ともぼんやりとした憧れがある日突然現実になる、というところは共通の経験をしていたのかもしれません。

そして2人ともが、平成の時代はそれぞれの仕事において経験を重ねつつ家庭を持って、子供を2人社会人として送り出す親としての役割を学ぶ時期として過ごすことになったわけです。子育てという時期がきっちり平成で終わり、令和という時代は、新型コロナを引き連れて始まったような印象です。辛い時期になりましたが夫婦2人に戻り、その中で私たちは新しく自分たちが進むべき道を見つけました。

◾️「おかあさんといっしょ!」現役中のリハーサル風景から

就職経験もゼロの私が起業へ

これまでの人生ではいわゆる「就職」という経験はありませんでした。うたのおねえさんは仕事ではありましたが、私にとっては会社へ通勤するようになるのが就職、というイメージだったのです。思えば私の父も祖父から受け継いだ不動産業から自宅での町工場など、どこかに勤めに行くという姿を見ていませんでした。母は専業主婦でしたので、そもそも会社に勤めに通う人が身近にいませんでした。近所にはたくさんいたはずですが、本当に雰囲気だけでしか「会社」や「就職」というものを知り得なかったのです。その私がシニア世代になってから「会社」を起こすことになるとは、昔は考えもしませんでした。

私が考えていた「教育とエンターテイメントの架け橋に」という理念を叶えるためであれば、特に会社組織にすることもなかったのかもしれません。個人としての活動を神崎ゆう子として続けていても可能なことだったかもしれません。しかしながら自分の年齢を考えた時に、いつまで健康で人前に立ち続けられるだろうか、その点が少し不安でした。この活動を社会で広めるためには、理念を共有してくれるスタッフや人材が必要です。それに視野を広くとって世の中を観察していくためにも、自分だけの目や耳だけでは足りません。そのためにまずは夫婦2人で始めるとしても、やがては人を迎え入れていく準備は絶対に必要だと考え、会社という場所を作ろうと思い立ちました。

正直会社の形として自分たちの行おうとしていることに相応しいのは、どんな形態かについては、特に外部の人に相談することもなく2人で決めました。形態として株式会社を選んだ理由の一つは一般的な信用度が高いのでは、という単純な発想でした。絵本の動画化ということを考えた場合には、権利者(作者や出版社)への配分を考えなくてはならないと思いました。それだけでなく、国内作品から始めるとしても、いずれ海外の絵本を題材にしようとすれば当然海外の代理店などとも交渉せねばならないでしょう。その時会社の形として株式会社という名称が海外の代理店への安心にもなるんじゃないだろうか、という私の考えからでした。

起業後の困難と困難を解消する出会い

まず苦労したのは資本金でした。自分たちである程度蓄えていたつもりの資金はほとんど二人の子供たちの教育費として消えていました。なんとなく資本金というものは必要なんだろう、という意識はあったのですがやはりそれがまず最初の関門になりました。わずかばかりの自分たちの手持ちと親戚から借りることで、なんとかですが最低限の形は作れました。

現在はインターネットで設立の手順をしっかり教えてくれるサイトもあって、大変助かりました。その通りに進めていけば、手間はかかりましたが一つ一つは単なる行程なのでこなせばよいだけでした。ですがこの道のりを通じて、社会の仕組みや法律制度、税金の意味などを本当の意味で知ることになりました。本当に今までどれほど無知なまま生きてきたのか、と実感しました。

株式会社YUKOGARDENの設立は2021年5月になりました。名刺を用意しようかという時に代表取締役という肩書きがつくことで、少し浮かれていました。今では恥ずかしい思い出ですが最初の名刺には「C.E.O.」と入れてと言っていました。今まで名刺を持つこともなく過ごしてきたので新しい体験にはしゃいでいたんだと思います。

軽く考えていたわけではありませんが、そこからは会社というものの存在の、手のかかる具合に驚く日々の連続でした。これは過去形ではなく現在進行形で続いています。まさにこの年齢で、新しく子どもをまた一人産んだ、そんな子育てのような毎日です。

企業として生まれたからには、起業の意図実現のためにもまず収益を上げることが必要です。私たちがまず2人でできることと言えば「ゆうこせんせいといっしょ!」の制作の中で見つけた絵本の動画化だと思いました。私が絵本の読みを担当し、映像の編集から音響の制作までは稲村ができます。ですので制作にかかる時間は極めて短くできますし、絵本作家の方々に監修いただく際にも素早く対応が可能です。このことは強みになるだろうという予想です。

◾️初期には自宅での作業で動画制作の全てを完成させていました

絵本を動画とすることで新しいエンターテイメントとして楽しんでもらいたい、というのが大きな目的です。紙の本で読むことを置き換えたり、駆逐しようとするつもりは全くありません。自分でじっくりページをめくりながら読む体験、幼稚園やご家庭で先生やお家の方に読んでもらう体験に替わるものはないからです。いろんな形でとにかく絵本に触れてもらいたいと思っています。漫画とそのアニメーション作品の関係のようにどちらもそれぞれの良さがあって相乗効果で味わい深くなるものではないでしょうか。

絵本の場合は、少し教育・知育のツールとしての扱いに偏っているところが大きすぎるのではないかと感じることがあります。絵本は紙の本で親や先生に読んでもらうものですよね、と言う現役の幼稚園の先生方は多いですし、絵本を動画にするなんて、という絵本作家の方々も依然多いのが現状です。

そこで、私たちの作った絵本動画を評価してくれていた、気づきを与えてくれたアンケートを読み返してみました。アピールしていくポイントはどこだろう、動画という言葉にアレルギーのように反応する人にも、まず見てもらえるようにするためにはどうしたらいいか、を解消するヒントが欲しかったのです。

絵本が動画になるときに、最も違ってくるところは、やはり時間と「音」だと思います。まず時間は動画の進行によって変えられずに進んでゆくと言う制限が生まれるということです。そして「音」は絵本には無かった要素が加わる、ということになります。そのどちらもが動画化を毛嫌いする方々があげるポイントでした。アンケートから読み取れたことは、動画はまず子どもたちにとって興味を引きやすい媒体であるということでした。普段本をめくって読んだりはしない子どもが引き込まれるように見入っていました、という家庭からの反応、そしてこの本があるなら読みたいという子どもの声は大きな気づきを与えてくれましたし、面白い音を「これは何の音?」と子どもがずっと私に聞いてくるんです、というお母さんの文も私たちの進むべき方向を示してくれていると感じました。

◾️いくつかのご家庭でモニターとして動画を体験していただきました

動画、という形は問題ではなくその作り込み方こそが大事だということです。面白い作品になってさえいれば、時間と音のどちらも制限として気にはならないはずです。私も小説原作の映画でも素晴らしい作品をいくつも観てきましたし、楽しめる方法が増えた、ということになればいいはずです。要はまず見てもらえる、見たくなる作品を作り上げるということに集中すること、素晴らしい絵本の世界への案内ツールとしての道作りだとすれば、絵本を後世へも紙の本として残して受け継ぎたいと願う方々とも志を合わせていくことが可能だと思っています。絵本をしっかり読み込んで動画にすることに意義のある作品を選定し、質の高いものを作るという意思と思想を持とうと決めました。そしてYUKOGARDENの絵本動画は「音」を大事に作っているということのアピールもあって作品シリーズの名称を「うごく音えほん」とすることにしました。音楽、ということではなく無音の間も含めた音世界で映像をすっぽりくるんだ楽しい映像作品にしたいという思いからです。

そこから展開は二手に分かれて進みます。一つは原作あっての動画制作なので、原作者・著作権者へ二次使用についての許諾申請です。これは主に絵本を出版している出版社へ向けての動きになります。そしてもう一つは出来上がった作品をどうやって見てもらうか、ということです。そしてこの二つはお互いに大きく絡み合っているので、歩調を合わせて進む必要がありました。

まず出版社への動きとしては「うごく音えほん」という企画があります、という趣旨説明をメールし反応を待ってみましたが、色の良い反応が返ってくることはありませんでした。そのような申し出は多々あるのですが一様にお断りしている、二次使用に関しては決まったフォームがあるのでそこから別途申請されたし、ということが続きました。

◾️絵本を出版している会社を訪問。制作の意図を説明して許諾を申請していきました

確かに言ってしまえば私たちの作品は絵本動画、ということになるので先入観もあって内容を検討する以前の対応になっているなと感じました。事前に同様の試みについては調べていましたが、この分野で継続して成功している例は企業活動としてのものは見つけられず、おもに個人が法的にグレーな部分で無許可で動画への加工をし、動画共有サービスへアップロードしているものが絵本動画というものの評価を決めてしまっているように感じていました。出版社もその対応には苦慮していることはある程度予想できていたことではありました。そうなるとやはり実際に出来上がった作品を直接見てもらう必要があります。

しかし、これまでの人生で出版社に直接つながりがあったのは「おかあさんといっしょ」のうたのおねえさんだった時に、当時たくさんあった幼児雑誌の撮影や取材で会っていた方々です。年齢的にはもうすでに現役の世代ではなく会社に残っていらっしゃる人もほとんどいませんでした。何のコネクションもなく絵本の編集部の方が会ってくれたり、動画を見てくれるとは思えません。

そこで、以前稲村が担当していたNHK Eテレの「てれび絵本」の最初のプロデューサーだった方が、今は退職されていることを思い出しました。当時の番組作りの中でこういう作品に対して、偏見なく見てくれそうな出版社の人を知りませんか、と聞いてみました。その方とは本当に久しぶりの再会でしたが、作品も見てくれて「なかなかじゃない」と評価もしてくれました。そしてある出版社の社長を紹介してくれました。言わば「てれび絵本」の真似から始まった作品作りですからそのあたりの了解も得ておきたかったのです。そして紹介してもらった出版社から発行されている絵本をまず1冊選んで「うごく音えほん」として作ってみました。すぐに話を通してくれていたおかげでその社長と面談が叶い、動画を見ていただくことができました。動画作品の原作の絵本を合わせて見ながら、見終わって拍手していただきました。「そうか、音楽じゃないんだね」と言われたことはとっても嬉しかったです。私たちが考えていたことを言ってもらえて、それが今でも作品作りの励みになっています。

◾️その時見ていただいた作品です。残念ながら条件が合わず今のところ公開できてはいませんが、思い入れのある作品なのでいずれ必ず公開できるようにしたいと思っています。

そして献本としてその社から出ている絵本をたくさん送ってくださいました。そこからは送っていただいた絵本を何度も読みました。それは動画として楽しさや魅力の増す作品と、どうしても紙の本で読んだ方が良さがよくわかるものとを、私たちなりに選ぶ作業です。たとえばおばけの絵本などでは、声の印象が付いてしまうと興味を削がれるものがありそうだったり、恐竜の絵本では動きをつける時に変に恐竜の歩き方を決めてしまうのが危険ではないかと感じたからです。想像を広げるべき絵に対して具体的なもの(音)を決めてしまうことには、細心の注意を払うべきだと思っています。

絵本にはほんとうに無限と言えるような可能性を感じます。こんなものも主役になるのか、ということもありますし、ほんの日常の生活の一部を切り取った絵が、深い印象を与えてくれたり、ほんとうに何も言葉もなく進み、それでいて忘れられない作品もあります。この素晴らしいものにもっといろんな方向から接してもらってそれぞれに自分なりの興味のポイントを拾い上げてほしいと思うのです。それこそがアートの心ではないでしょうか。

送っていただいた絵本から10冊ほどを動画にしてみました。お話が面白いものや絵のインパクトが大きいもの、すでに人気だった作品もありますし、かなり古い作品もありました。それぞれに映像の作り方を変えて制作しました。この経験が良いトレーニングになったと思います。

再度出版社を訪れて見てもらいました。感想を聞き、これからこの作品をどうやって見てもらうかという話もしました。作品自体は可能性はあると思うけれども採算の合うように公開していくのは大変だと思うよ、ということでした。実際その通りでした。

まず作品を制作してからその出版社に見てもらう、というやり方に切り替えたことで以前よりも反応が良くなってきました。試作したのですが見てもらえないか、と言うことができるのが私たちの強みです。許諾をいただく前に試作として動画化させていただく、他に外部スタッフを要しないで2人で制作ができるということです。普通であればここまでにかなりの経費をかけねばなりませんので、どうしても許諾が前提でなければ進まないのです。見てもらうのにもインターネット上のプライベートなストレージに動画をあげておき、そこへアクセスするためのURLとパスワードをメールに記して、許諾申請をしていくことでたくさんの出版社と面談をするまでに進展していきました。行く先々で作品を見て関心を持ちました、と言っていただけるようになりました。

◾️まず作品を見てもらうことで、出版社の方々にも私たちの意図が伝わりやすくなって活動にも手応えを感じることができ始めました。

そして絵本の動画をエンターテイメントの一つのジャンルにしたい、とまで思うようになっていた私たちがすべきことの大きなことが、絵本動画を制作し公開し収益を得てそれを著作者に適切に還元していく、という仕組みづくりです。それには契約文書を適切に準備しておくことが必要ですから知的財産や著作権ビジネスに関わる法制度や判例なども調べた上で雛形を作り、東京都中小企業振興公社の知財センターへ何度も出向いて専門家の指摘を受けたりして、なんとか自前で練り上げました。

次にもう一つの道、どうやって公開するのか見てもらうのかの検討です。本当を言えば広く見てもらいたいものですので、いくつかの作品をYouTubeで公開したうえで他の作品はこちら、という誘導を考えました。その先でダウンロードにて販売するのか、ログイン管理の有料サイトでストリーミング視聴してもらうのか、などを考慮していました。今の自分たちでは、サイト管理やあるいはそのようなサービスを提供している企業を利用するのは不明な点が多く心配だということと、なによりユーザーとしてまず簡単に、いつでも見られることが大事ではないかと思い、スマホアプリにするという決断をしました。何より広く使われているプラットフォームを使うことでの安心感が大きいのと、普及したスマホやタブレットでアクセスが簡単だというのが大きな理由です。また著作権料として還元する割合の透明性、明朗性も高いだろうという判断もありました。

スマホアプリ「うごく音えほん」のリリースと新たな困難

次の課題はスマートフォンアプリの開発費用でした。おおよそは調べましたが手持ちで足りるはずもなく創業支援、シニア枠で政策金融公庫に融資をお願いしました。ここでも創業計画書をつくったり、事業内容の説明や見通しのプレゼンテーションをしたり、とにかく初めてのことばかりでしたが何とか融資願いが通りました。ついにスマホアプリ「うごく音えほん」の制作に動き始めたのです。

◾️創業プラン・起業イメージを書類にまとめ融資獲得には成功しました。

制作過程の詳細は省きますが、しっかりと話を聞いてくれてコスト的にも見合うプログラミング会社を紹介してもらい、会社の設立からちょうど1年後の2022年の5月に、まずはAppStoreでiOS向けに「うごく音えほん」を公開できました。まずは、と言ったのは少し収益が上がったらすぐにAndroidスマホ向けにも開発したかったからでした。当初は半年遅れくらいでのリリースを目論んでいました。その目論見はまったくもって甘かったです。まったく思ったようには進みませんでした。

とにかく融資を受けた分は、ほとんど全てを開発費用として使い果たしました。ですから今思うと最も大事だった広報費用がまったく残らなかったのです。

私のインスタグラムなどで告知し、YouTubeのチャンネルも開設したりと、要するに全て手弁当でやれることでなんとか、あとは口コミで、という浅はかな願いは早々に打ち砕かれました。全くユーザー数が増えていかないのです。一番見て欲しかった方々に届くような広報のやり方がきっと他にあったんですね。私たちの知らなかった、でも常識的にはまずこんな方法はやりますよ、ということさえ出来ていなかったと思います。広告に関する専門的な知識を持つ人たちの助言を受けるべきだったとの反省が上がりました。

収益が上がらないとなると当然ですが、還元すべき著作権料が出ないことになります。ビジネスとして大きな期待をされているとは思ってはいませんでしたが、出版社としても作者さん方に対して言いようが無くなっていったのだと思います。作品自体は評価してくださっていた出版社も「少し様子を見させてください」、「収益状況が好転してきたらまた連絡してください」という反応になりました。まったく当然だな、と思うしかありません。

約一年程の期間「うごく音えほん」を作り続けてきたので作品数は四十を超えるくらいはありました。ここで選択を迫られます。また融資を頼んで広告費を確保してプロモーション活動をするか、今ある作品たちで他のマネタイズ方法を探るか、ということです。いずれにしてもどうやって広報資金を作るかということになります。

最初に政策金融公庫から借りたものも、私たちにとっては大きな借金だという思いが強く、ここで新たな融資へ、と踏み出すのは躊躇われました。会社の経営、ということが身に沁み始めていました。

まず今新たな融資を、ということは止めることにしました。次に助成金や補助金を総当たりで見ましたが私たちの事業にピタリと当てはまるものはありません。商工会議所や創業ステーションなどの相談窓口にも何度も足を運びましたが、なかなか当てはまるものが見つかりませんでした。

そんななか、作品の多方面利用でということでアプローチしてみたなかで日本航空の機内サービスで試してもらえることが決まりました。2022年の年末から翌年の年始にかけての2ヶ月ほど。年末年始の移動シーズンにお子さん向けのコンテンツとして試したいという用途を想定しているようでした。国内線国際線ともに、ということやそろそろコロナによる自粛の終わりが見えてきて、旅行や帰省の需要も増えることが見込まれる中ではありがたい決定でした。

◾️JALの機内エンターテイメントとしても搭載されました。

しかしここでも広報不足がたたり大きな動きになることはありませんでした。2023年に入った頃、少し動きを変えようと考えることにしました。これまでは不特定多数向けの公開でした。そのためにアピールするのに広報が必要でした。きっとお金をかけずにできることもあるのでしょうが、そこが上手くない自分たちなのはもう分かってきました。ただ出版社や作者の方々に直接見ていただいた場合には、ほとんど喜んでいただける、想いを伝える言葉もしっかり伝わっている実感がありました。ならば直接見てくれる人がいるところに出向いて見てもらえるようにアピールした方が伝わるのではないかと考えたのです。

私のわずかながらのネームバリューが一番効果的なのはやはり幼稚園でした。自分たちと同年代くらいの方々が今では園長に就かれていたり、主任クラスの先生は私がうたのおねえさんだった時にその放送を見ていたお子さんたち、という環境です。ですので、どこでも訪問に対しては割とウェルカムでした。それならば幼稚園でみんなで絵本動画を楽しみませんか、というアピールはどうだろうか、と思いつきました。「うごく音えほん」を居室のテレビやホールのスクリーンで大人数で映画のように見てほしい、という試みです。コロナ自粛が終わり在園時間が長くなってきた時に、親御さんの仕事の関係で遅くまで寂しそうに園に残るお子さんたちにアニメ映画を見せたりする、ということはしばしば行われていたようです。そんな時に絵本を題材にとったアニメのような作品を見てもらえたら「次には紙の絵本で自分で読みたい」というお子さんも増えるのではないか、大人が映画を見た後に「感想を言い合う喫茶店での時間が楽しい」、という感じを子どもたちも持てるんじゃないか、「わいわい言いながら見るのは他の子の意見も聞けたりして新しい気づきがあったりする」んじゃないか、と楽しいものになりそうな予感が湧いてこのプロジェクトに力を入れて望みたいと思うようになりました。

「えほんシネマ」プロジェクトの誕生と幼稚園での上映

「うごく音えほん」をみんなで見る。映画のように絵本を楽しんでほしいということでこのプロジェクトを『えほんシネマ』と名付けました。これまで園でのコンサートや、周年行事に招かれたことのあるところから始めて、直接私がうかがって持参した自立式のスクリーンで見てもらいます。見た皆さんが作品に驚いていただけますし、素敵な声で子どもたちに聞かせたいと言っていただけます。やはりリアルな対面でのアピールに勝るものはないのだなと実感しているところです。

直接出向いてのプロモーションが中心になりますので、なかなか歩みはゆっくりになります。しかし関東一円から始めて、九州や東北あたりまで少しずつですが広がってはいますし、東京都のある区では区立の幼稚園全てで導入したいという声もいただいていますので、散らばった点がゆっくりとでも繋がってくれたらいいなと思います。

◾️関西や九州まで足を伸ばして「上映会」として見てもらっています。

実際に導入していただけた園での利用風景も見せていただいたのですが、そこでは毎週の映画会のようにご覧いただいていて、園児が入場チケットを自分たちで作って楽しみに次回作を待っているのを見てすごく嬉しく思いました。「えほんシネマ」の作品の中の一作を音楽劇として再現して、背景や衣装も子どもたちと先生方で手作りして演じているのも見せてもらいました。私たちが想像した以上の広がりを見せてくれて本当に驚きますし、少しでも何かが生まれるきっかけにはなっているなと感じます。

◾️導入していただいた都内の幼稚園での利用風景。自分たちでチケットを用意して

「えほんシネマ」の上映を楽しみにしてくれていました。

今後の展望

絵本ですから絵の本です。動画にすることで今までよりも大きな画面で、あるいは映画のようにスクリーンで見ることもできます。もっと色彩や造形などのアートの感覚を味わってほしいのです。お話を読んでお終いになるよりも、絵で表現された感情もあって、この筆使いで動きをつけているんだよ、なんてお家の方や先生たちが解説する、なんていうのも広がる楽しみだと思っています。

◾️子どもたちが見入ってくれる作品作りから絵本の素敵さを広めたいと思っています

そしてこの絵本に関しては次のステップも考えています。この絵本動画をエンタメの1ジャンルにするためには、制作者を養成して応援していくことも大切です。そのために私たちの制作過程を公開して興味を持つ人たちを集めたいのです。映像制作、音響構築、そして声の出演者などなど、そして既存の絵本ではなく動画となることを前提に絵を描く人とお話を作る人のコラボレーション、マッチングも計画しています。

実際に進んでいるプランの中では音楽大学の学生さんたちに「うごく音えほん」作品の音楽、音を新しく考えてもらい最終的には観衆の前でスクリーンに流れる映像に合わせて生演奏、そして私が声を乗せる、という形の「えほんシネマの音楽会」というものもあります。たくさんの試みの中で今よりも絵本への興味が高まるような動きが生まれたらいいと思いますし、世界に向けて日本独自のコンテンツ(※)としてアナウンスすることも将来的にはあるといいなと思っています。それほど広がるための力が絵本というものにはあるということではないでしょうか。

※映像が動くということで言えば「アニメーション」となるのでしょうが、原作のページの流れのままに映像が進み、キャラクターや背景の動きの作り方をフルモーションではなくゆったりと間引きされた、紙芝居や人形芝居の味わいを持たせた作りという作品志向を作者や出版社などの垣根を越えてシリーズ化して制作してゆくコンテンツのあり方は私たちが調べた限り見当たりません。(絵本作者ごとの映像化・動画化はたくさん見つかります。映像の制作志向については同様の発想に基づくものは見つけられませんでした)このことをもって独自、と表現しており日本独自、というのはかつて日本の庶民生活の近くに存在したパフォーマンスとしての紙芝居というものの現代的なアレンジという表現も可能であると思われるからです。

うたとこえのちからで次の世代に素敵な人生を聞かせたい

YUKOGARDENが力を注いでいるもうひとつのものが「うたのちから」です。そしてうたに絶対必要なものが「声」ですよね。ですから今私がうたのちからを語る時にまず必要なこととして皆さんに伝えたいのが「声育(こえいく)」ということなんです。読んだ通りで声を育てる、ということです。もちろん幼稚園に通うお子さんたちの声の育ちをサポートしたいという思いもあるのですが、実際に直接触れ合って伝えられる子どもたちの数はそれほど多くありません。ならば先生方に私が考える声作りのメソッドを伝えていく方が効率的ではないか、結果的によりたくさんの子どもたちに「声育」できるのではないか、と思い先生方向けの実践形式での講習プログラムとすることにしました。

私の親族のなかにも幼児教育を学び、実際に保育士として勤務したことのある姪御たちがいますが、彼女たちに話を聞いて少し意外で驚いたことがありました。それはあれほど日常的に声を使って、いや酷使せざるを得ない職場環境であることは分かっているはずなのに、大学時代の学習の中では声の出し方や使い方に関する講義や指導が全くなされていないということでした。

たいてい新しく勤務を始めた保育士さんたちは数ヶ月後に声を枯らしたり、喉を痛めたりします。そんな経験を繰り返して強くなっていくものだという考えもあるでしょうが、喉を痛めるということは身体の弱点になっていきますし発熱もしやすくなります。おそらくあまりにも「声」を出すということが当たり前過ぎていてその使い方について顧みられることが少なかったのではないでしょうか。

昨今は、毎日の園生活の中にようやく歌声や笑い声が戻って満ちてきたのではないでしょうか。令和5年の今、そんな職場に張り切って臨む若い保育士さんたちは学生時代の大事な実習期間がコロナ禍に当たっていてマスク着用や、もしくは実習自体が停止されていた世代でもあります。

◾️「声育」の実践講演の模様(2023年 大阪・帝塚山学院幼稚園にて)

実際の仕事として子どもたちと向き合うに当たって、まず絶対に必要な「声」を上手に使って、喉を痛め過ぎないようにすることで、余計な負担を背負わずに自分の個性を活かした保育体験を重ねていってほしいと思うのです。声の出し方や使い方で、その届け方は変えられます。声を張り上げずとも聞いてくれる話し方もありますし、自然とみんなが集まってくる声も作ることができます。自分の声をコントロールできるようになるとコミュニケーションの力も上がります。声のキャラクターはなかなか変えにくいものかもしれませんが、その調節によって響き方は変えられます。そしてその響きを扱えるようになると、次は「うた」が全く違ってきます。聞き手に届くようになるんです。

私たちYUKOGARDENが「えほんとうた」の力をもっと上手に使ってほしい、ということをアピールしているのは、その二つともがずっと以前から子どもたちの周りにあってだれでも触れられるものであるのに、少しその扱い方が決まりきっていたり、当たり前過ぎて後回しにされている状況をもう一度考え直してもらいたいなと思ったからです。どちらも簡単に使える力で、それでいてどちらも芸術の種でもあります。絵本は何かのためになるから見るものではありませんし、歌だってそうです。そこに触れること体験することで喜びを与えてくれるもので人間にとって根源的に必要なもののはずです。人にはエンターテイメントが必要ですし教育ということもその中に含まれることではないでしょうか。教えている立場の人も相手から学ぶこともあるでしょうし、そのやり取りの過程や達成感が喜びのもとになって循環していくものであればいいなと、私も講習や実践体験を経て強く思います。

コロナで覆われた世の中をまた沢山の笑い声のシャワーで洗い流して次の世代に素敵な人生を開かせてあげたいと願います。

※文中で「幼稚園」と表記してある部分は実際には幼稚園・こども園そして保育園などを含んでいるところがありますが文字数の関係から「幼稚園」という言葉をそれら施設の代表として使わせていただきました。

<YUKOGARDENの事業内容について>

①スマートフォンアプリ(iOS向け)『うごく音えほん』企画・運営

朗読の声、情景音などの効果音、そして楽器音でていねいに作られた「音」で楽しい絵本の動画を作っています。現在43作品が公開されていてスマートフォンやタブレットでお子さんでも簡単に楽しむことができます。

※1日3分までのお試し視聴が可能です。全編お楽しみいただくためにはサブスクリプションへの登録が必要になります。

https://yukogarden.com/?page_id=78(YUKOGARDENのホームページ)

②『えほんシネマ』プランの配信(施設向けのプラン)

「うごく音えほん」を園の皆んなで楽しもう、という配信プログラムです。

導入決定いただきましたら園ごとのURLとパスワードを発行し、そこへのアクセスで動画をお楽しみいただけます。絵本動画以外にも神崎ゆう子のスペシャルプログラムや

「声育」に関する案内ムービーも公開していく予定です。

ご興味があればご説明にうかがいますし、訪問した場所での簡単な上映会もできます。

https://ehoncinema.yukogarden.com

③『声育(こえいく)』の講習・実践講義

神崎ゆう子が考える声の使い方、そして歌の伝え方を先生方向けに実践にて講習しています。

ホームページでは実際に行った講習の模様を抜粋した動画を公開しています。

https://yukogarden.com/?page_id=146/#link02


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