江原啓之×丸山敬太 卒業後は別々の道へ。「26歳の頃は、神主と個人カウンセリングを」「ドリカムの衣装を26歳で手掛けた」
2025年1月1日(水)10時0分 婦人公論.jp
高校の同級生だったという、江原啓之さんと丸山敬太さん(撮影:天日恵美子)
同じ高校に通い学んだ江原啓之さんと丸山敬太さんは、ともに60歳目前。スピリチュアリスト35周年、デザイナー30周年と節目の年を迎えるにあたり、出会った頃の懐かしい思い出話から、未来への展望まで語り尽くします(構成=丸山あかね 撮影=天日恵美子)
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<前編よりつづく>
会わない時期も互いの活躍がパワーに
丸山 高校を卒業して、僕は文化服装学院へ進学。プーヤンは大学進学と、それぞれ違う道へ進んだけれど、それからも仲良くしていた。確かプーヤンは町田のほうへ引っ越したんだった。
江原 和光大学へ進学したから、小田急線の鶴川駅から徒歩10分くらいのところにあるアパートに移り住んだんだ。それにしても、よく覚えてるね〜。
丸山 大島の家よりさらにバージョンアップした恐怖の館だったから、忘れるわけないでしょ!
江原 霊の声がハッキリと聞こえるという、『うしろの百太郎』状態だったよね。
丸山 駅から山のほうへ向かって歩いて行く家なんだけど、いつもプーヤンから「また連れてきた」って言われるの。
江原 霊をね。
「飛行機に乗るたびに〈敬太も頑張っているんだから自分も!》って、力をもらっていた」(江原さん)
丸山 で、一度、友達と一緒に泊まった時のことが怖すぎて。
江原 えー、なんだっけ?
丸山 僕は夜中に異様な気配を感じて目が覚めたんだよ。そうしたらドアをドンドンドンと叩く音が聞こえて、何者かの気配が移動するのもはっきりと感じた。「ヤバいのが来た!」と思って友達を見たら、グースカ寝ているんだよ。その横でプーヤンは「ウーッ」って唸っていた。
江原 ワハハハハ。
丸山 時々、正気に戻って「敬太、大丈夫?」とか言うんだけど、またトランス状態になって呻き始める。「霊に引き込まれるぅ、敬太、腕を引っ張って!」とか叫んだの、覚えている? リアル『エクソシスト』の世界じゃん! って、怖くて死にそうだったよ。
江原 しばらくしたらスーッと霊が抜けたんじゃなかった?
丸山 「今のは死んだ人の霊じゃなく、生霊だ」とか言い出して、「こういう風体の男性に心当たりない?」と訊かれたけど、とにかく怖くてさ。プーヤンがちゃんと除霊してくれたから、ひとまず落ち着いたけど。
江原 敬太は霊感が強いんだと思う。
丸山 自分ではわからないけれど、プーヤンの大変さはその時理解できた。心霊現象に悩まされて、しんどそうだったもの。
江原 その後、いろいろな人と出会い、高尾山で滝行をしたりして、霊能力をコントロールできるようになったんだよ。
丸山 その頃、僕は学校での作品作りが忙しくなり、追い込まれていた。つまりそれぞれ新しい世界にどっぷり突入して、会わなくなっていったんだよね。
でもプーヤンは律儀な性格だから、「担任の先生を囲む会」に僕が返事もせず放置していたら、「ああいうのはちゃんと来なくちゃダメだよ。お世話になったんだから」と連絡してきていた。
江原 そうだっけ? 連絡はあまり取り合わなくなっていたけれど、風の噂で敬太が東京コレクションに出たことを耳にしていたし、ドリームズ・カム・トゥルーの舞台衣装を担当して吉田美和さんのコスチュームが話題になったのも知っていた。といっても、ぜんぜん驚かなかったよ。やっぱりねって感じだった。もちろんすごく嬉しかったしね。
丸山 初めてドリカムの衣装を手掛けたのは1991年だから、26歳の頃だったかな。
江原 僕は和光大学を中退した後、ご縁があって下北沢の北澤八幡宮で神主の実習生として奉職させていただきながら、國學院大學の夜間学部で神道を学んでいた。下北沢のアパートでスピリチュアリズム研究所を設立したのは24歳の時。26歳の頃は、神主と個人カウンセリングをして生計を立てていた。
丸山 プーヤン、その頃マガジンハウスの『an・an』に出たんじゃなかった? それを知って、僕も「やっぱりね、プーヤンを世の中が放っておくはずないよ」と思っていた。
江原 でも僕が広く知られるようになったのは2001年、37歳の時なんだよ。その年に出版した書籍『幸運を引きよせるスピリチュアルブック』がミリオンセラーになって。
丸山 一気にマスコミで引っ張りだこになったんだよね。単に霊視するだけではなく、人生哲学、スピリチュアリズムを説くっていうのがプーヤンらしい。素晴らしい活動だよ。
江原 僕の場合はスピリチュアリストになりたかったわけじゃないけど、敬太は18歳の頃から、はっきりとファッションデザイナーになりたいと公言し、その夢を見事に叶えたのは本当にあっぱれだよ。
日本航空の客室乗務員の制服を手掛けたりもしていたよね? 飛行機に乗るたびに「敬太も頑張っているんだから自分も!」って、力をもらっていた。
「若い頃は根拠のない自信みたいなのがあって、でもその裏にはコンプレックスも隠れていた。そんなアンバランスな感じを人に見せたくなくて、バリアを張っていたんだと思う。」(丸山さん)
これからをどう創造的に生きるか
丸山 長年デザイナーの仕事を続けていて、今さらだけど理想とする自分には一生たどり着けないって実感するんだよね。コレという具体的な理想形があるわけではないけれど、一つ目標をクリアしたら、その先に別の目標が見えてきて、それに向かっていく。終わりがないんだ。
江原 デザイナーになりたいという夢を叶えた時は、どう思ったの?
丸山 ラッキー! というのが正直なところ。逆に、続けるほうが大変だった。時代に応援されて世の中に出ても、どんどん時代は移ろうからね。その時々で全力投球し、経験を積み重ねてきたという感覚。ただ、どんな時も自分を信じていたかな。そうじゃなかったら、ここまでこられなかった気がする。
江原 なるほどね。僕もいろいろあったけれど、年を重ねるのもいいなと、最近思うよ。昔は尖っていたけれど、丸くなって気持ちにゆとりができたというか——。
丸山 それ、わかる。同感。若い頃は根拠のない自信みたいなのがあって、でもその裏にはコンプレックスも隠れていた。そんなアンバランスな感じを人に見せたくなくて、バリアを張っていたんだと思う。そう考えると経験ってすごいよね。
続けることで自信が生まれて、自分のままでいいと開き直ることができるようになった。気持ちのうえではずいぶん楽になったよね。
江原 敬太はファッションデザイナーだけど、僕はライフデザインをしてきたと思っていて、クリエイティブに生きてきたという意味では共通しているね。だから気が合うのかなって、今日、改めて思った。
丸山 そうだね。でもお互いに、還暦になったこれからをどう創造的に生きるかが問題じゃない?
江原 ホントだよね。
丸山 僕は、いい時代にファッションの世界に入り、パイオニアたちに引き上げてもらってきたという思いがずっとあったんだよね。でも、その恩恵を僕は誰にも返してない。だから今後は、下の世代に自分の経験や熱量みたいなものを伝えていけたらいいなと思っているんだ。
江原 敬太は今年、デビューから30周年? よくやってきたよね。
丸山 振り返れば大変なこともたくさんあったけど、あっという間だった。デザイナーに定年はないし、その意味で30周年だろうが、還暦だろうが、何も変わらないと思う。それはプーヤンも一緒じゃない?
江原 確かに60歳といっても通過地点でしかない。僕は今年、スピリチュアリストとして活動を始めて35年にあたるんだけど、これからも淡々と人生哲学を説いていこうと決めている。忙しい季節は卒業して、静の中で深めるみたいな感覚かな。
丸山 僕は30周年記念に、新しいことにチャレンジしているよ。9月には「ケイタマルヤマ遊覧会」と銘打ち、30年間のモノ作りのすべてを公開。おかげさまで大盛況でした。ほかにも、さまざまなブランドとのコラボレーション企画をしたり、とにかくめまぐるしい。プーヤンは?
江原 僕はもう一つの顔であるオペラ歌手として、12月にサントリーホールでコンサートをするのも楽しみ。そうだ! 話していて思い出したけど、敬太、高校時代に僕と交わした約束を忘れているでしょう? 「プーヤンでも着られる大きいサイズの服を作ってあげるから」って言っていたんだよ。あの時、すごく感動したのに、果たされてないんだけど。
丸山 あれ? そうだっけ?じゃオペラの衣装でも作りますか。還暦記念で真っ赤なガウンとか。
江原 ホント? 敬太先生、よろしくお願いいたします。これを機に、縁がますます濃くなりそうだね。
丸山 腐れ縁じゃないの? なんでもいいか、楽しければ。