黒柳徹子 開戦後に亡くなった弟のことを「なんにも覚えていない」理由とは。ようやく疎開先が決まったそばから東京に戻ることになり…

2024年4月19日(金)12時30分 婦人公論.jp


黒柳徹子さん(写真提供:講談社)

国内で800万部、全世界で2500万部を突破したベストセラー書籍『窓ぎわのトットちゃん』。先日42年ぶりに続編『続 窓ぎわのトットちゃん』が発売され、話題となっています。今回この新刊より、戦争が始まって2年半が過ぎたころに起きたという「トットちゃん」こと黒柳徹子さんにとって、うれしかった出来事と悲しかった出来事について紹介します。

* * * * * * *

明ちゃん


昭和19年の春、太平洋戦争が始まってから2年半が過ぎたころ、トットの家では、うれしい出来事と悲しい出来事が立て続けに起こった。

4月に妹の眞理(まり)ちゃんが生まれて、4人きょうだいになったのがうれしい出来事だ。

ところが5月に、上の弟の明兒(めいじ)ちゃんが敗血症(はいけつしょう)で亡(な)くなってしまった。

ついこのあいだまで元気に学校に通っていた明ちゃん。

勉強もできて、ヴァイオリンも上手に弾(ひ)けて、トットと明ちゃんはいつもいっしょだったのに。ペニシリン1本あれば助かる命だったと、あとから聞いた。

でも奇妙(きみょう)なことに、トットは明ちゃんが死んだときのことを覚えていない。

というより、明ちゃんのことを、なんにも覚えていない。

「いつも肩(かた)を組んでいっしょに学校に行ってたじゃない」とママが言うぐらい、なかよしだったはずなのに、なぜかまったく記憶(きおく)がない。

写真を見ても、「へーえ、こんな子だったんだ」と思うほどだ。

きっとトットは、明ちゃんが死んだという事実を受け入れられず、明ちゃんの記憶を頭の中から追い出してしまったのだろう。

だから、トットの記憶の中には、明ちゃんを失って悲しむママとパパの姿も残っていない。

明ちゃんは息を引き取る前に、「神さま、僕(ぼく)は天国に行きますけれど、どうぞこの家の人たちが、平和で楽しく暮らせるようにしてください」とはっきりした声で祈(いの)っていたと、あとからママに聞いた。

疎開


その年の夏、ママは疎開(そかい)する決意を固めた。

まず考えなければならないのは、どこに疎開するかだった。

東京生まれのパパには田舎(いなか)がなかったし、ママの故郷(ふるさと)の北海道は東京からは遠すぎた。

そこでママは、パパを1人東京に残し、まだ小さい3人の子どもを連れて疎開先探しの旅に出たのだった。

最初の候補地は仙台(せんだい)だった。


『続 窓ぎわのトットちゃん』(著:黒柳徹子/講談社)

どうしてかというと、ママのパパ、つまりトットのおじいさまは、仙台にあるいまの東北大学(とうほくだいがく)医学部を卒業してお医者さんになったので、それなりに縁(えん)のある町だったからだ。

ママは、トットたちを引き連れて仙台駅に降りると、駅前をぐるりと1周した。ところが、ピンとひらめいたものがあったらしい。

「ダメだわ、絶対ここは空襲(くうしゅう)がある」

ママの予言は当たっていた。

翌年の7月、仙台はB29の大空襲に見舞(みま)われ、市街地は見渡(みわた)す限りの焼け野原となった。

北海道の大自然の中で生まれたママには、危険を察知する動物的な勘(かん)が備わっていたのかもしれない。

飯坂温泉


仙台への疎開をあきらめると、今度は福島へ向かった。

福島駅に降り立つと、通りがかりの人に「このへんで疎開できそうなところはありませんか」と尋(たず)ねてまわった。

「それなら飯坂温泉(いいざかおんせん)がいいべな」と教えられ、バスに揺(ゆ)られて飯坂温泉に到着(とうちゃく)した。

飯坂温泉に温泉客など一人もいなかった。トットが足の治療(ちりょう)のために湯河原温泉で過ごしたときは、町のいろんなところから湯気が出ていて、大人も子どももポカポカ上気(じょうき)した顔をしていて、とても活気があった。

湯河原とのあまりの違(ちが)いにびっくりしたけど、考えてみればそのころは、戦況(せんきょう)もかなり悪化していたので、呑気(のんき)に温泉にやってくる人なんて、いなかったのだろう。

何軒(なんけん)かの旅館をまわって、疎開先を探していることを伝えると、ある旅館のおじさんが「うちの旅館のひと部屋を貸してやっぺい」と請(う)けあってくれた。

ママはほっとしたように「よかったわねえ」と言って、トットの手を握(にぎ)った。でもそのとき、トットの目はあるものに釘(くぎ)づけになっていた。

親切なおじさんがはいている、ズボンともパンツともつかない、うすい小豆色(あずきいろ)のだらんとしたものはなんだろう? トットたちがはく、ブルマーの長いのみたい。

そのおじさんは夕涼(ゆうすず)みの最中だったのか、団扇(うちわ)をパタパタとあおぎながら立っていたけど、その長いブルマーをはいている姿が、二本足で立ち上がった動物園の動物みたいに見えた。

トットは好奇心(こうきしん)を抑(おさ)えられなくなってしまった。

「ママ、あのおじさまが、はいているのはなに?」

「あれは、サルマタというのよ」

ママが小声で教えてくれた。

トットは「本当だ! おじさんの足、サルみたい」と笑ってしまいそうになった。

いまにして思えば、大人にしては少しだらしない格好だったけど、トットは「サルマタ」という響(ひび)きが気に入ったし、この温泉に疎開したら、東京とはまた違う楽しい人たちや、きれいな自然や、はじめて見る動物たちとも触(ふ)れあえるかもしれないと思った。

パパから届いた電報


おじさんが勧(すす)めてくれた旅館の部屋は、とても広くて立派だった。

食べものだって、東京に比べたらずっと手に入りやすそうだ。

ママは「疎開はここに決めるわ」と言って、東京にいるパパに電報を打った。

パパからの返事はすぐに来たのだが、その電報を読むママの顔がみるみる凍(こお)りつき、トットたちは、すぐに荷物をまとめて東京に戻(もど)ることになった。

帰りの汽車の中でも、ママはずっときびしい顔をしていた。あとで知ったことだが、パパから届いた電報には、「ショウシュウ レイジョウ ガ キタ」と書いてあった。

※本稿は、『続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社)の一部を再編集したものです。

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