京成電鉄沿線は都心から離れていくほど利用者が多く、豊かさをめぐる指標も高い数字が…その魅力と実力
2024年2月8日(木)6時30分 婦人公論.jp
京成電鉄の沿線は、どこか庶民的でーー(写真提供:Photo AC)
『沿線格差』という言葉を目にすることが増えましたが、フリーライターの小林拓矢さんいわく、「それぞれの沿線に住む人のライフスタイルの違いは、私鉄各社の経営戦略とも深くかかわっている」のだとか。今回はその小林さんに「京成電鉄沿線の魅力と実情」を紹介していただきました。京成電鉄の沿線、とくに、東京都内の区間はどこか庶民的なのだそうで——。
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京成電鉄沿線の魅力と実情は?
京成電鉄の沿線は、どこか庶民的である。とくに、東京都内の区間はその傾向が強い。葛飾区などを通るせいか、下町情緒があふれている。
京成電鉄本線でもっとも混雑しているのは、JR山手線との接続駅である日暮里(にっぽり)の手前ではなく、JR総武線船橋駅に近接する京成船橋の手前である。
ラッシュ時の混雑率は、2021(令和3)年度で98パーセント。なお、押上(おしあげ)線はさすがに都心に近いところが混雑しており、押上の手前で93パーセント。
京成の利用者は、地下鉄に直通する人を除けば、京成船橋でJRに乗り換える、というのが行動パターンである。
混雑率から見ても、都心に向かう会社員などでラッシュ時はあふれているというわけでもない。沿線には、中小の商工業者が多く住み、そのなかで大きくなった会社には、タカラトミーのようなおもちゃの会社もある。タカラトミーのボードゲームの名作、「人生ゲーム」の発売55周年を記念し、青砥(あおと)では駅看板を「人生ゲーム」仕様にしたこともある。
漫画家のつげ義春は幼い頃、葛飾区で暮らしていた。小学校を出ると貧しさゆえに中学校には進学せず(なお、この頃はすでに義務教育の新制中学校になっていた)、メッキ工場で働いていた。このときの経験をもとにした作品が、「大場電気鍍金工業所」である。
いまでは、この漫画に描かれたような厳しい労働環境の工場はないものの、中小商工業者が多く集まる場所であるという地域性は変わらない。
そういった小規模の商工自営業者の集積する地を、東京都内の京成電鉄は走行している。
同心円理論
所得や住民の学歴という、豊かさをめぐる指標についていえば、江戸川を渡った千葉県側で都心よりもむしろ高い数字を示している。
千葉県内の京成電鉄沿線はベッドタウンであり、東京都内とは様相を異にしている。こちらでは、東京西側ほどではないにせよ中学受験が盛んであり、大卒の家庭も多い状況になっている。都心に近いところより、離れたところに余裕のある人が暮らすというモデルがある沿線である。
都市社会学でよく使用されるアーネスト・バージェスの同心円理論では、都市の中心に業務地区が存在し、その周辺に軽工業地域と劣悪な住宅地が存在する。その外側には労働者居住地帯、住宅地帯、通勤者地帯と広がっている。
この同心円モデルが適用しやすいのが、京成電鉄沿線である。その証拠に、京成船橋よりも東側に人は住み、この駅で乗り換えて都心に向かおうとする人が多いということがある。
京成電鉄は、もともと「軌道」としてつくられ、さらには成田山新勝寺への参詣(さんけい)のために建設された経緯もあってか、地域づくりに力を入れてこなかったという歴史がある。
もちろん、土地の分譲なども行なったものの、東急グループなどのように大規模な開発を手がけたわけではない。むしろ、沿線から離れた地域で土地開発に力を入れたという歴史もあるのだ。
おくれをとっていた長編成化
そんなわけで、京成電鉄は駅の数が多く、駅間距離も短い。停車駅も多いため、JRに乗り換えて都心に向かうにも時間がかかる。
京成電鉄ならば、向かうのは日暮里か押上だ。押上から都営浅草線に乗り入れるものの、オフィス街とは若干離れたところにしか着けない。日暮里は乗り換えが必須だ。
成田空港への乗り入れにより、京成電鉄の存在感は一気に高まった(写真提供:Photo AC)
京成電鉄よりも速達性が高い総武快速線に乗り換え、都心をめざすという郊外生活者の行動が見てとれるようである。
現在の京成電鉄は、最大で8両編成となっている。JR総武線と競合しているが、総武緩行(かんこう)線は10両編成、総武快速線は15両編成だ。しかも、京成電鉄は1両あたり18メートル、JRは1両あたり20メートルの車体長である。当然、輸送力には大きな差がある。
ほかの関東圏私鉄と比べても、長編成化については後(おく)れをとっていた。
成田スカイアクセス線
開業以来長く、通勤輸送と成田山への参拝者輸送を中心とした庶民的な路線として運行してきた京成電鉄は、1978(昭和53)年5月に成田空港に乗り入れ、「スカイライナー」の運行を開始した。
成田空港への輸送は、京成グループの鉄道部門において、それまで手がけてきたものと並ぶ大きな柱として育っていく。成田空港への乗り入れにより、京成電鉄の存在感は一気に高まった。
この間、大きな投資への失敗による経営難があったものの、1991(平成3)年3月には成田空港のターミナルビルに乗り入れ、空港と直結(それまでは駅から連絡バスを乗り継いでいた)する。
2010(平成22)年7月には成田スカイアクセス線が開業し、日暮里乗り換えというハンデをくつがえす最高時速160キロの速達性で、支持を集めるようになった。
成田山新勝寺参詣を目的としてつくられた京成電鉄は、通勤輸送を手がけつつ、成田空港アクセス鉄道にも力を入れている。
都心から離れたところでの利用が多いという特徴を持つために、都市社会の構造を示す沿線となっているのが、京成電鉄沿線である。
※本稿は、『関東の私鉄沿線格差: 東急 東武 小田急 京王 西武 京急 京成 相鉄』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
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