風間俊介「20代の未熟な演技も今では愛おしく思える。つかこうへいさんにほめ殺しにされながら、舞台に出演できたことは一生の宝」

2024年3月25日(月)12時30分 婦人公論.jp


演劇ユニット・地球ゴージャスの結成30周年記念公演『儚き光のラプソディ』に出演する風間俊介さん(撮影◎本社 奥西義和 以下すべて)

岸谷五朗寺脇康文による演劇ユニット・地球ゴージャスの結成30周年記念公演『儚き光のラプソディ』が東京・明治座と大阪・SkyシアターMBSで上演される。 物語の舞台は謎の白い部屋。そこへそれぞれに何かから逃げたいと考えている7人の男女が時空を超えて集まってきて……。7人のうちの一人を演じる風間俊介さんが「もう二度とお見せすることのできない芝居をします」と断言する理由とは? (構成◎丸山あかね 撮影◎本社 奥西義和)

* * * * * * *

40歳の自分を出していきたい


最初に地球ゴージャスの舞台に参加させていただいたのは2004年。『クラウディア』という演目で20歳の僕は「竜の子」を演じました。そこからぴったり10年後に「クザリアーナの翼」に呼んでいただき、さらに10年経った今年、三度目の舞台に立つことになりました。なので「10年周期の男」と言われてます。(笑)

一度目も二度目の時も五朗さんが「また10年後な」と言ってくださって。何が嬉しいって、その約束を果たしてくれたことです。今回のお話をいただいた時も、どんな作品なのかな? とか、自分の演じる役は? と考える以前に、「あの約束だ!」ってことが脳裏に浮かんで感動しちゃいました。

『クラウディア』の時は右も左もわからなくて。でもそんな僕に、演出もしている五朗さんは「俊介はどう演じたい?」と訊いてくれるんですよね。それで「竜の子なのでちょっと爬虫類っぽい感じを出したいです」と伝えたら採用してくれて。寺さんもそうなんですが懐が広くてかっこいいんですよ。会話にはいつもユーモアが溢れていて場の空気を和ませてくれたり、メチャメチャ稽古をするんですけど、できなくても、できない人を受け止める包容力を備えていて。自分もこういう大人になりたいって思ったのを覚えてます。

もちろん10年経っても20年経っても五朗さんや寺さんには追いつけません。しかも僕の場合、20代、30代の頃の写真と40歳になった今の写真の区別がつかないと言われていて。このことについては自他ともに認めるところ。自分でも見分けがつきませんから(笑)。大丈夫か? と思わなくもないのですが、人にはその人なりの時間の流れ方というのがあるので、僕の40歳を出していけたらいいなと思っています。

といって成長をすべて肯定しようと思っているわけでもなく、成長したからできなくなることもあると感じているんです。いつだって今しかできないことがあるって。20歳の時に出演したドラマ『3年B組金八先生』の中に、補導されてパトカーの中で振り向くというシーンがあるのですが、今になって見返した時、この顔は二度とできないって思います。

僕のターニングポイントとなった連続ドラマ『それでも、生きていく』に出演したのは28歳のときでしたが、演技は未熟でも自分なりに高みを目指して一所懸命に演ってたなって、なんか愛おしく思えるんですよ。

40歳で演じた『儚き光のラプソディ』を50歳になった僕が観たら、もっとこうすればよかったとか思うんでしょうけれど、その時の情熱から生まれる表情とかセリフ回しを愛しみながら、もう二度とお見せすることのできない芝居をしようと決めてます。


「その時の情熱から生まれる表情とかセリフ回しを愛しみながら、もう二度とお見せすることのできない芝居をしようと決めてます」と話す風間さん

逃げたい気持ちは僕も持っている


今の段階では僕が何かから逃げたがっている人物の一人を演じるってことしか知らされていないのですが、何かから逃げたいと考える人の気持ちはよくわかります。僕の場合、たまに原稿を依頼されることがあって、締め切りから逃げたいといつも思ってしまいます。

30代の後半から様々な場面でMCをさせていただいたり、朝の番組でパーソナリティを務めるようになったからか、ちゃんとした人だと思われがちなんですが、実は目の前にあることに向き合うのが得意なだけ。それが同時多発だったとしても目の前のことは大丈夫なんです。でも一週間後に処理するとかは無理。今じゃなくていいんだと解釈すると、なぜか脳内の処理済みファイルに入れてしまう癖があって(笑)。でも現実的には終わってないと。その狭間で現実逃避を企んでいるみたいな。結局のところ、締め切りが目の前に迫ると馬力が出るので何とかなっちゃうというのがまた問題で、次回も逃げたい場面を繰り返すことになるのです。

何をやっているのだろう? と思わなくもないのですが、誰だって苦しいことや辛い時間からは逃れたいと思うんですよ。それで言うと、役者デビューした頃は大変でした。「おまえなんてダメだ」と否定されたこともありましたし……。

舞台『蒲田行進曲』に出たのは23歳の時でしたが悪夢のような日々でした。演出家のつかこうへいさんは、基本的に役者が苦しみの中から開眼するように誘うのがスタンスだと言われている方で、僕もずいぶんと厳しい指導をいただいたのですが、ある日「おまえ、ぜんぜん折れないな」って言われて。そこからほめ殺しの嵐がはじまったんです。「上手だね〜」「俺なんか何も言うことないね」って。そんなわけないことは自分が一番よくわかっているのでいたたまれなくて、もう最悪(笑)。それも含めて面白かったですけどね。つかさんの舞台に出演できたことは一生の宝になりました。


「人にはその人なりの時間の流れ方というのがあるので、僕の40歳を出していけたらいいなと思っています」

<後編>へ続く

婦人公論.jp

「つかこうへい」をもっと詳しく

「つかこうへい」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ