『ブギウギ』の秋山美月役・伊原六花もゲストで大相撲観戦。嵐の春場所となるか?大銀杏が結えない2人が大活躍。新入幕の尊富士が8戦全勝、1敗は大の里のみ

2024年3月18日(月)13時0分 婦人公論.jp

2024年3月10日から開催中の大相撲大阪場所。「荒れる春場所」の言葉通り、上位陣がバタバタ、横綱も休場に…。『婦人公論』愛読者で相撲をこよなく愛する「しろぼしマーサ」が今場所もテレビ観戦記を綴ります。

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前回「大相撲大阪場所、地元の宇良に観客が爆声援!初日から「大荒れ」に。1横綱4大関のうち、勝ったのは新大関・琴ノ若とカド番の貴景勝だけ」はこちら

嵐の春場所


「荒れる春場所」といわれるが、7日目に横綱・照ノ富士が休場し、中日8日まで毎日4大関の誰かしらが負けて大荒れだ。

中日に8戦全勝で勝ち越したのは新入幕の前頭17枚目・尊富士(たけるふじ)、1敗で追うのは幕内2場所目の前頭5枚目・大の里だ。2人とも出世が早くて髪が伸びるのが間に合わず大銀杏が結えないため、尊富士は髷で、大の里はざんばら髪で登場している。

昭和の横綱・輪島はざんばら髪の時代にパーマをかけていたが、大の里は鬢付け油をつけているのかストレートな髪だ。尊富士と大の里は、前進あるのみの相撲を取り、今後白星を重ねれば、「嵐の春場所」になる。上位陣は大銀杏のキャリアを示す貫禄を発揮して欲しい。

8日目のNHKテレビの正面解説は金星を史上最高の16個獲得した元関脇・安芸乃島の高田川親方で、「尊富士と大の里が台風の目ですね」と語っていた。

どうした霧島


横綱・照ノ富士は初日に負け、4日目から連敗を続け腰椎椎間板症で2週間の安静と治療となり、7日目から休場。先場所優勝し、今場所は自身の目標である10回目の優勝を果たす夢が消えて残念だ。横綱土俵入りが見られないのも悲しい。

4大関が揃った場所に期待したが、初日から誰かしらが負けている。

場所前に調子が良いと言われた大関・霧島は2勝6敗で、負け方が「惜しい、残念!」というのではなく、「どうした霧島?心配!」という感じ。

6勝2敗は、大関4場所目の豊昇龍、カド番の大関・貴景勝、新大関として期待されている琴ノ若、師匠だった故・錣山親方(元関脇・寺尾)への恩を返すように頑張っている小結・阿炎、前頭10枚目・御嶽海、前頭11枚目・佐田の海、前頭12枚目・湘南乃海の7人だ。

関脇・大栄翔は4勝4敗、関脇に復帰した若元春は5勝3敗。3場所ぶりに小結に戻った錦木は初日に照ノ富士に勝ったものの1勝7敗である。

連日、観客の大声援を浴びているのが大阪出身の前頭筆頭・宇良で、3勝5敗だが、見事な肩透かしを披露したりして、根性の相撲を取っている。

今日1日の努力


後半の頑張りに期待したいのが、5日目に照ノ富士に初挑戦して勝った前頭3枚目・王鵬だ。5日目に向正面で解説をした高田川親方は、「真っ向勝負で突き切った。理想の相撲です」と絶賛していた。王鵬はすぐ引いてしまうので3勝5敗なのが残念だ。

私は前頭10枚目・正代と前頭11枚目・佐田の海を応援しているが、この2人が負けるとやけ食いをする癖がつき、ついに地震災害用に備蓄してあるフルーツ缶詰と乾パンの缶詰に手を出してしまった。備蓄食糧が減らないように勝ってもらいたい。

最高に心配なのが前頭16枚目・遠藤で、相撲に力がなく2勝6敗だ。永谷園のお茶漬けの宣伝に出ていた頃の元気を取り戻して欲しい。今は、前頭2枚目・熱海富士が永谷園の広告で新聞紙面を飾っている。熱海富士は4勝4敗だ。

8日目は中入りの前に「師の教え」という放送があり、北の湖親方(一代年寄となった横綱・北の湖)の教えである「今日1日の努力」が紹介された。毎日、相撲の基礎である四股を踏むことの大切さを指導していたそうだ。上げた足を下ろす時に腰も同時に下ろし、下ろした足のところの土に穴が開くほど何回も四股を踏むのである。

四股を踏んでいた


7日目のゲストはNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』に秋山美月役で出演している俳優の伊原六花さんだった。2年前にネットで配信された『シコふんじゃった!』に学生の女子相撲の力士として出演。とても綺麗な四股の場面がテレビに映し出され感動した。

私は現役の時、会社のトイレで四股を踏んでいたが、かなり間違った四股の踏み方だった。

四股を踏んだ場所が、会社が一時入居していた重要文化財の三井本館だった。その階には様々な会社が入居していて、トイレは大理石の壁に囲まれていた。

先日、三井本館7階にある三井記念美術館の「三井家のおひなさま」展の鑑賞に行き、改めてこのビルの素晴らしさを堪能した。そして、この階ではないが、大理石の壁の前で四股を踏めたことは、とても贅沢だったと、ありがたい気持ちになった。

日本橋通りの歩道から、三井本館に向かい、力士時代に勝負を終えて帰る時に、土俵に向かって深々と丁寧なお辞儀をした豊真将(元小結、現在の錣山親方)のような一礼をして帰った。

苦闘を続けながら歴史を刻んでいる


さて、「荒れる春場所」といわれるが、いつから荒れだしたのかと思い、横綱の栃錦、若乃花、朝潮、大鵬、柏戸が活躍した昭和30年代の『大相撲画報』(朝日新聞社刊)を読んだが、「荒れる」の言葉はなかった。

そして昭和35年5月1日号の「大相撲太平記『昭和動揺期編』」(彦山光三著)という連載を見つけた。大阪方と東京方の相撲が別々にあり、昭和2年1月5日に「合体」を発表したことが書かれていた。

私は業界新聞社の記者をしていた時、何度も企業の合併の記者会見に行ったが、株価に影響するので発表までは極秘で、会見前に会場に行ってもテーブルに資料が載っていなかった。対等の合併とはいえ、両社にあるシステムや工場をどうするか、人員をどうするかで苦闘する会社もあった。

東京の力士と大阪の力士を一緒にして番付を編成することは、さぞや大変だったことだろうと思ったが、「大相撲太平記」を引用すると、「いわば沈衰期のこと。横綱・三役あたりが一こうぱっとしないことはいうまでもなく、全体的にも大した新鮮味・溌剌味・豪華味など、どうさがしたってみいだすことも、うかがうことも、かぎつけることもできなかった」と厳しい批判が繰り広げられていた。

大相撲の世界は、苦闘を続けながら歴史を刻んでいることを、しみじみと学んだ。

※「しろぼしマーサ」誕生のきっかけとなった読者体験手記「初代若乃花に魅せられ相撲ファン歴60年。来世こそ男に生まれ変わって大横綱になりたい」はこちら

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