黒柳徹子「テレビ黎明期の生放送の経験が、ユニセフの活動にも活かされた。誰もが自由で、戦争のない世界を」

2024年3月6日(水)12時30分 婦人公論.jp


「あれだけ私は本番を乗り越えてきたんだし」と思い出すと、「大丈夫、なんとかなる」と前向きになれました(撮影◎下村一喜)

国内で800万部、海外では2500万部のベストセラーとなり、多くの人々に愛される物語。その続篇を上梓した黒柳徹子さんは長年、ユニセフの親善大使として世界中の戦争や飢餓、病気などで苦しむ子どもたちを支える活動を続けています。徹子さんが変わらず抱く思いとは(構成=篠藤ゆり)

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<前編よりつづく>

生放送は毎日が訓練で


これはさんざんあちこちで話してきたことですが、私がテレビ女優を始めたころ、ドラマは生放送でした。今それを言うと、役者の方々はみなさん「そんな〜、イヤです!」「ぜったいにできな〜い」と言います。

生放送ですから、ハプニングやトラブルはしょっちゅう。台詞を忘れちゃった役者がいると、とっさに「あなた、こうおっしゃりたいのよね」なんて、その人の台詞を全部言ってあげたり(笑)。

私は本来、ぼんやりしている人間だったと思いますけど、ぼんやり立っていても生放送はそのまま続くわけです。誰かの指示を待つのではなく、とにかく何かをして、その場を乗り切らなくてはいけない。

本当に大変でしたし、毎日毎日、訓練させられているみたいなものですから。やっぱり、鍛えられたと思います。

1978年から89年まで司会をつとめた歌番組『ザ・ベストテン』も生放送でしたから、ハプニングは多かったですね。今だったら「放送事故」とか言われて、炎上してしまうようなこともありました。

相方の久米宏さんとは、放送中にわりと忌憚なく政治の話題にも触れました。私が「久米さん、TBSのアナウンサーだからちょっとまずいんじゃない?私が言うわよ」と言うと、「大丈夫です」と言っていたけど、さっさと退社してフリーになって『ベストテン』をやっていました。

私たち、ロッキード事件の話なんかもしましたけど、今だったら歌番組で政治ネタは難しいでしょうね。当時はテレビの自由度が、今より高かったなと思います。

テレビ黎明期から生放送で鍛えられたことは、ユニセフ(国連児童基金)の活動をするようになっても活かされました。戦争や天災、飢餓に苦しむ地域へ子どもたちを訪ねていくので、近くに地雷原があるような場所もありましたし、トラブルに巻き込まれて「あぁ、もうダメかもわからない。ここで死ぬのかな」と思ったこともあります。

でもそんなとき、「あれだけ私は本番を乗り越えてきたんだし」と思い出すと、「大丈夫、なんとかなる」と前向きになれました。

子どもたちが紛争の犠牲に


ユニセフの親善大使になったのは1984年です。きっかけをつくってくださったのは、後にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で高等弁務官をなさった緒方貞子さんでした。

緒方さんは、当時アジア地域でユニセフ親善大使を探していた事務局長のジェームス・グラントさんに私を推薦して、「これを読めば彼女がどんな人かわかるはず」と、『窓ぎわのトットちゃん』の英訳を渡されたそうです。

それを読んだグラントさんが、「テツコのような人なら、きっと子どもの気持ちをわかってくれる」と、親善大使に声をかけてくださったのです。

84年のタンザニアから始まり、2019年のレバノンまで、のべ39ヵ国を訪れ、とても言葉にはできないくらい凄惨な状況も自分の目で見てきました。日本で暮らしている私たちは、一応は、食べたいだけ食べられる生活をしています。でも、紛争地域の子どもたちは、そういうわけにはいかない。私たちも戦争中はそうでした。

ユニセフの仕事で行く国の子どもはみんな、赤ちゃんなのになんであんなおばあさんみたいな顔になっているのかなと思ったら、栄養失調で顔が痩せている。ほっぺたに縦ジワがいっぱいあって。

でもそれだけではないんですね。普通、赤ちゃんや子どもは目がみずみずしいけれど、お腹を壊して脱水症状になったりなんかすると、目もカラカラになる。それで老人みたいに見えるんだとわかりました。

それでも子どもたちは、私たちが行くと笑ってくれるんです。もちろん、笑うこともできない子どももたくさんいましたけど。骨と皮だけで身体の厚みが5センチくらいになった子が、一生懸命笑ってくれようとしているのなんか見ていると、胸がいっぱいになります。

ユニセフの活動を始めてからは、常に新聞やニュースなどで世界情勢を気にかけ、「行かなきゃ」と思うようになりました。そして自分が見てきたことを多くの方に伝えなければと、いてもたってもいられない気持ちになるんです。

なるべくテレビクルーと一緒に行くようにしたのも、テレビを通して、多くの方に紛争や飢餓に直面している子どもたちの現状を知ってもらいたかったからです。

100歳は遠くない


今、世界のあちこちで戦争をしています。そういう現状を見ると、「テレビって世界を平和にする力があるって言ってたのに。話が違うんじゃないの」と言いたくもなります。でも私、希望は捨てていないんです。

最近はスマホなどで情報を得る人も多いけれど、テレビの大きな画面はやっぱり力があると思います。あの画面で戦争に巻き込まれた子どもたちの姿を見たら、みなさん、こんなことが起きてはいけないと強く感じるんじゃないでしょうか。

テレビと同じように私が信じているのが、活字の力、本の力です。自分が書いた本のことで恐縮ですが、『窓ぎわのトットちゃん』は20以上の言語に翻訳されて、累計2500万部も売れているそうです。

そのうちのなんと半分以上の1600万部が、中国で売れたんですって。中国では、私の失敗談ばかりを綴った『トットの欠落帖』もよく読まれているそうです。『続 窓ぎわのトットちゃん』出版の記者会見のときも、中国のメディアの方がいらしていて。なんでも前作は、小学校の先生が子どもたちに読ませたりしたと聞いて驚きました。

なんで中国の方は、そんなに私の本を読んでくださるんでしょうね。もしかしたら自由に生きて呑気な感じがいいのかしら。機会があったら、中国に行って聞いてみたいなと思います。

今回、『続 窓ぎわのトットちゃん』を書きながら、私はトットと呼ばれた子どものころとほとんど変わっていないな、と感じました(笑)。今でもしょっちゅう「お菓子食べたい〜」「お腹が空いた」とか、思わず声に出しちゃう。

ユニセフ親善大使として飢えた子どもたちを見てきたし、お菓子食べたいなんて思う私ってダメだな、とちょっぴり反省したりもするんですけどね。戦争状態じゃなくて食べたいものを食べられるって、天国みたいなものだと思います。

ここまで生きてきてつくづく感じるのは、人間にとって一番必要なのは「自由」だということ。自由に考えられ、自由に発言できる。それこそ、私たちになくてはならないものだと思います。そのためには、なにより平和が大事。戦争はぜったいにあってはいけないですね。

私、50歳くらいになったとき、「もう50なんだ」と思ったりしたけれど、それを過ぎて60、70になってもそんなに驚きませんでした。でもこの間、「私、100まで仕事をしようと思うの」と自分で言って、それってそんなに遠くはないと思ったのね。驚きでした!

この先、たぶんまた書きたいことが出てくると思います。なんとか100歳までがんばるつもりなので、どうかよろしくお願いします。

婦人公論.jp

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