加藤登紀子さんが『徹子の部屋』に出演。戦後80年、引き揚げ体験を語る「ひとり暮らしで寂しさが押し寄せても、前向きに生きる」
2025年4月9日(水)11時0分 婦人公論.jp
壁の本棚には、小説、歴史書、写真集などがズラリと並ぶ。「物には執着しませんが、本は貴重な資料だからとっておき、時々読み返します」。寝室には特にお気に入りの本、鴨川の家にも大量の本があるという(撮影:大河内禎)
2025年4月9日の『徹子の部屋』に加藤登紀子さんが登場。今年で歌手デビュー60年、これまで道のりを振り返ります。また、幼い頃はハルビン(ロシアの近く、中国の北東に位置する)で過ごした加藤さんは、終戦後に引き揚げを経験。当時の記憶を語ります。現在ひとり暮らしをしている加藤さんへ思いを伺った『婦人公論』2023年4月号のインタビューを再配信します。
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今年歌手デビュー58年を迎える加藤登紀子さん。今年歌手デビュー58年を迎える加藤登紀子さん。夫を見送り、3人の子どもたちが自立した後、6年前に母も旅立ちました。完全にひとり暮らしになった加藤さんが心掛けている、ちゃんと生活するためのマイルールとは——(構成=村瀬素子 撮影=大河内禎)
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<前編よりつづく>
入浴中はキャンドルを灯し
夜のルーティンとして続けているのが、サウナと20分入浴。風呂場の横に小さな遠赤外線サウナがあるんです。低温に設定して、そこで本を読み、曲を作ることも。
入浴中は電気を消してキャンドルを灯します。10分で消える小さいろうそくを2本使い切ったら湯船から上がる。そのあとは2分半、水シャワーを浴びながら、かかとをトントンと上げ下げ運動しています。
温冷交代浴は免疫力のアップ、かかと落としは骨の強化に繫がるそうです。私ももう79歳。健康を維持し、自立した生活ができるように心がけていこうと思っています。
ひとり暮らしって、うっかりすると虚しい気持ちになってしまう。でもこんなふうに自由に時間を使えるって考えることで前向きになることができます。
ピアノを弾きながら口ずさみ、五線譜に鉛筆を走らせる。「こうしている間にも一曲できちゃいそう(笑)」。ピアノは趣味であり、作曲のパートナーでもある。「メロディーから作る時はピアノで、詞が先にできた時はギターを弾きながら曲をつけます」
夕方5時に「夕焼け小焼け」のチャイムが聞こえてくると、ふと寂しさが押し寄せてくることが。子どもを保育園に迎えに行き、買い物をして夕飯の準備をし……子育てしていた頃の記憶が蘇るんです。
当時は、なんで女は仕事しながら家事も育児もするのに、男は何もやらないの! と腹を立てていたけれど(笑)。あの時間は戻ってこない、と思うと涙がこぼれて……。泣きたいときは泣く、というのもマイルール。泣きながら台所で夕飯を作っています。
私、今日もこの取材の前にささっと昼食を作って食べたの。我ながら手早い(笑)。身についているんですね。主婦業をした人はみなさんそうでしょう。
高齢になってもキビキビ動くことを意識する。ひとり暮らしには特に大切だと思います。
オノ・ヨーコさん作の絵画(左がジョン・レノンさん、右がヨーコさん)は、ご本人からのプレゼント。登紀子さんが手紙を送ったことから親交が始まった
お気に入りの小物を飾った賑やかな玄関。「干支の動物たち、娘が子どもの頃に作ったふくろう、インカ帝国の遺物のかけら、古希のお祝いにもらったオトキさん人形……すべて『私のお守り』です」
母が教えてくれた人生を豊かにするもの
夫が環境保全型農業に取り組んでいた「鴨川自然王国」は、私のもう一つのホーム。夫亡きあと、その欠落感を埋めるように私は鴨川に足繁く通うようになり、草取りや田植えもして。おかげで環境や農業の問題に関心を持ち、世界に対する視野も広がりました。
2022年末には、自伝的な随筆『百万本のバラ物語』を上梓しました。私が歌い続けている「百万本のバラ」はもともとロシア語のラブソング。私は戦中のハルビン(旧満洲)で生まれ、そこには多くのロシア人が暮らしていました。
父はロシア音楽を愛し、戦後日本に引き揚げてからロシア料理店を開業。ロシアとの縁が深い私は、ウクライナ侵攻のニュースに慄然としました。私たちが一緒くたに「ロシア」と呼んでいたものが分断され、戦う理不尽さに困惑して。今こそ、父や母、私の体験とともに、ロシア周辺国の激動の歴史と、そこに生きる人々の物語を書いておかなければと思ったのです。
同時に、ロシアの侵攻により故郷を追われたウクライナの人たちを支援するため、「百万本のバラ」のほか、オリジナル曲などを収録したチャリティーアルバム『果てなき大地の上に』の制作も行いました。
『百万本のバラ物語』(著:加藤登紀子/光文社)
もっと勉強して、理解を深めて書きたいテーマは増える一方。夫からの宿題である環境問題をはじめ、次々と問題が追いかけてきて「逃げるな、ちゃんと後の世代に伝えなさい」と言われている感じね。(笑)
ただ、私は死ぬ直前までステージに立って歌いたいと思っていますが、晩年の母の介護をして、そうはいかない現実も知っている。
やりたいと願ってもできなくなる日がくるかもしれない。そこで絶望するのではなく、できることをすればいい。最近はそんなふうに思います。
ステージに立てなくなったとしても、家でピアノを弾いて歌ったり、洋服のリメイクを楽しんだりすることはできます。
私が子どもの頃、母がよく言っていました。「国語、算数より大事なのは音楽、図画工作、体育。その3つができないと人生寂しいわよ」と。確かに、それらは人生を豊かにしてくれるもの。この歳になると実感しますね。