俳優・岡本健一さんが『徹子の部屋』に息子・岡本圭人さんと登場。「2023年、男闘呼組再結成秘話〈昭次のメアドが神のお告げのように…〉」

2024年3月28日(木)12時0分 婦人公論.jp


左から、成田さん、高橋さん、岡本さん、前田さん。撮影中も自然に息の合った位置取りで、それぞれのポーズを決めて(写真撮影:初沢亜利)

3月28日、俳優の岡本健一さんと岡本圭人さん親子が『徹子の部屋』に出演する。トーク番組では初共演。一方、健一さんと黒柳さんは「男闘呼組」の頃からつき合いがあり、徹子さんは赤ちゃんの圭人さんにも会っているそう。2023年に駆け抜けた『男闘呼組2023 THE LAST LIVE』の真っ最中に収録した、メンバーとの再結成秘話(前編)を再配信します。
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2023年4月28日の大阪・フェスティバルホールを皮切りに、21都市48公演の『男闘呼組2023 THE LAST LIVE』ツアーをスタートさせた男闘呼組(成田昭次・高橋和也・岡本健一・前田耕陽)。ツアー終了後には、『男闘呼組LAST FOREVER』と銘打った武道館4公演も予定されている。男闘呼組としての活動は8月をもって終わるが、寺岡呼人プロデュースによる新バンド・Rockon Social Clubとしての活動は今後も精力的に続けていくという。
8月で結成35周年。彼らが30年ぶりに復活を遂げた理由、そしてグループへの思いについて前後編で語っていただく。
(構成◎上田恵子 撮影◎初沢亜利)

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後編はこちら

気持ちが通じ合っているという手ごたえがある


高橋和也(以下、高橋)男闘呼組が復活してから何度かライブをやってきましたが、とにかくファンの皆さんが熱いんですよ。僕らもそのエネルギーをもらって、以前だったら出なかったレベルの力がどんどん出せている。アドレナリンが出っぱなしという感じで、最高の思いをさせてもらっています。30年活動していなかったグループに、皆さんがここまで盛り上がってくれるなんて……。予想をはるかに超えたリアクションでした。

岡本健一(以下、岡本)最初にライブをやった時は、まだ声出しが禁止で。今もマスクは必要だけど声出しはOKになって、会場にすごいエネルギーが充満している気がしますね。

前田耕陽(以下、前田)お客さんの声を聞いて、僕らもより頑張れています。「声を出していい」ってなって、こちらも盛り上げやすくなりましたし。客席と、ひとつになれる瞬間が作りやすくなった。

岡本 お客さんを見ていると、涙を流している人もいれば、すごく楽しそうに笑っている人もいて。自分たちも「こんなに泣くことってあるのかな」「こんなに笑うことってあるのかな」というくらいいろいろな感情が出てきて、生まれ変わった感じです。

成田昭次(以下、成田)去年の10月15日が復活コンサートの初日だったんですけど、そこで10代の頃の自分たちの曲を結構やっているんです。最初はそれが成立するかどうか、やってみないとわからないところがありましたが、今は「懐かしいだけじゃなくて、新しい何かに向かってるんだな、俺たちは」という実感が持てています。

岡本 そうだね。

成田 その日のライブは、奇跡を見ているような気持ちでステージに立っていましたね。一瞬で昔にタイムスリップしたような感覚があって、すごく嬉しかった。50歳を過ぎて当時の自分たちの楽曲にトライしたのも面白かったし。リハーサルの時、言葉で語らなくても「今、メンバーはこう思ってるんだろうな」とわかる、気持ちが通じ合っているという手ごたえがありました。しかも3人は昨日より今日、今日より明日のほうが良くなって、現在の自分たちをちゃんと見せられている。ものすごく刺激を受けました。また明日からリハでスタジオに入りますが、今から楽しみで仕方ないです。

昭次の声とギターがあってこその男闘呼組


今年3月、彼らは4人揃ってTBSのバラエティ番組『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に出演。男闘呼組の軌跡をたどった構成は、大きな反響を呼んだ。

岡本 SMAPは僕らの後輩にあたるので、中居のことも10代の頃のイメージのままなんですよ。それがいつの間にか大御所っぽくなっちゃって、感慨深いと言うか、不思議な感じがしましたね。

前田 「ぽく」じゃないよ、実際に大御所なんだよ。(笑)

岡本 そうか(笑)。よく中居は「男闘呼組の4人は僕らのことをいじめなかったから」って言うけど、それじゃあまるで他の先輩たちは皆、後輩をいじめてたみたいじゃない? そんなことないよねえ?

前田 彼らにはそう感じられたってことじゃない? 上下関係とか。まあ「男闘呼組は怖かった」って言われるより全然いいよ。

岡本 確かに。そもそも男闘呼組こそ、下の世代からは近寄りがたい存在だと思われてたみたい。全然そんなことないのにね。

高橋 番組では懐かしい映像もあって、当時を思い出したなあ。あんなふうに昔、僕らを追いかけてくれていたファンたちが、今では子どもを連れてライブに来てくれているんだもんね。すごいよ。あと、当時は女の子ばかりで腰が引けていた男性ファンも、俺らがおじさんになったことで堂々と来られるようになった。長い年月を経て、「男闘呼組って、Rockon Social Clubってカッコいいよね!」と言える空気が生まれていることが、本当に嬉しいです。


「子供連れのファンや、当時腰が引けていた男性ファンもライブにきてくれるようになったことが嬉しい」と語る高橋和也さん(写真撮影:初沢亜利)

男闘呼組は1988年にデビュー。「TIME ZONE」「DAYBREAK」等のヒット曲を連発し、1989年8月には東京ドームで単独ライブを行った。しかしグループは、1993年6月をもって活動を休止。4人は別々の道を歩むことになる。そんななか成田は2009年を最後に音楽からも離れ、地元・名古屋の一般企業に就職。以降、ジャニーズ事務所に残った岡本、他の事務所で芸能活動を続ける高橋、前田とは音信不通になってしまう。

高橋 やっぱり昭次あってのグループなのでね。昭次の声とギターがあってこその男闘呼組ですから。でもその彼が長いこと音楽業界から離れていて、僕たちは僕たちでそれぞれ芸能の仕事をしていた。もちろん男闘呼組を復活させたい思いはあったけど、現実問題として無理だろうなと思ってました。

岡本 そんな時、たまたま和也が4人共通の古い知り合いと会って、昭次のメールアドレスを教えてもらったんです。

高橋 2016年だったかな。まるで神のお告げみたいでした。「ここに連絡すれば昭次につながるのか!」って。その時点で僕は昭次と13年くらい会ってなくて、どこにいるのかすら知らなかった。そのアドレスが唯一の手掛かりでした。

また4人で会えるかもしれない


前田 最初は短いメッセージを送ったんだよね?

高橋 そう。「昭次、元気?」ってそれだけ。なんて言えばいいのかわからなかったし、変にグイグイ行ったら拒絶されるかもしれない。繊細に向き合わないとせっかく見つけた糸口が台無しになっちゃうので、本当に恐る恐るという感じだった。そしたら返事が来たから、すぐに健一と耕陽にも連絡して。ふたりともビックリしてたよね、「えっ、昭次見つかったの!? どこにいたの?」「俺もまだそこまではわからない。でもとにかく『元気だよ』って返事が来たよ!」って。

岡本 本当にあの時は驚いた。で、僕も昭次と連絡を取るようになって。

高橋 男闘呼組を再結成しようとか、そんなことはまったく考えてなかった。とにかく「また4人で会えるかもしれない」という、小さな希望が生まれたことが嬉しくて。どんなに細い繋がりでもいいから、絶対になくしたくないと思っていたんだよね。実際に4人が顔を合わせるには、そこからさらに時間がかかったわけだけど。そう言えば当時、僕は健一とも耕陽とも連絡を取り合っていたけど、健一と耕陽は疎遠だったよね?

前田 別に嫌いってわけじゃないよ?

岡本 だって耕陽は仕事ぶりを見ていて、元気そうだな、まあ大丈夫だろうなって思っていたからさあ。(笑)

前田 俺の舞台を観に来てくれたファンの人と、よく「来週、健ちゃんのお芝居観に行きます」「そうなんだ。よろしく言っといて!」みたいな会話をしてたよ。

2019年の春、男闘呼組が主演をつとめた映画『ロックよ、静かに流れよ』(1988年公開)の公開30周年特別上映が行われた。トークイベントに出席した岡本から成田のところに、「男闘呼組の再結成ってどう思う?」と連絡が来たが、成田は「仕事もあるし、ちょっと難しいかな」と返したという。

が、その年の7月にジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏が死去。9月4日に東京ドームで開催された氏のお別れ会で、2人は期せずして26年ぶりの再会を果たすこととなる。

成田 あの時は、健一がすぐに僕のことを見つけてくれたんだよね。

岡本 お互いに「全然変わってないな!」って言い合って。

成田 そうそう。で、その年の秋に、耕陽が舞台の仕事で名古屋に来た。それでご飯を食べて、カラオケに行って。そしたら翌月、今度は健一が名古屋に来た。「この前、耕陽とカラオケに行ったんだよ」と言ったら、「俺も行きたい!」と(笑)。それでまた同じカラオケ屋さんに行って、男闘呼組の歌を歌ったんだ。そのときも健一は「歌えるじゃん! 今度4人でスタジオに入ろうよ!」と誘ってくれて、僕も「まあ遊びでやるなら……」と答えた記憶がある。和也とは電話だけで、まだ会えてはいない状況だった。

岡本 4人が揃ったのは翌2020年の8月。27年ぶりに名古屋のスタジオで顔を合わせた。僕は、何よりもまず音を出してみたいと思っていたんだけど、出した瞬間「これはいける!」と確信して、その時点で男闘呼組のツアーをイメージしてたよ。

高橋 僕は昭次が元気で、しかも僕らと一緒に演奏してるっていうことが、もうね……涙ものだった。

岡本 自分たちもわからなかったからね。ちゃんと演奏できるのかなとか、なんか変な空気になるんじゃないかなとか、ケンカになるかもしれないなとか。いろんなことを考えていたから。

高橋 27年ぶりだもん。自分たちが自分たちにガッカリしちゃったら台無しだから。だから皆、会う前は緊張していたと思う。

成田 でも実際に顔を合わせたら……。

岡本 「おー、久しぶり! 音出そうぜ!」って、一瞬にして大盛り上がり。

前田 その晩は飲んだねー!(一同笑)

せっかく4人で集まるなら、まず音を出そうよ


岡本 でも、27年ぶりに集まった僕らがこんなに盛り上がれたのは、そこがスタジオだったからかもしれない。そもそも僕が耕陽に初めて会ったのもスタジオだった。「キーボード弾ける子がいるよ」と言われて会ったのが耕陽で、「なんだ、かわいい顔してんな」って思ったことを覚えてる(笑)。最初から「音つながり」だったんだよ。

高橋 本当にそう。27年ぶりということで、食事会でも良かったんです。ところが「せっかく4人で集まるなら、まず音を出そうよ」って、4人が4人とも同じ考えだった。別にライブをやるとか再結成するとかいうことではなく、「飯は後で食べに行けばいい。まずは音を出して確かめよう」というのが僕らの共通認識だったんだと思う。

前田 楽器があったから、バンドだったから良かったんだね。これがダンスユニットだったら、50歳で「まずは踊ろうか!」にはならないもん。

一同 絶対にならない!(笑)

岡本 皆その日やる曲のリストを決めて、事前に耳コピしてきたよね。ちゃんと練習もして。

成田 大抵の場合、耕陽が譜面を用意してくれるんです。僕ら、未だに譜面が書けないんで(笑)。僕はもう何年もギターを弾いてなかったから、指が動かなくて大変だった。

高橋 俺もそうだよ? 27年間ベースを弾いてない。ずっとアコースティックギターで歌ってたから。リハビリですよ。(笑)

前田 この4人の何が面白いって、普通のミュージシャンの場合は譜面があるほうが円滑に進むけど、僕らの場合はそうじゃないところ。「あそこからやろうよ」と言うと、全員が一斉に「はいはい、あそこね」って理解するし、「ジャジャーンからね」みたいな言い方でも通じる。昔からそうだから、何か4人の共通言語みたいなものがあるんでしょうね。

岡本 あと、僕らは一曲の中でボーカルがフレーズごとにスイッチしていくんだけど、それも「ユニゾンで歌うよりハモったほうがいいんじゃない?」みたいな流れからだったよね。

前田 メインで歌ってた和也と昭次のキーがちょっと違うんだよね。皆で歌いまわしたほうが転調もできるし、幅が広がるからそういう形になったんだと思う。

後編はこちら

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